にっぽんの旅 近畿 兵庫 姫路

[旅の日記]

城の町 姫路 

 本日は、世界遺産にも選ばれた姫路城を訪れます。
ところが迫って来る台風のせいで、どんよりとした曇り空。
姫路に着いた時には、ついに大粒の雨となってしまいました。
でもそれぐらいで、今日の行程を中止するはずがありません。
持ってきた折畳み傘をさして、さっそうと姫路城に向かって歩き始めました。

 駅からまっすぐに延びたその先には、姫路城の大手門があります。
はやる気持ちを抑えつつ、すんなりとは門をくぐらずにその東にある城見台公園へと向かいます。
その名の通り、ここから見る城の姿が一番だと聞いていいたからです。
公園では数段の石垣が積まれており、なんとなく高くて見やすくなったような場所が、城を眺めるホットスポットということです。
この数段の差がどれだけのものなの?と首をかしげつつも、先ずは城を眺めていたのでした。

 さて再び大手門です。
内堀に掛った橋を渡ると、三の丸広場へ出ます。
動物園を脇に見ながら入口まで進みます。
このときは雨も本降り、というよりも横なぶりの雨で、傘が役に立たないほどの降りになってきました。
足早に入口まで行くと、そこで姫路城・好古園の共通入場券を購入します。

 城への入り口となる「菱の門」をくぐると、眼の上に姫路城がそびえて見えます。
別名白鷺城で知られる真っ白なお城は、1333年に赤松則村が姫山に築いた砦がもとで、その後の赤松貞範が本格的な城建てたことに始まります。
嘉吉の乱、応仁の乱を経て、赤松政則が本丸、鶴見丸を築き、1580年には羽柴秀吉が3層の天守閣を完成させました。
関が原の戦の後、姫路城主となった池田輝政は、9年の歳月をかけて城の大改築を行いました。
1617年には本多忠政が三の丸、西の丸を増築し、その後は榊原、松平、本多、榊原と城主が替わる中、明治維新までの間酒井忠恭が城を治めました。

 ここからは、「いの門」「ろの門」といろはの名前がついた門を順にくぐっていきます。
昔は84もの門があったそうですが、現在では21の門が残っています。
先に進むにつれて通路が曲がりくねっており、また道幅も門の大きさも次第に小さくなっていきます。
敵が攻めてきたときに、城を守るための様々な仕掛けのうちの一つです。
この立派な城にあって、天守閣に続く「ちの門」ともなれば民家の勝手口程度の大きさしかなかったのには、ちょっと驚きです。
また城壁のいたるところに丸や四角を模った狭間(さま)が設けられています。
この穴から鉄砲や矢を外に向け、戦いに備えたものでした。

 天守閣に入ると、この城を支える心柱があります。
直径1mほどの心柱が、東と西に1本ずつあり5層6階の天守閣を支えています。
薄暗い城の内部の柱どれも立派なものばかりで、鉄砲や刀を掛けられるように柱に引掛けの切り込みが工夫されています。
急な階段を1歩ずつ上り詰めると、最上階には神社があります。
長壁神社と言い、一旦は城の外に移されたのですが、たたりがある言うことで再び城内部に戻されたということです。
天守閣からは姫路の街を一望でき、天下を取った殿様の気持ちを味わうことができます。

 さて天守閣を降り、城の出口に向かう途中に切腹丸という場所があります。
正式名を帯郭櫓というこの建物は、時代劇に出てくるような切腹の場を連想させる造りをしていたことからこの名が付いたのですが、実際ここで切腹が行われたという訳ではありません。
ところがその先には「お菊井戸」という恐ろしい井戸があります。
網が張ってあり薄暗い奥を覗き込むことは難しいのですが、「播州皿屋敷」で語り継がれている井戸がここなのです。
お家の乗っ取りを察した女中お菊は城主の難を救ったのですが、それに腹を立てた家老が今度は家宝の皿を隠してしまいます。
そして皿を失くしたという口実で、お菊はこの井戸に放り込まれたのでした。
1枚、2枚と皿を数えるが最後の皿のところで声が出なくなるというお菊伝説は、夏の幽霊として必ず語られる話です。

 名古屋城も観たのでここで昼食を取り、ゆっくりと休む間もなく好古園を訪れます。
姫路藩主の下屋敷があったとされるこの庭は、姫路市政100周年を記念して2002年に整備された、比較的新しい池泉回遊式の日本庭園です。
入るとすぐの渡り廊下からは、錦鯉が泳ぐ池と一望できます。
そのほかにも茶の庭、松の庭、竹の庭など、それぞれの趣の違ういくつもの庭を持つ大庭園なのです。
眺めは素晴らしいのですが、本日の天候は悪くなるばかり。
このころには、靴の中も水浸しの状態で、1歩1歩が非常に重く感じられていたのです。

 普通ならばここまでというのでしょうが、折角来た姫路なのですからなめるように見て回るのがこの旅の信念です。
もう少し城の周りを散策することにします。
大手門のすぐ東隣には、護国神社があります。
ここは1938年の竣工・鎮座ということですから、比較的新しい神社です。
冒頭でも述べた城見台公園を抜けさらに東へ進むと、今度は内堀にぶつかります。
30cmもあろうかという鯉が、すいすいと泳いでいます。
そこから北に城の周りに沿って、歴史の道が整備されています。
本当ならば内堀沿いに城を遠目に見つつ散策したいところですが、今日の豪雨には勝つことができず、南北方向で城の中央付近まで行くと西に進路を変えて内堀の北側沿いを歩くことにします。
レンガ造りの市立美術館を横目にぼちぼち歩き、「鷺の清水」まで来ると今度は南に進路を変て「千姫の小径」を歩きます。
「千姫の小径」は内堀と船場川に挟まれた中央に、昔ながらの土の道が続いています。
内堀には多くの鷺が魚を探しに舞い降りています。
なるほど白鷺城の名前の由来はここにあったのか、と言わんばかりの光景です。

 さらに姫路駅に向かって南へ進みます。
白鷺橋、龍野の街並みを経て、やってきたのは十二所前町です。
駅から程近いビルの合間に、何故か昔の街並みを残す一角を探していました。
ここに十二所神社、通称お菊神社があるのです。
疫病に苦しんでいた928年当時、一夜にして12本の蓬で疫病を治癒したということから祀られている神社です。
先の「播州皿屋敷」のお菊も参詣していたということから、この名前が付いたということです。

 ところで姫路と言えば、「姫路おでん」があります。
夜は居酒屋になる飛び込んだ食堂にも、「姫路おでん」はありました。
これは出汁が普通のおでんと違って、生姜醤油で食べるものです。
ふんだんに生姜がちりばめられており、あっさりした食べやすい味です。

 滅多に雨に会うことがない私ですが、今日の雨には本当参りました。
大阪までJRの新快速で80分程度。
濡れて膝から下が変色したズボンと、入れていた本がふやけてしまったディバッグですが、いずれも大阪までの時間を要しても一向に乾く気配はなかったのでした。

   
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