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[旅の日記]

日本のへそ 明石 

 日本の標準時と言えば、東経135度の明石だと言うことは知られたこと。
じゃ明石の街は?と聞かれると・・・
今日はそんなことにならないために、明石の街を探索しに行きます。

 JR明石駅に着くと、真っ先に向かったのが「魚の棚商店街」です。
通りに入ったとたん、潮臭い香りが漂ってきます。
それもそのはず、この商店街の多くが魚屋さんなのです。
水を少し張り生きた魚そのままが入った容器が、そのまま店に並べています。
思わず買いそうになりましたが、生魚を片手にうろうろする訳にもいかず、ここは目で見て楽しみます。
明石と言えば鯛にタコ。タコの姿干しも、お土産としてしっかり店頭に並んでいました。

 せっかく明石に来たのだから、ぜひ明石焼きを食べて帰りたい。
ということで、明石焼きのお店に入ります。
見かけはタコ焼きですが、味はタコ焼きと卵焼きの中間でしょうか。
おつゆに浸けていただきます。
ついでにタコ飯も頼んでしまいました。
まな板のような木の皿に載せられた15個の明石焼きは、見た目以上にボリュームがあります。
ビールとタコ飯と明石焼きで、昼間だというのにはち切れんばかりの腹になってしまいました。

 さあ、これからは少し歩いてカロリーを消費しなければなりません。
と思いながらも明石駅から山陽電車に一駅乗り、隣の人丸前駅まで行きます。
実はどうしても電車で行きたかった理由があるのです。
人丸前駅のホームに135度の子午線が走っており、それをどうしても見たかったのです。
電車を降りるやいなや、皆が出口の方に歩くのとは逆に、私だけはホームの端に向かい、この子午線を見に行ったのでした。

 ホームを降りると、先ずは浜の方に向って進みます。
5分も歩けば、交番の隣に「標準時子午線通過地」の標識が見えます。
そしてその交番の名前も「子午線交番」なのです。
警察というお固いところにしてみれば、イキなものですね。
さらに南下していくと、お寺と見間違えるような立派な造りをした「中崎公会堂」があります。

 さて、今度は北上し、駅を越えて明石天文科学館に向かいます。
JRの高架下のところには、源平の戦いの傷跡が残っています。
この近くの両馬川に関する碑ですが、その解釈には諸説あるようです。
高架下を抜けると、明石天文科学館の姿が目に入ってきます。
1960年に建てられたこの建物は、塔の上の大時計が日本の標準時を示しています。
早速入ってみることにます。

 科学館の14階は展望室になっており、明石市内が一望できます。
明石大橋も鮮明に見ることができるのです。望遠鏡では明石大橋の四国への入口を映しており、そこを通る車までも確認することができます。
3階は展示室になっており、振子時計からセシウム原子時計までのさまざまな時計が展示されています。お香を燃やして時間を図る和時計などの面白いものの展示もあります。
また太陽の観測や惑星の大きさ比べ、隕石など、時間がいくらあっても足りないような興味の湧く展示が数多くあります。
宇宙飛行士の条件の記述には、自分の年も忘れて条件の一つ一つをチェックしてしまったのでした。
2階にはプラネタリウムがあり、ここは是非見てみたかったところなのですが、開催時間と私の都合が合わず今回は見送ることになり、非常に残念でした。

 明石天文科学館の北隣には、柿本神社があります。
奈良時代の歌人、柿本人麻呂を祭神とする神社です。
彼が万葉集に明石大門(明石海峡)を詠んだように、海峡を見渡せる絶好の場所にこの神社は建てられています。

 この柿本神社と明石天文科学館で挟まれた東西に延びる通りが「時の道」と呼ばれているところです。
そして日本標準時子午線を示すトンボの標示柱が、立っています。
通りは、月照寺、本松寺や明石神社を抜けて明石公園まで続きます。
今度は明石公園のある明石駅まで、ゆっくりと歩くことにします。

 「時の道」の終点である明石公園は、明石城跡に造られたスポーツ施設を有する自然いっぱいの公園です。
1620年に小笠原忠真が築城したものです。
当時、本丸に天守台までは築かれたのですが、天守はとうとう建設されずじまいでした。
そして今残っているのは、東西にある巽櫓と坤櫓の2つの櫓です。
なんと明石駅からも見ることができ、なんと贅沢な眺めなのでしょうか。

 そして明石と言えば、鯛を食べずに帰るわけにはいきません。
塩をまぶした塩焼きは、素朴でありながらも一番おいしく魚を味わうことができます。
こうして本日の明石探索の旅は、幕となったのでした。

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