にっぽんの旅 関東 東京 水道橋

[旅の日記]

水道橋から御茶ノ水 

 本日は後楽園を出発して御茶ノ水までの散策です。
後楽園に着いたのは前日の夜。
東京ドームでは都市対抗野球が繰り広げられており、その横の東京ドームシティのジェットコースターからは絶叫とも言える黄色い声が響いていました。

 さて仕切りなおして、翌朝が今回の散策の始まりです。
春日駅・後楽園駅の脇にある檪川公園には、春日局像があります。
徳川家光の乳母であった齋藤福(春日局)を祀って建てられたものです。

 この後楽園近辺には、著名人の旧家が数多く立ち並び、そのいくつかを訪れることにします。
春日駅から鎧坂、菊坂と進む途中に、樋口一葉の住居跡があります。
入り組んだ道である上に、奥まったところにあるので、探すのに一苦労しました。
おまけに周りは一般の人が住んでいる住居で、路地で油を売っている人を超え路地を塞いでいる自転車を避けながらの探索です。
きょろきょろしているのを怪しまれないように、平静を振舞いながら探しまわります。
そして狭い通りを超えたところに、お目当ての住居跡がありました。
井戸の先の階段のわきが、樋口一葉の住居跡です。

 さらに炭団坂を登る途中には、辞書で有名な金田一京助・春彦の住居跡があります。
旧家は、急な坂に食いつくように建っていました。
確かこの近くには宮沢賢治の住居跡もあるはずなのですが、こちらの方は見過ごしてしまったようです。

 坂を登り切り本郷通りに出ると、水道橋駅方向へ足を運びます。
神田川沿いに本郷給水所公苑と水道歴史館があります。
ここには神田上水石樋復元施設が再現されています。
古くは神田、日本橋、京橋等に給水していましたが、新多摩川上水の完成とともにその役目を終えています。

 さて再び本郷三丁目まで北上し、そのまま北に向かって本郷通りを歩いていきます。
右手に赤煉瓦の塀が見えると、ここは日本が誇る東京大学です。
赤門を抜け、校内に入っていくことにします。
古いたたずまいの校舎を抜けていくと、その奥には安田講堂があります。
そう、学園紛争のときに度々テレビに登場したあの建物です。
安田財閥の創始者である安田善次郎の寄付により造られ、彼の暗殺後に安田を偲び現在の呼び名になっています。

 大学いもという食べ物がありますが、実はこの東京大学から来た言葉なのです。
大学の前の氷屋「三河屋」があり、夏の間は氷菓子で商売ができるのですが冬場にできる商売として選んだのが芋でした。
揚げたさつま芋に蜜をからめて売ったところ、人気が出ました。
残念ながら今では店はありませんが、大学いもの名は日本中に広まっています。

 ここで再び本郷三丁目に戻り、今度は春日通りを東に進みます。
先に檪川公園で見た春日局の墓が、麟祥寺にひっそりと祭られています。
さらに東へ進めば、学問の神様を祀る通称湯島天神です。
正式名称を湯島天満宮というこの神社は歴史も古く、458年に天之手力雄命を祀る神社として創建されたと言われています。
そして学問の神様だけあって、合格祈願を記した数多くの絵馬が奉納されています。
この日も数名の学生が訪れていました。

 次も神社で、湯島天神から神田駅方向に南下すればこれまた有名な神田明神があります。
730年に大己貴命を祖神として祀ったのにはじまります。
江戸三大祭りの1つである天下祭が行われるのも、ここです。
朱色の隨神門を入っていくと、これまた眩しいほどの赤い神殿が目に飛び込んできます。
敷地内に銭形平次の碑があるのも、実にユニークです。

 そして本日の最後に訪れたのは、神田明神から神田川に架かり放物線を描く聖橋を超えたJR神田駅側にあるニコライ堂です。
ロシア人修道司祭聖ニコライが同じくロシアの建築家ミハイル・シチュールポフに設計させた緑の丸い屋根の建物は、ビルが立ち並ぶここ御茶ノ水でも、ひときわ目立つ存在なのです。
正式名称は東京復活大聖堂で、イエス・キリストの復活を記念する聖堂です。
この重要文化財にも指定されているこのニコライ堂で本日の散策は終了で、足にできてしまった水膨れを直すために今日はおとなしく寝ることにします。

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