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[旅の日記]

出石の皿そば 

 春の陽気に誘われて、本日は出石へのドライブです。
出石と言えば、そばで有名な所です。

 高速道路を乗継いで出石(いづし)に着いたのは、12時過ぎ。
ちょうど昼ですので、さっそくそば屋を物色します。
ありました、ありました、いたるところにそば屋だらけです。
とりあえず目も前に飛び込んできた情緒豊かなそば屋に入ることにします。
こちらのそばは、「皿そば」と言われるもので、小皿に少量のそばつゆを盛りだしをつけて食べるもの。
つゆには卵を割って、ねぎとともにそばを頂きます。
いわば、小出しに出てくるざるそばといった感じです。
今回食したのは1人前5皿のもので、それで足りなければさらに追加で好き数だけ皿を頼みます。
珍しさもあって、ついつい食が進んだのでした。

 昼食も終わり、町内を散策ということにします。
まず寄ったには、「家老屋敷」です。
ここは出石城の内堀の中にあった高級武士の居住として使われていたものです。
屋敷の中は見て回ることができ、大名行列の道具が陳列されています。
隠し階段を使えば屋敷の2階の部屋にも上がることができますが、当時は不意の襲撃に備えた隠し部屋だったようです。

 そして「出石城跡」へ。
谷山川に架かる「登山橋」を渡って、城跡に向かいます。
ちょうど花見の時期でもあり、何組かの酔っ払い、いや花見客が楽しそうに集まっていました。
城の左手にある鳥居の連なった階段を駆け上がると、城跡まで登ることができます。
「出石城跡」は、但馬国守護となった山名時義が、出石神社の北側の此隅山に築いた城です。
織田軍による但馬遠征で、1569年に羽柴秀吉に滅ぼされますが、今井宗久の仲介により織田と和解し領地に復帰します。
その後、城主は前野長康、小出吉政と代わっていきますが、関ヶ原の戦いでは家名存続のために、小出吉政が西軍、弟の小出秀家は東軍に分かれて戦うことになります。
西軍は破れてしまいますがますが、秀家の功績により出石の領土は残ることができたのです。

 また「出石城」に先には「有子山稲荷神社」への参道も続いています。
赤い鳥居が重なる階段の先に、城の鎮守である「有子山稲荷神社」があります。
ここからは旧市街が見渡せます。

 それではその旧市街へ繰り出しましょう。
旧三の丸大手門脇の櫓台には、ひときわ高い木造の塔「辰鼓楼」があります。
現在は時計台になっていますが、それまでは太鼓で時を告げていたということです。
郡役所であった明治時代の「明治館」は擬洋風建築の建物で、ハイカラな風情の漂う記念館になっています。
またその先には赤い土壁の酒蔵があり、季節の変化で土壁の色も微妙に変わるといわれています。
そのほか土産物屋では透きとおるような白を特徴とする出石焼もあったのですが、今日は見るだけで我慢しました。

 思った以上に観るところの多い出石で、予想外の時間が過ぎてしまいました。
ここに来るまでの高速道路を降りて和田山からが、近そうな県道を選んだために狭い山道をくねりながら来たことを悔やんだのでした。

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