にっぽんの旅 関東 東京 三田

[旅の日記]

高輪から三田まで 

 本日は都内を散策してみます。
出発はJRや京浜急行の品川駅です。
いまや巨大なビルが建ち並ぶ、ビジネス拠点です。
この品川から東海道を下って行く紀行記は別のところに書きましたので、本日はぶらりと三田方向に進んでみます。

 まず訪れたのは、「グランドプリンスホテル高輪」の表玄関です。
1911年に建設された洋館は、武田宮恒久王が住まわれた旧武田宮邸です。
玄関脇にはこの建物に雰囲気がピッタリ合った車が停まっています。
ジャガーMARK1でしょうか。
レトロ感が満載の建物と車だったのです。

 この辺りの高輪は、江戸時代には町はずれで、高台には諸藩の下屋敷(別荘)が置かれるような場所でした。
明治に入ると財界人の邸宅が建ち並び、高級宅地と化していきます。
新幹線の停車駅である品川が近いことから、今ではホテルやマンションが建つ商業地域になってしまいましたが、1歩中に入ると静かな街並みが残っています。

 それから高輪公園を抜けたところには、「東禅寺」があります。
1609年に嶺南崇六が現在の東京都港区赤坂に創建した寺で、この地には1636年に移転してきました。
江戸四箇寺のひとつで、幕末には西洋人用の宿舎に割り当てられていました。
そして日本初のイギリス公使宿館がこの場所に置かれましたが、ここで事件が起こります。
駐在していた公使ラザフォード・オールコック付きの通訳が、門前で待ち伏せていた2人の侍に殺害されます。
1860年1月のことです。
翌年には水戸藩浪士によって寺が襲撃される第一次東禅寺事件が勃発します。
さらに翌年の1862年には、護衛役の信濃松本藩藩士 伊藤軍兵衛によって再び襲撃され、この時はイギリス人水兵2名が殺害されました。
俗にいう第二次東禅寺事件なのです。
痛ましい歴史を持ちながらも、いまは静かにこの地にある寺院です。

 「東禅寺」を越え住宅の脇の小径を通って行くと、急な上り坂に出会います。
ここが洞坂で、坂を上り切ると少し賑やかな通りに出ます。
東に歩き高輪警察署の前には、おもしろい形の建物があります。
丸い塔をもつこの建物は、高輪消防署の二本榎出張所です。
1933年建設の歴史ある建築物で、突き出た塔は火の見櫓だったのです。

 高輪消防署二本榎出張所で通りを右に折れ、少し歩いたところに趣のある建物があります。
どうやら、カステラや羊羹を商う店のようです。
「とらや」の文字がありますがこちらは高輪虎屋で、和菓子で有名な虎屋とは全くの別物なのです。

 その先には、マンションの脇にある石碑が目に入ります。
よく見ると「大石良雄 自刃の跡」と書かれています。
赤穂浪士の大石良雄(大石内蔵助)ら17人は熊本藩細川家の下屋敷預けられ、彼らが切腹した場所です。
ちょうど「泉岳寺」の裏手に当たり、彼らはその「泉岳寺」で手厚く弔われています。
こうして歩いていると、赤穂浪士の話は赤穂はもとより泉岳寺や両国でも度々出てきます。
ここも赤穂浪士のゆかりの地のひとつなのです。

 さらに歩いて行くと、一筋奥に入ったところに小学校の敷地のような広い土地があります。
塀に囲まれ中を覗くことはできませんが、「高松宮邸」です。
そこからほど近い道端の角に、豆大福で有名な店があります。
立ち寄ろうと思っていましたが、大福を求める人の列ができていましたので、今回は遠慮することにして先を急ぎます。

 「魚籃寺」は、その先にあります。
面白い名前なので寄ってみましたが、朱色の山門が迎えてくれます。
中国がまだ唐の時代、美しい乙女の姿をした仏が現れ、竹かごに入れた魚を売りながら仏法を広めたという故事に基づいて造形された観音像があります。
その「魚籃観世音菩薩」が本尊に祀られていることから、「魚籃寺」と呼ばれています。
称誉が1652年に観音堂を建てたことがこの寺の興りですが、その前身は豊前国中津にある円応寺に建立された魚籃院から来ています。

 ここから寺が並びます。
三田の寺町と呼ばれるところで、「常林寺」もそのひとつです。
国道1号線から1筋入ったところですが、たったそれだけで思いのほか静かなのです。
その先国道はくの字に曲がりますが、そこをあえてまっすぐ突き進みます。

 やがて味のある建物があるのですが、ここは居酒屋なのです。
銅板が貼られた2階の壁は、緑青色に輝き趣があります。
その先は、慶應義塾大学の敷地です。
今回は大学には入らず、先の坂を上っていきます。
そこにあったのは「綱町三井倶楽部」です。
1913年に三井家が造った別邸で、大きな敷地にあるゴシック造りの2階建洋館です。
会員制倶楽部のため中に入ることはできず、門の外から覗く限りです。
  日向佐土原藩中屋敷跡に建てられたもので、隣の慶應義塾大学は島原藩中屋敷とこの辺りは大名屋敷がずらりを並ぶところだったのです。

 品川から三田(田町)までの道草の多い散歩でした。
JRの品川・田町間には新駅もできようとしており、手ごろな距離の散策となったのでした。

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