にっぽんの旅 関東 東京 四ツ谷

[旅の日記]

神楽坂から四ツ谷まで 

 今回は、東京の山手線内を散策します。
まずは、中央線沿いの飯田橋を訪れてみます。
皇居外堀に沿ってそびえるビル群は、東京理科大学です。
そのひとつ「近代科学資料館」に寄ってみます。
ここには手動式の計算機「タイガー計算機」があります。
そういえば通っていた中学校に計算機実習なる授業があって、世間の中学がそろばんを習っている時間に、われわれはこの「タイガー計算機」で遊んでいたことを思い出します。
展示されているのは、計算用算木や曲げることのできるロールそろばん、アナログ微分解析機、当時としては画期的だが馬鹿でかいプログラム電卓CASIO AL-1000など、興味津々のものばかりです。

 そういえばこの辺りに巨大な餃子を出す店があった、という記憶をもとに店を探します。
なんせ40年程前のことですから、まだ潰れずに店が残っているのか。
幸運にも店は現存しており、しかも巨大餃子をいまも作っているようです。
店先のディスプレイには「20人前のジャンボ餃子、1時間で全部食べると無料」の文字が。
若いころと違い、いまとなっては挑戦する自信すらありませんが。

 そして駅の北側、「近代科学資料館」と「ジャンボ餃子」の店を挟む斜面には、大正時代に栄えた花街である神楽坂があります。
ここに高田穴八幡の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したことから「神楽坂」の名がついたと云われています。
小路が続き静かな街が広がります。
とても都心とは思えないような雰囲気のある一角です。

 朱色と白のお堂があるのは、「毘沙門天 善國寺」です。
1595年に日惺上人により、馬喰町に創建されました。
火災に見舞われたことから、1793年にこの地へ移ってきました。
芝正伝寺、浅草正法寺とともに、江戸三毘沙門と呼ばれています。

 それでは駅の南側に移り、そこから隣の市ヶ谷駅方向に歩いて行きましょう。
飯田橋駅の西口は、早稲田通りが牛込橋を渡っています。
この辺りの牛込見附跡は江戸城内郭外郭の城門にあたり、1639年に建造されたものです。
かつては2つの門を直角に配置したいわゆる枡形門でしたが、1902年に取り除かれています。
そこから、「國神社」に向かいます。

 「國神社」は1869に明治天皇によって建てられた「東京招魂社」が始まりとして、1879年に「國神社」と改称されて今に至っています。
明治維新、戊辰の役、西南の役、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などで、国のために落とした尊い命を弔っています。
中国が神経質になっているように大東亜戦争の戦犯を囲い込んでいる訳ではなく、広く日本のために働いた人を祀っているところなのです。
大きな鳥居を潜って、「國神社」の境内に入っていきます。
そこには「大村益次郎」の銅像が迎えてくれます。
幕末期の長州藩の医師で、維新の十傑の一人に数えられている人物です。
兵部省の初代の次官で、事質上の日本陸軍の創始者なのです。
さすがに多くの軍人が眠る神社です。
先に進むと、そこには堂々とした拝殿が構えています。
そして拝殿を覆うように、左右に向けて菊花紋章が付いた幕が張られています。
現在ここには、250万柱にもおよび戦没者が祀られているのです。

 ここからさらに、四ツ谷駅に向かいます。
JR四ツ谷駅から東京メトロ新宿線の四ツ谷三丁目駅のとの間に、おもしろいたいやき屋があるので行ってみます。
ご存知のあんこを鯛の形をした小麦粉で溶いた生地で包んだお菓子です。
たいやきの元祖は麻布十番にある「浪花家」と言われていますが、ここ四ツ谷にも「わかば」という店があります。
鯛の型には2種類あって、複数の鯛の型が刻んであり複数のたいやきを一度に焼き上げる「養殖物」と呼ばれるものと、1尾ずつ型が独立しておりそれぞれを回転させながら焼き上げる「天然物」と呼ばれる焼き型があります。
効率の良いことから多くが「養殖物」になったなか、今となっては珍しくなった「天然物」にこだわり続けている店なのです。
2名の焼き手と、型の隙間から流れ出た生地の焦げた部分を丁寧に鋏で切り取るおばあさん、それに売り子の4名がせっせとたいやきを作り続けています。
1尾ずつ焼いているため時間がかかり、結局30分かかってやっと順番が回ってきました。
せっかく待ったのに、注文したのは1尾だけです。
店の片隅にはテーブルがあり、その場で焼けたばかりのたいやきを食べる頃ができます。
その1尾を皿に盛ってもらい、席に着きます。
「天然物」だけあって、カリカリした生地の食感と味を楽しめたのでした。

 小腹を満たして、「迎賓館」に向かいます。
「赤坂離宮」にある「迎賓館」は、外国の元首や首相など国の賓客に対して、接遇を行うために造られた施設です。
洋風の白と金の門の先には、広い石畳の主庭の奥に城のような本館が見えます。
ここで、首脳会談や晩餐会などの公式行事が行われることでしょう。
この「迎賓館」をもって、本日の散策は終了です。
 さてここで、再び庶民感情に戻ります。

最後に今来た道を電車で戻り、神保町駅に移動します。
「江戸の三味」のひとつにも数えられるてんぷらを、神保町の「はちまき」まで食べに行きましょう。
全国的に食べられるてんぷらですが、日本橋の魚河岸で商われる魚介類をごま油で揚げる「ゴマ揚げ」が庶民の間に広まっていったとされています。
いつもは列ができる天ぷら屋ですが、夕食としては早めに店に入ったおかげで、すぐに席に着くことができました。
頼んだのはえび天丼です。
ご飯の上に盛られたてんぷらに、醤油ベースの出汁をかけて出される天丼は、卵とじが主流の関西では食べられないものです。
美味しいものを食べると笑顔が出てくるとはよく言ったもので、江戸の庶民になったひと時でした。

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