[旅の日記]
昭和のノスタルジーに浸れる青梅 
東京の西に青梅があります。
青梅マラソンが有名なので名前は知っていますが、さて何があるのでしょうか。
調べてみると昭和のノスタルジー漂う街ということです。
では早速、訪れてみましょう。

立川から延びるJR青梅線に乗り30分余り、奥多摩への入口となる青梅駅があります。
駅に3面あるホームから改札口には、地下通路を通って行きます。
その地下道に最初の昭和があります。
映画の看板がここには残っています。
「終着駅」、イタリア映画の「鉄道員」、そして邦画の「鉄道員」が描かれています。
青梅駅が地方の駅ながら、3階建ての立派な駅です。
ただし人が多いわけでもなく、ロータリーはガランとしています。
観光案内書がありますのでここで街歩きをするための地図をもらい、いざ出発です。
旧青梅街道を通って、駅の東側を中心に巡ります。
車の流れはありますが、街での人の姿はまばらです。
さらに東に向けて歩いて行きます。

祭り用品が並び店があります。
提灯や半被など、どこに行けば手に入るのかといったものばかりです。
そして金物屋もあります。
ホームセンターが拡がり個人店を見ることがなくなった金物屋ですが、青梅ではしっかり生き残っています。
自転車屋の隣りから続く脇道は「雪守横丁」です。
民家の境を縫うようにした細い通路です。
中に入るとパロディーを入れて描かれた映画の看板、猫のアートが飾られています。
どうやらここは猫一押しの町のようです。
道の左側に「住吉神社」があります。
丘の上の拝殿に向かって長い石段が延びています。
1369年に季龍和尚が故郷の住吉大社を勧請したことに始まります。
1513年には領主の三田氏宗・政定父子が拝殿を再建し、青梅村の総鎮守とされてきました。
今残る本殿と拝殿が一体化した社は、江戸時代に造営されたものです。
そして「住吉神社」の鳥居のところにおもしろいものがあります。
変わった形をした電話ボックスで、時計が掲げられた樹木のオブジェが建っています。
「怪人二面相」に猫の絵を入れた「怪猫二面相」の看板が掲げられています。
見に来る価値がある作品です。
さらに進むと「昭和レトロ商品博物館」があります。
ここには昭和のおもちゃや再現された駄菓子屋、大箱のマッチ、紙芝居など、懐かしいものが所狭しと並んでいます。
ベったん(めんこ)やベったんとして使った牛乳瓶のふたが展示されています。
そういえば給食の牛乳を飲んだ後のふたを集めていましたね。
牛乳臭かったことを思い出します。
もちろんここにも、映画の看板が掲げられています。
2階にはこの地方を描いた妖怪図鑑や雪女の書籍が並んでいます。

「昭和幻燈館」は、青梅が力を入れている猫の館です。
かわいいキャラクタに化した猫たちが並んでいます。
仁丹や足袋の宣伝を猫でパロディー化した看板もあります。
感心したのは「青梅宿幻想」という名の模型です。
細かい作業で、猫町通りの夜の風景が再現されています。
実はこの辺りには「青梅赤塚不二夫会館」がありました。
これまで見てきたように映画の看板で町おこしをしている青梅市が、目をつけたのが赤塚不二夫です。
映画看板の仕事に携わった経験がある赤塚不二夫に白羽の矢を立て、2003年に開設した美術館です。
ちなみに赤塚不二夫が青梅に済んだことがあるかと言えば、何の関係もありません。
しかし残念ながら、既に閉館していたのでした。
「旧青梅街道」から道を逸れたところにあるのが、「青梅宿 津雲邸」です。
1893年に津雲國利は、西多摩郡青梅町上町(現東京都青梅市)で生まれました。
安田銀行、古河銀行、下野銀行を経て、衆議院議員を務めました。
建物は1931年のもので、瓦葺入母屋造の建物です。
その向かいには「住吉山 延命寺」があります。
多摩青梅七福神ののぼりが挙がっています。
七福神ひとつにもなっており、祠の台のうえに小さな七福神石像が祀られていました。
再び「旧青梅街道」に戻ります。
道端に巨大な猫を模った建物があります。
「青梅猫町倶楽部館」で、ここも猫になっています。
さらには「シネマネコ」という名の映画館にも足を延ばしたかったのですが、今回は行くことができませんでした。
改めて出直すことにします。
旅の写真館(1)