にっぽんの旅 関東 東京 駒込

[旅の日記]

駒込・千駄木 

 本日は、駒込周辺の探索です。
スタート地点の王子神社は、王子駅の北側2〜3分のところにある神社です。
鳥居のある正面は幼稚園の入り口になっており、眼の前の石段の上には拝殿が見えているにも関わらず行くことができません。
多角経営のあおりでしょか、脇の坂道を上っての参拝になりました。

 さてここからは、王子駅南側の飛鳥山公園まで一気に歩きます。
徳川吉宗が享保の改革の一環として整備した場所で、春になれば桜の名所としても有名です。
小高い丘の上まで登ると、周りの人ゴミは全くに気ならず、緑いっぱいの遊歩道が目の前に開けます。
また公園内には、飛鳥山博物館、紙の博物館とともに、実業家 渋沢栄一の旧邸である晩香廬と青淵文庫が保存、公開されています。
晩香廬は客の接待に用いられた洋風茶室で、喜寿のお祝いとして贈られたものと聞いて、びっくりです。
また青淵文庫の方はと言えば鉄筋2階建の書庫で、こちらも渋沢の傘寿と子爵昇爵のお祝いの贈り物だそうです。
「うーん、自分のお祝いにも屋敷をくれる人はいないものか?」と考え込んでしまったのでした。

 本郷通りを駒込方向に歩いて行くと、滝野川署に出くわします。
次の目的はこの警察署ではなく、そこを左折したところにある七社神社です。
ここを訪れることにしたのは、珍しく境内に孔子・孟子像があると聞いたからです。
鳥居を入り本殿にお参りすると、その左手に石像があることに気付きます。
古河家が寄進したとされる孔子・孟子の像です。
そして七社の名の通り、その隣には菅原・三峯神社、稲荷神社、天祖神社などが軒を並べています。
その先に眼をやると、立派な舞殿があるのです。
そして手摺の所には、かわいい十二支の焼き物が並んでいます。
「ご自由に1つお取りください」の言葉に、私も自分の干支をいただくことにしました。
なんかお参りに来たのに、すごく得した気分になったのでした。

 さらに南下して行き、お札の印刷所である印刷局滝野川工場を過ぎ、やがて次の目的地である旧古川庭園に差し掛かったところで、古風な団子屋を見つけました。
小さなお店ですが、昔のままのたたずまいを今に伝えています。
そして見えて来たのが、旧古川庭園です。
もともと陸奥宗光の別邸だったものを、古河財閥が整備したものです。
ジョサイア・コンドル晩年の作であるレンガ造りの洋館は、1917年のものです。
事前に予約をしていなかったものですから建物の中を見ることはできませんでしたが、外から見る洋館の姿と、その周りに広がる庭園を眺めるだけでも十分価値はあります。
庭園は、フランスの城がそうであるように、左右対称に通路を植木で模った幾何学模様のものです。
そしてその奥には、日本庭園がどこまでも広がっています。


 古川庭園の次はこれまた六義園と、庭園の2連発です。
駒込駅を越えたところに、六義園はあります。
煉瓦造りの壁が続くその奥に、この庭園はあります。
こちらは1702年に川越藩主柳沢吉保が自ら設計した回遊式築山泉水庭園です。
小石川後楽園と並び、この辺りの二大庭園と称されています。
園内は中央に池をたたえ、青々とした芝生と枝ぶりが立派な松の豊かなところです。
しかし一歩道をそれると、これが都内かと思ってしまいそうなうっそうとした林の中に入ってしまいます。
所々に設置されているベンチで、ゆっくりくつろぐことにします。

 さてここからは小さな見所が続きます。
六義園を南下し富士神社の角で、千駄木駅方向に進路を変えます。
富士神社そしてその先の天祖神社ともに今晩のお祭りの準備で、屋台の準備が始っています。
そして天祖神社の入り口付近には、駒込名主屋敷が残っており、今も民家として利用されています。
さらに進むと、子供達の屋敷であるファーブル昆虫館、高村光太郎の旧居跡の札、そして旧安田楠雄邸があります。
なかには眼を凝らして探さなければ見過ごしてしまうものもあります。
そして団子坂を下り切ったところが、千駄木駅です。

 最後の見所である「串揚げ処はん亭」に行こうとしたのですが、それらしき建物が見当たりません。
それもそのはず、お目当てのものは1駅先の根津駅にあるということが判ったのです。
車の通りの多い不忍通りを、流れに任せて上野方向にぼちぼちと歩き始めました。
この辺はちょうど東大の裏手に当たるところです。
やがて根津駅に着き、通りを一筋東に入ったところに串揚げ処はん亭はありました。
元々は下駄の爪皮の店だったところで、木造ながら3階建てで切り立った独特のたたずまいは、明治から大正にかけて建てられたものです。
やがて日も暮れ出し、はん亭の室内から漏れる灯りが風情を出していたのでした。

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