にっぽんの旅 関東 東京 浅草

[旅の日記]

浅草から上野 

 東京の観光名所と言えば、皇居・東京タワーなどいわゆるはとバスコースを思い浮かべますが、必ず出てくるのが浅草ではないでしょうか。
今日は改めて浅草を見て回ることにします。
といっても浅草だけではと思われる方のために、浅草から上野を回る散歩のコースです。

 古くから浅草寺の門前町として栄えていた浅草ですが、江戸時代には1657年の明暦の大火の時に、新吉原遊郭が移転してき、一大繁華街となりました。
1841年の天保の改革では、芝居小屋が浅草に移転してき、今の浅草演芸の基となっています。

 まずは浅草寺を訪れてみます。
東京都内最古の寺院である浅草寺は、元々天台宗に属していましたが、第二次世界大戦後独立して聖観音宗の総本山となりました。
観音菩薩を本尊とする浅草観音は、江戸三十三箇所観音霊場の一番札所になっています。
浅草駅からは、表参道入口である風雷神門が有名です。
これは、山門の右手に風神像、左手には雷神像を安置していることから、このように呼ばれるようになりました。
「雷門」と書かれた大きな提灯は、あまりにも有名です。

 雷門から宝蔵門に通じる表参道では、その両側には約90件の商店が立ち並び、仲見世と呼ばれています。
菓子屋、お土産屋などが、所狭しと軒を並べてます。
お店の呼び声に思わず振り向いてしまい、なかなか先に進むことができません。
観光地として海外にも知られており、外人が多いのもこの浅草の特徴でしょう。
ここで浅草名物、木村屋の人形焼を買うことにします。
カステラ生地の包みの中に、ほんのりと甘いあんこが食欲をそそります。
袋に入れてもらった人形焼を食べながら、型にはめて焼く様子を眺めてしまったものです。
 仲見世を抜けた所には、屋根が二重になった宝蔵門があります。
門の両側には金剛力士像が立っており、西側には阿形(あぎょう)像、東側は吽形(うんぎょう)像が、にらみを利かせています。
またその脇には、魔除けの意味をもち2500kgのわらを使用して作られた巨大なわらじが吊下げられています。
この宝蔵門からは、境内の本堂と五重塔を見渡すことができるのです。

 黙々と上がる線香の煙を手であおって頭に掛けながら、巨大な本堂に向かいます。
現在の本堂は、1945年の東京大空襲で焼失後の1958年に再建された、鉄筋コンクリートの造りです。
内陣中央には本尊を安置する厨子となっており、その大きさは間口4.5m、高さ6mのものです。
宮殿内部では、奥の間に秘仏本尊、前の間にはお前立ちの観音像が安置されているということですが、一般には公開されていませんでした。

 浅草寺を拝観した後は、商店街を抜けながら上野方面に歩くことにします。
商店街の隙間から高くそびえる塔が、目に飛び込んできます。
日本最古の遊園地である浅草花やしきのBeeタワーです。
6基のゴンドラが45mの高さまで上昇し、その後ゆっくりと回転して浅草の街並みを一望することができます。
狭い園内には目新しい乗り物があるわけでもなく、どちらかといえば地味な施設でもあるのですが、根強いファンがこの遊園地を支えています。

 この辺りは通称「公園六区」と呼ばれる歓楽街で、もう少し観て回ることにします。
ここには、浅草を代表するお店であるロック座があります。
数々の芸能人を生み出したストリップ劇場ですが、今は近代的なビルになっています。
その近くには、浅草演芸ホールがあります。
公園六区の中心に位置する寄席で、都内に4軒ある落語定席の一つです。
この場所からの寄席の中継番組もありますので、耳にされた方も多いのではないかと思います。
またこの近辺には、浅草演芸ホールの他にも、花やしきや12階劇場、吾妻座、國技館、凌雲閣、水族館、オペラ館など、実に30軒以上の芝居小屋があるのです。

 公園六区を過ぎると、通常の街並みに戻ります。
浅草通りをひたすら西に進み、上野公園まで1.5kmほど歩きます。
JR上野駅はかつての終着駅の面影も薄まり、増築続きの建物が物語る駅をくぐり抜けなければ思い通りのホームに行けなかったかつての複雑さもなくなってしまいました。
便利になって良いことなのですが、少し寂しい気もします。
JRのガード下には御徒町まで続く商店街、通称「あめや横丁(アメ横)」があります。
大晦日のしゃけや数の子のたたき売りでも有名な江戸の台所ですが、こちらもアメ横の入り口に大手電機店が店を構えており、庶民的な雰囲気が徐々に崩れていると思うのは私だけでしょうか。

 アメ横から横断歩道を超えると、ここは上野公園です。
正式名を上野恩賜公園と言い、東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館、恩賜上野動物園などの文化施設が集中した場所でもあります。
せっかく上野に来たのですから、西郷さんに会わない訳にはいきません。
階段を上ると、彫刻家高村光雲作の西郷隆盛像があります。
教科書で見る和服姿で犬を連れた西郷さんそのものです。

 ところで上野公園には、清水寺、東照宮などがあることをご存知でしょうか。
京都東山の清水寺、日光の東照宮のバッタものと思いきや、寛永寺の清水観音堂、そして上野東照宮がちゃんとあるのです。
いずれも江戸幕府の徳川家を祀った由緒正しいものばかりです。
そういう目で改めて上野公園を眺めると、実に多くの歴史的建造物があるのです。
旧東京音楽学校奏楽堂もその一つです。
東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)として、明治23年に日本で最初に建てられた本格的な西洋式音楽ホールです。
当初、愛知県犬山市の明治村に保存することになっていたのですが、多くの反対に合い解体後はこの地に移築されたという経緯があります。
もちろん中を観ることもできます。

 最後に公園の西に位置する不忍池に向かいます。
今でこそ都会の中の池ですが、遠く昔は東京湾の入り江であったと言われています。
前述の寛永寺が比叡山延暦寺に見立てて造られたのですが、それに対応してこの不忍池は琵琶湖ということです。
そして本物の琵琶湖にある竹生島になぞらえて、天海は弁天島という中之島を築きました。
当時は弁天島までは船で渡っていたのですが、今は石橋が掛けられ自由に行き来することができます。
島の中心には6角形の形をした弁天堂が建てられ、湖面にその姿を映しています。

 不忍池を外まきに歩き、上野公園から少し離れたところに、本日の最終目的地はあります。
ここ旧岩崎邸は、江戸時代には越後高田藩榊原家の中屋敷として建てられ、後に旧舞鶴藩主牧野弼成邸であったものを、三菱の創業者である岩崎弥太郎が購入したものです。
その後、、岩崎財閥3代の岩崎久弥が1896年に英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計で建替えました。
ヨーロッパ式の木造2階建ての洋館に加えて、寝起きを行うための純和風建築の棟続きの和館、ビリヤード場を備えた山小屋風の撞球室があります。
特に洋館は、ジャコビアン様式を基調にルネサンスやイスラム風のモティーフが数多く取り入れられています。
そして洋館の裏には壮大な庭園があり、それらを含めた当時の総面積は15000坪もあったと言われています。
この東京の真ん中にこれほどまでの土地と建物を築くとは、三菱財閥の偉大さを認めざる得ません。
都会の庭園で一休みして、1日の散策を思い返すのでした。

 さて本日の〆は、再び浅草に足を運んでドジョウをいただきます。
ドジョウ鍋に始まり柳川鍋、ドジョウのかば焼き、そしてドジョウ汁と、手を変え品を変えてこれでもかとドジョウが出てきます
こうして、東京の味を堪能したのでした。

     
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