にっぽんの旅 近畿 兵庫 伊丹

[旅の日記]

酒どころ 伊丹 

 兵庫県の伊丹が、本日の舞台です。
大阪との境にある伊丹市は、空港があることで有名ですが、その他にも魅力ある場所です。
今日は伊丹の町を巡ってみます。

 阪急伊丹駅からJR伊丹駅まで続く通りを進んで行きましょう。
阪急伊丹駅近くには昔ながらの商店街が続きます。
曲がりながら進む通りは、惣菜屋から良い臭いが漂っています。
庶民的で生活感がにじみ出ています。
この商店街を抜けると、広場があります。
ここからが古い街並みが今も残る場所なのです。

 兵庫県では灘や西宮が有名で、伊丹が清酒発祥の地ということは意外と知られていないのです。
かつては多くの酒造業者で栄えた伊丹ですが、いまでは数えるほどになってしまいました。
そんななか今なお残るのが、老松酒造です。
店舗の前には、老松の酒樽が積まれています。
江戸幕府の御免酒でもあった老松の酒ですが、当時の清酒番付が残っています。
西の大関にはその頃まだ伊丹に社屋を構えていた剣菱とともに、老松は東の大関に君臨していたことが判ります。

 伊丹の地を酒造りで有名にしたのは、山中新右衛門幸元です。
のちに鴻池勝庵と改名と改名する財閥鴻池の始祖です。
それまでは酒と言えばどぶろくのことで、濁り酒が飲まれていました。
ある日鴻池山中屋の店で、叱られた手代が腹いせに釜戸の灰を酒樽に投げ入れてしまいます。
ところがその結果、濁り酒が豊潤な清酒になったということですから驚きです。
これを機会に、日本初の本格的な清酒の生産が始まります。
伊丹の町は大いに栄え、江戸へ送られる酒樽は12万余石にも達したとも言われています。

 そんな酒造りを物語る建物が、少し先にあります。
白鹿で有名な小西酒造のレストランです。
「ブルワリービレッジ長寿蔵」では、日本酒とビールに合う料理を出してくれます。
そしてレストランの2階が、小西酒造の小さな資料館になっています。
酒の清掃工程と酒樽などの道具が展示されています。

 通りをさらに進むと、終点はJR伊丹駅です。
そしてその手前左手に、石垣を見ることができます。
ここは「有岡城跡」です。
南北朝時代に伊丹氏により築城した伊丹城が、この城の始まりです。
1574年には荒木村重が城を奪い、改修をした際に名前を有岡城と改称します。
1579年には織田軍に攻められ落城し、翌年に池田之助が城主になるものの、1583年に之助が美濃に転封されることによって廃城となってしまうのです。
今ではかろうじて井戸が残る程度で、有岡公園として城跡が利用されています。

 それでは、当時の趣が残る場所がありますので、そちらに足を向けます。
「旧石橋家住宅」は江戸時代の商家で、紙と金物の小売業のかたわら酒造業を営んでしました。
2階の虫籠窓を持つ建物の造りが、当時の様子を表しています。
現在は工芸品の展示販売を行っています。

 そしてその隣には「旧岡田家住宅」があります。
松屋与兵衛が興した酒蔵です。
最初は羽振りが良く拡大を続けてきた稼業ですが、やがて経営は苦しくなり大坂からの出造り酒造家鹿島屋清右衛門に酒蔵と店舗を買収されます。
清右衛門も清酒業の拡大を図りますが、1876年に廃業します。
その後安藤氏を経て、1900年には岡田正造がこの建物を入手し、後の伊丹酒類興業から大手がら酒造と発展していきます。
ところがこれも1984年には廃業となり、今は伊丹市が所蔵し内部を公開しています。
切妻造本瓦葺の建物は、店舗と酒蔵が軒を接して並んで建っており、太い柱が立ち並ぶ天井の高い建物の中には、酒造りの道具が一部残されています。

 その近くの宮の前通り沿いには、「宮ノ前足湯」があります。
これはおもしろいと、足をつけていると元から入っていた年配の人が話しかけてきます。
一通り世間話をして、いざ次に向かおうかとしていると、今度は市役所から伊丹市に関するアンケートと市役所の職員がヒヤリングに来ます。
自分でアンケート用紙に答えればよいところが、職員がひとつひとつ対面で聞いて書き入れるタイプなのです。
おかげで20分ばかりの足止めを食って、ようやく歩き出すことができました。

 ここからは見所は点在しており、行けることろまで行って飽きれば帰ってくればいいかと気楽に歩きます。
「宮ノ前足湯」を出て最初の訪れるのは「猪名野神社」です。
904年の創建で、さすが伊丹だけあって拝殿には酒樽が寄進されています。

 さらに北に足を進めます。
この辺りは、ごく普通の住宅地が続きます。
特に変わったものもなく1kmほど歩いていると、国道171号線に出ます。
急に賑やかになった感がします。
そのまま国道を渡ると、再び静かな住宅街となり、地図ではこの場所になっているはずの「緑ヶ丘公園」を探します。

 緑豊かな公園は、住宅のすぐ裏にありました。
家の脇の小路を入って行くと、公園に出ることができます。
公園には池があり、水をいっぱい湛えています。
そして池のほとりには、中国佛山市から贈られた賞月亭と呼ばれる中国風のあずまやが建っています。
池の周りをぐるりと回ってみることにします。

 ここまで来たのですから、もう少し歩いてみましょう。
「緑ヶ丘公園」からの川縁を「伊丹史蹟公園」まで歩いて行きます。
梅雨時期とあって、歩道には多くのアジサイが咲きほこっています。
歩道が切たところが、自衛隊伊丹駐屯地の南端です。
この近くに「伊丹廃寺跡」があります。
1958年に塔の水煙が出土したのを契機に、本格的に発掘調査が始まりました。
その結果、奈良時代前期の創建と推定される古代寺院があったことが判明しました。
金堂、西に五重塔を有し回廊が囲む伽藍配置は、奈良の法隆寺とほぼ同等の規模であったとされています。
すごいものがこの地にあったのだと、改めて感心させられたのでした。
ここは「伊丹史蹟公園」となっており、この事実を知らなければ何の変哲もない普通の広場のように見えます。

 さてここまで来ると、さすがに足も疲れを発しています。
先ほどの足湯が懐かしく思えます。
「妙宣寺」などに寄り道をしながら、再び阪急伊丹駅に向けて歩くのでした。

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