にっぽんの旅 関東 東京 巣鴨

[旅の日記]

巣鴨 

 今日の出発点は大塚です。
都会の中でありながら、未だに都電が走っています。
この過密都市東京で、よく路面電車が生き残っているものです。

 線路に沿って北上して行くと、やがて庚申塚が現れます。
ここは江戸時代、中山道の立場として賑わったところです。
今は路地の角に入口の鳥居だけ見えるだけです。

 さてここで右手に歩く方向を変え、巣鴨駅方向を目指します。
ババシャツに代表される年寄りの街 巣鴨地蔵通商店街を歩いていきます。
なにげない商店街ですが、なにを隠そうこれこそが旧中山道なのです。
それを知れば年寄りの街なんて、馬鹿にしてはいられなくなることでしょう。

 ほどなく歩くと、左手にとげぬき地蔵で有名な高岩寺が見えてきます。
寺の前には露店が並び、朝の9時前だというのに今にも祭りが始まりそうな雰囲気です。
高岩寺は扶岳太助が1596年に江戸湯島で創建し、1891年巣鴨に移ってきました。
そしてとげぬき地蔵といわれるように、御本尊は延命地蔵尊です

 江戸小石川に田村という人がおり、そこに地蔵尊に信仰が厚い妻とともに住んでいました。
妻は男の子を出産した後、重い病に見舞われ床に臥してしまいます。
手足は「細き竹のごとく」にやせ細ってしまい、医者が手を尽くしますが一向によくならず、遂には臨終を覚悟します。
夫は地蔵尊にすがるほかないと、日々病気平癒の祈願を続けました。
ある日夫が見た夢は、黒衣に袈裟をかけた一人の僧が現われ、「自分をを一寸三分に彫刻して川に浮かべなさい」と言います。
夫が難いと答え眼が覚めると、枕元には地蔵菩薩の御影がありました。
それから夫は宝号を唱えつつ1万体の御影を作り、両国橋から祈願しながら河水に浮かべます。
翌日の朝、妻の呼ぶ声に病床へ急いで行ってみると、「枕元に死魔が現われたのですが、錫杖を持った黒衣のお坊さんが、死魔を突き出しました」と告げます。
それから重かった夫人の病は日一日と快方に向かい、ついには床を離れることが出来ました。

その後この霊験を話していると、話を聞いている中に毛利家に出入りする西順という僧がいました。
そして「是非その御影を頂戴したい」と言ったので、持っていた2枚を与えます。
ある日毛利家の女中の1人が、誤って口にくわえた針を飲み込んでしまったことがありました。
女は苦しみますが、医者も手の施しようがありません。
そこに西順が来て、地蔵尊の尊影の1枚を水で飲ませます。
すると、間もなく女中は腹の中のものを吐き、飲み込んだ針が地蔵尊の御影を貫いてでてきたのです。

 これが、高岩寺がとげぬき地蔵として信じられてきたことを示す所以です。
境内に足を踏み入れてみると、境内の片隅の土産物屋の脇に延命地蔵尊が立っています。
自分の体の痛いところに触ると、痛みが治まると言われており、来る人が絶えません。
これが巣鴨を年寄りの街に変えてしまった根源なのです。
巣鴨がぴったりなこのお寺ですが、元々は湯島にあったものを1891年にこの地に移したということです。

 高岩寺よりも巣鴨駅よりの道向かいには、眞性寺があります。
別名が江戸六地蔵のこの寺の境内には、六地蔵があります。
1706年から14年の間に江戸六街道の入口に作られた地蔵尊のうちのひとつですが、詳しい建立年代は不明だそうです。

 さてこのころには巣鴨地蔵通商店街のあちらこちらで店が開き始め、さながら昔の中山道の賑わいを取り戻してきたかのよに思えたのでした。

旅の写真館