にっぽんの旅 関東 東京 八丈島

[旅の日記]

東京の楽園 八丈島 

 東京都の離島 八丈島にやってきました。
東京からは船なら11時間、飛行機では1時間足らずで行くことができます。
今回は訪問日の前後に予定が入っていましたので、飛行機での行き来です。

 東京羽田空港を飛び立った飛行機は、30分もすれば早くも着陸態勢に入ります。
と、そこに真っ黒な雲が現れます。
雲を抜けたときには空港の滑走路の上で、まさに着陸寸前です。
このまま着陸かと思ったのもつかの間、けたたましいジェットエンジンの音とともに急上昇を始めたのです。
何事かと不安になったその時、機内に「状況は今から確認しますが、着陸をやり直します」とのアナウンスが響きます。
どうやら雷雲を抜け滑走路が見えたときには、短い八丈島空港の滑走路には停まり切れない状況だったようです。
上空を旋回して、天候回復の機会をうかがっているようです。
そして2回目の着陸は、雲があるものの白い雲の中に突っ込みながら、無地着陸できたのでした。

 空港からは1日6便のバスがあるのですが、時間が合わないためタクシーを探します。
そして、行き先は大里地区です。
この辺りには「玉石垣」と呼ばれる見事なほどに丸い石が道端に積まれている状況を見ることができます。
波で転がっているうちに角が取れたまん丸の石が積み上げられた風景は、独特のものです。
1個の石をおにぎり1個で運んだという逸話も残っています。

 「ふるさと村」には、八丈の茅葺屋根の民家が残されています。
母屋の中には囲炉裏があり、火か灯っています。
天井から延びすすで真っ黒になった竿に鍋がかけられ、お茶のための湯が沸いています。
タクシーの運転手が言っていた通り、ここでお茶をいただくことができます。
お茶とともに出されたのは、イモです。
これも運転手が「運が良ければ、さつまいもを出してくれるよ」と言っていたのはこのことでしょうか。
ただ、さつまいもというより、どう見てもサトイモなのですが。

 高床式倉庫も残されています。
高温多湿の八丈島の気候とネズミの被害から避けるために、この地方では高床の建物が主流でした。

 「ふるさと村」を出ると、近くに「優婆夷宝明神社」があります。
八丈島を開いた事代主命の妃と王子を祀る神社です。
ここからは、「八丈島歴史民俗資料館」に向かって歩いて行きましょう。
道路の脇には、街路樹としてハイビスカスが植えてあり、真っ赤な花をつけています。

 そしてその先に、「八丈島歴史民俗資料館」があります。
この建物は元は東京都八丈支庁舎だったこともあり、廊下に部屋が並ぶ様は学校のようです。
館内には島民の生活の説明や道具の展示がされていますが、その中で一番印象に残ったのは八丈島が流人の島であったということです。
流人の第1号として数えられるのは、関ヶ原の戦いで西軍石田三成方に属した宇喜多秀家です。
東軍の勝利の後、秀家は流罪として八丈島に流されます。
その後も多くの流人がここ八丈にやってきて、流人の数は1898名ともいわれています。
ただ多くは政治犯であったため、教養は高く島民からは尊敬され仲良くやっていったということです。
またウミガメのはく製も展示されています。
運が良ければ八丈島では本物のウミガメに出会えるということで、楽しみです。

 さらに八丈島の中心である旧町役場方向へと、八丈一周道路を歩いて行きます。
途中には流人の「宇喜多秀家住居跡」があります。
今では石碑が建っているだけですが、その周りは玉石垣で見たような丸い石で囲まれています。

 旧町役場の先に「護神山公園」があります。
そこに焼酎を称えた酒壺を並べた「島酒の碑」があります。
薩摩国阿久根で回漕問屋を営んでいた丹宗庄右衛門は、江戸の問屋の密告により捕えられてしまいます。
15年の刑が言い渡され八丈島に流されてきたときには、島では禁酒令敷かれていました。
ただでさえ貴重な穀物を酒造りに使うと、飢饉を招く恐れがあったからです。
そこで庄右衛門は島にあったサツマイモから焼酎を造る技術を島民に教え、島では大いに感謝されました。
刑期を終えた彼は赦免され阿久根に帰りますが、亡くなった後も庄右衛門を称えた島民が造ったのがこの「島酒の碑」なのです。

 ふと南を見渡すと「三原山」がくっきりと見えています。
八丈島は北の「八丈富士」そして南の「三原山」と島の両端に2つ山がそびえ、「ひょっこりひょうたん島」のモデルにもなった島です。
明日は「三原山」を探索しようと心に決め、本日は宿に入るのでした。

 その夜は、八丈島名物の「島寿司」を食べに行きます。
白身の魚を醤油だれに漬け込み、ワサビではなく練りがらしをつけて握ったものです。
予め味がついていますので、そのままかぶりつくことができます。
小さめのシャリに獲れたての魚が乗っている寿司は、美味しさがぎっしり詰まった一品です。
そして魚以外ではこれも八丈島特産の「島海苔」を乗せた握りもあり、八丈を目いっぱい味わうことができたのでした。

 翌日は朝から車を借り、島の南側を巡ります。
車があるので、行動範囲が一挙に広がります。
昨日訪れた大里地区を通り過ぎ、八丈一周道路を通って島を反時計回りに進みます。
「大坂トンネル展望台」からは「横間海水浴場」を眼下に見下ろし、そして先の海上には八丈小島が顔を覗かせています。
気持ちの良いほどの真っ青な海です。

 それではさらにその先に進みましょう。
途中「黒砂砂丘」という看板が見えましたので、看板の矢印が指し示す小道へと車を進めます。
正式名称が「六日ヶ原砂丘」と呼ばれるところです。
やがて車の乗り入れができなくなり、そこからは下車して歩きます。
急な上りの坂道を歩いて行くのですが、上り切ってヘトヘトになったtころから先はやぶの中に道が消えて行ってしまいます。
せっかく上ってきたもののこれから先には進む勇気がなく、あえなく退散してしまいました。
たぶんこの先には黒い砂が積もって造られた丘があったに違いありません。
気を取り戻して、再び車は走り出します。

 「服部屋敷」は、江戸時代に幕府御用船を管理していた服部家の屋敷跡です。
屋敷を囲む塀は玉石垣で築かれており、当時の華やかだった服部家を物語っています。
敷地内には樹齢700年と言われる巨大なソテツの木があります。
当時の屋敷は残っていませんが、ここで八丈の郷土芸能である「樫立踊り」と「八丈太鼓」が催されています。

 その先を、さらに車は進みます。
中ノ郷に、本日行きたかった1〜2を争う場所があります。
それは「裏見ヶ滝」で、通りからはヘゴシダの茂るジャングルを5分ほど歩いた先にあります。
ジャングルと言っても、上り下りはありますが歩道が整備されていますので安心です。
やがて滝が見えてきますが、歩道はこの滝の裏を通っています。
滝を裏から眺めることができることから「裏見ヶ滝」と呼ばれるようになりました。
水が流れ落ちる中を悠然と歩くのは、気持ちが良いものです。
もちろん正面から見た滝も、美しいことには変わりありません。

 先ほどの「裏見ヶ滝」への入口辺りに、「裏見ヶ滝温泉」があります。
自然を眺めながら入ることのできる無料の風呂です。
ここは混浴の露天風呂で、温泉にしては珍しく水着着用で入らなければいけません。
せっかくなので、入浴していきます。
温泉からは、下方向の左右にそれぞれ滝が見えます。
大自然の中で湯に浸かることは、実に気持ちの良いものです。

 温泉にも浸かり「黒砂砂丘」での疲れも取れたので、車は先に進めます。
「裏見ヶ滝」と同じ中ノ郷には、もうひとつ寄りたいところが山手にあります。
それは「八丈島地熱館」です。
東京電力の地熱発電所で、湯気を上げる発電機の横に地熱発電の資料館が併設されています。
二酸化炭素を排出せず海外からのエネルギーに頼る必要のない地熱発電の重要さが、説明されています。
地震大国の日本だからこそ、あり余る地熱を積極的に利用したいものです。

 その後も、車は南に進みます。
途中「シンノウヤシ」の群生するところを通ります。
ソテツのような羽状の葉をもち、トゲトゲの幹の「シンノウヤシ」が至る所に生えています。
南国を思わせるよな風景です。

 やがて車は「名護の展望台」に着きます。
「洞輪沢漁港」を眼下に、太平洋を望むことができます。
どこまでも続く大海原を前にすると、あくせくした日常を忘れ大きな気持ちにさせられます。
「小岩戸ヶ鼻」まで続く白波が押し寄せる海岸線と、海のすぐそこまで迫る山の緑が美しく、絶好の眺めです。
海岸の反対側には小屋があり、その前にはコックをひねると焼酎が流れ出すと思われる焼酎のタンクがあります。
試しに出してみましたが、中は空っぽのようです。
これが使える夢のときが来るのでしょうか。

 車は少し先の末吉を目指します。
ここからは、本日のもうひとつの目玉である温泉に行きます。
その前に「八丈島灯台」に寄りましょう。
ここは八丈島最南端の石積ヶ鼻に位置する灯台です。
1951年からずっと火を灯し続け、海洋の目印となって働き続けてきました。

 そしてお目当ての「みはらしの湯」は、その先ほどなく行ったところにあります。
内風呂とその外に広がる露天風呂から成り、太平洋を眺めながら湯に入ることができます。
先ほどの水着で入る露天風呂とは違い、立派な建物の中に脱衣所も備える普通の銭湯です。
露天風呂は大きな風呂と小さな風呂があり、日毎に男女が入れ替わります。
あいにく本日の男性用は、小さい方の風呂だったのです。
とはいえ海を見ながらゆっくり入る風呂は気持ちが良く、ここまで来た甲斐があったと感じたものでした。

 温泉を十分に楽しんだ後は、海岸まで降りてみます。
「洞輪沢漁港」は人影も見ることなく、静かな港の風景を感じることができます。
港の先には「汐間海岸」、そして先ほど「名護の展望台」から眺めた「小岩戸ヶ鼻」への山々が一層はっきりと見ることができます。

 温泉に何度も入ったせいか、急にお腹がすいてきました。
と言っても、この辺りには食事をするところなどありません。
再び車を飛ばし、元来た大賀郷地区まで戻ることにします。
そこで食べたのは、八丈島で採れる「明日葉」を練り込んだそばです。
「明日葉そば」をいただき、お腹も満足した今回の旅だったのでした。
そして何よりも、完全に俗世間から離脱しゆっくりした時間を楽しむことができたのでした。

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