にっぽんの旅 関東 山梨 猿橋

[旅の日記]

猿橋宿から鳥沢宿 

 甲州街道を巡る旅、そんなテーマを勝手に作ってJR中央本線を東京に向かって進む旅です。
特に行きたかったのが猿橋で、今回はその猿橋を中心とした宿場巡りです。

 甲州街道は江戸幕府が整備さした五街道のうちのひとつで、最後に完成した街道です。
日本橋から内藤新宿、甲府を経て下諏訪で中山道と合流するまでの道のりで、甲州街道には38の宿場が置かれました。
甲府から乗り高尾に向かう中央本線は、ブドウで有名な勝沼を通り大月までやってきます。
大月駅で、富士登山電車で有名な富士急大月線と交わります。
富士急大月線には青色と水色のかつての標準色をもつ車体を、JRから眺めることができます。
しかし今回は、その先の猿橋まで進みます。

 JR猿橋駅では他に降りる人もおらず、電車が去った後には田舎の真ん中でひとり取り残されたかのようです。
小雨が降っていたから、なおさら寂しく見えたのかもしれません。
駅を出るとそこには、「三嶋大明神」があります。
ここから猿橋までは1km余り、線路伝いの国道20号線を歩いて行きます。
これが意外と単調な道で、猿橋の看板が出てくるまで心配になったものです。
駅から20分弱で、猿橋への入口が現れます。
商店街の入口のようなアーチ型の看板が、この先が猿橋であることを示しています。

 笹子川に架かる「甲斐の猿橋」は日本3奇橋と言われています。
ちなみに多くのところが奇橋と名乗り出ていますが、その中には岩国の錦帯橋や祖谷のかずら橋、木曽の棧などがあります。
30mのはるか下に川が流れその上の両岸を渡す橋を架けるのですが、高すぎて橋脚を造ることもできません。
通常は吊り橋が用いられるのですが、もう一つの手段として刎橋というものがあります。
刎橋とは岸の岩盤に穴を開け、そこに木を差込んで先を川に向かって突き出します。
その突き出した木(刎ね木)の上にさらに材木を重ねていき、川の両岸から中心に向けて少しずつ木を渡していきます。
こうして高所に橋を架けることができたのです。
そして橋をよく見ると、それぞれの刎ね木の上に小さな屋根が取り付けられています。
これは雨を受けて刎ね木が腐らないために、雨よけとしての役割をもっています。

 猿橋の歴史は不明なところも多いのですが、610年ごろ百済からの渡来人の志羅呼(しらこ)が造ったとされています。
志羅呼は互いに体を支えあって橋を作った猿を見て、ここにも橋を築きました
室町時代には足利持氏と武田信長がぶつかり合い、持氏方の一色持家と信長勢の合戦が猿橋で行われました。
また世は戦国時代、1524年には武田信虎が山内上杉氏を支援するために猿橋に陣を構え、相模の北条氏綱との戦いに備えて出兵したとも勝山記には書かれています。
江戸に入ると甲州街道の宿場町 猿橋宿として、たいそう賑わったところでもあります。

 この辺りは桂川渓谷で、奇岩に囲まれた場所に猿橋は架かっています。
猿橋の隣にも橋が見えますが、これは八ツ沢発電所一号水路橋です。
近くには郷土資料館もあり、橋の見学だけではもったいないです。

 さて再び猿橋駅に戻り、次は1駅東京よりの鳥沢駅まで電車で移動します。
ここには上鳥沢宿と下鳥沢宿の2宿で合わせて鳥沢宿を成していました。
近代的なデザインのJR鳥沢駅から大月寄りに上鳥沢宿、八王子寄りに下鳥沢宿があります。
近くまで行くと、周りの建物から宿場の雰囲気を感じます。
駅前から国道に出てすぐ左にある趣のある建物が、叶屋です。

 さらに進むと、上鳥沢のバス停があります。
ここ上鳥沢宿は東西6町17間(約685m)わたる宿場町で、本陣1軒と脇本陣2軒、そして13軒の旅籠屋を有していました。
宿場に備わる問屋は、上鳥沢宿と下鳥沢宿のそれぞれに置かれ、15日交替で業務が行われていました。
今も風格のある建物が軒を連ねています。

 ここでUターンして、今度は下鳥沢宿に向かいます。
駅を越えて下鳥沢宿への道中にも、古くから立っていたと思われいまだ現役の家々があります。
決して華やかさはなく静かですが、確実に人々が活動しています。
立派な看板がをあはっている掲げている畳屋が見えます。
その畳屋を通り過ぎると、左手に赤い鳥居の「福地八幡神社」があります。
寛平年間(889年〜898年)の創建で、扇社と称して扇ヶ峰に鎮座していましたが、1034年にここ福地にやって来て「福地八幡社」と名を改めました。

 さらに先を進んだところが、下鳥沢宿の中心です。
こちらは東西に4町30間(約495m)の大きさで、本陣が1軒に脇本陣が2軒、旅籠屋は11軒あり上鳥沢宿とほぼ同じ規模を誇っていました。

 さて、犬目宿、鳥沢宿、猿橋宿と、それぞれ十二支の名前が付けられています。
特に犬鳥猿と並ぶことから、この辺りには桃太郎伝説が残っています。
桃太郎と言えば吉備団子が有名な岡山が真っ先に思い浮かぶのですが、実はこの地方にも岩殿山の鬼の洞窟などがあって、桃太郎のゆかりの地として知られるところなのです。

 本日は甲州街道の宿場町を巡ったのですが、行きたくとも普段はなかなか訪れることのできなかった猿橋に来れて、満足しています。
もう少し天気が良ければ、さらに面白かったのかも知れませんが。

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