にっぽんの旅 関東 栃木 栃木

[旅の日記]

蔵の街 栃木 

 日光や那須などの観光地が有名な栃木県ですが、本日は小江戸と称される商都 栃木市を訪れてみます。
小山で1晩を過ごし、両毛線で栃木駅に向かいます。
乗ったのは旧国鉄のオレンジと緑の色をした車両で、駅に着いても自動でドアは開きません。
今どきは地方に行けば、乗り降りするドアを脇についているボタンで操作する車両に出くわしますが、この車両はボタンすらついていません。
ドアを力任せに開くといった原始的なもので、子供や年寄りには辛いものです。
元県庁所在地であった栃木駅でさえも、このありさまなのです。
貴重な体験をしたのでした。

 栃木駅からは、「栃木カトリック教会」を目指します。
5分も歩けば、「栃木カトリック教会」にたどり着きます。
大正時代に建てられた教会で、立派で威圧感があります。
ここからは巴波(うずま)川沿いの「蔵の街遊歩道」を散策します。
栃木は江戸時代より例幣使街道の宿場町、そして舟運の問屋町として栄えてきました。
北関東の商都と呼ばれ、「蔵の街」として知られています。
そんな蔵の残る街並みを巡っていきましょう。

 少し歩くと「塚田歴史伝説館」が見えてきます。
ここの主の塚田家は弘化年間(1844〜1848)に木材問屋を営んでいた豪商です。
木材で筏を組み、巴波川から利根川を通り一昼夜をかけて江戸深川の木場まで木材を運んでいました。
行きは良いものの、帰りは三日三晩をかけた一仕事だったようです。
そんな「塚田歴史伝説館」では、蔵芝居「うずま川悲話」をロボットの人形が語ってくれます。
その昔、巴波川の神の怒りを沈めるために犠牲になった美しい少女が、橋の下に生き埋めにされました。
少女の霊をなぐさめるために、108個の燈篭を川に流して成仏させたという悲しい話です。
そしてその橋は後に「幸来橋」と呼ばれ、今も存在しているのです。

 「塚田歴史伝説館」辺りから巴波川に沿って、蔵を持つ家が並びます。
川辺の1段低くなったところに船が着けるように、船着き場が設けられています。
ここから遊覧船が発着しており、川から蔵の風景を眺めることもできます。

 一筋中に入ると、レトロな建物が目につきます。
ここは喫茶店「cafe15」という、1924年に建てられた洋館です。
ピンク色の外装ですが、中に入るとジャズが聞こえてくる格調ある店です。

 そしてその近くには、「とちぎ蔵の街美術館」があります。
通称「おたすけ蔵」と呼ばれる3連の蔵は、栃木市に現存する蔵の中でも最古の土蔵群に属する大規模な蔵です。
近江の出身の善野家のもので、延享年間(1744〜1748)に町内の善野喜兵衛より分家し、米を扱ってきました。
その他にも大名などを相手とした質商も営んでおり、栃木を代表する豪商と一目置かれるまでになります。
江戸時代末期に困窮人救済のため多くの銭や米を放出したことから、この蔵はいつしか「おたすけ蔵」と呼ばれるようになりました。
店舗と住居、土蔵が混在した栃木の典型的な商家の姿です。
館内では栃木を代表する喜多川歌麿の「深川の雪」「品川の月」「吉原の花」の絵を初め、栃木出身の美術工芸作家の作品が展示されています。

 再び、巴波川に戻ります。
対岸には、明治の豪商 横山家の「横山郷土館」があります。
建物は両袖切妻造で、左右対称の珍しい形をしています。
右側が麻蔵、左が文庫蔵で、ここで麻問屋と銀行が営われていました。
木造ながら足元の壁に岩舟石をまとい、防火対策を施した造りになっています。

 巴波川の「横山郷土館」側を進むと、「旧栃木町役場」があります。
県庁があった場所に、1921年に建てられた洋風建築です。
そういえば、「栃木県議会発祥の地」と書かれた石碑が建っています。
建物の2階には議場や貴賓室等があり、木造2階建の役場には塔屋も備わっています。
1937年に栃木市が生まれてからは、市庁舎としても使われてきました。
2015年にその役目を終えますが、今も堂々と市のシンボルとして残されています。

 さらに巴波川を上流に歩いて行きましょう。
「栃木病院」は、木造2階建ての洋風建築です。
「ハーフティンバー形式」と呼ばれる外壁は、木造の構造材を意図的に露出させたものです。
2階にはベランダもあり、一見すると病院とは思えないような洒落た建物です。

 「日光例幣使街道」を北に歩いて行くと、嘉右衛門町地区に入ります。
地区の入口にあるのが、「館野家住宅」です。
1932年に建てられた木造2階建の洋館で、店舗となっています。
ベランダやアーチ型の窓の意匠は外から見れば洋風の建物ですが、内部は和風の造りをしています。
この店舗の他に主屋、そして明治期に建てられた土蔵、味噌蔵、鼻緒蔵があります。

 さて本日の目玉は、その先の「岡田記念館」です。
岡田家は室町時代から続く歴史のある旧家で、江戸時代には畠山家の陣屋となっていました。
「代官屋敷」と書かれた岡田家の門がある場所の北隣には、陣屋跡も残っています。
それでは、その「代官屋敷」に入ってみましょう。
4,000m2にも及ぶ広大な敷地には土蔵が残されており、岡田家伝来の宝物が展示されています。
古くは武士であった岡田家は江戸時代に帰農してこの地に入り、土地を開墾して村民に与えて町造りに貢献してきました。
岡田家当主の名を取りこの辺りを嘉右衛門新田と称したことから、今でも嘉右衛門町と呼ばれています。
敷地内には栃木で最も古い「市村床屋」もあり、断髪令の出された1871年には既に営業していたという建物が残されています。
店内には明治時代の理容器具が並び、客の来店を確認するため店員が控え部屋から覗いていたとされる珍しい覗き戸などもあります。

 岡田家の住宅は、もうひとつあります。
少し離れた巴波川脇に別邸の「翁島別邸」があります。
岡田家22代当主が70歳を迎えたときに隠居所として建てたもので、1924年の建物です。
太い柱をふんだんに使った室内は、贅沢な造りをしています。
特に1枚板が敷かれた廊下は、一見の価値があります。
縁側の硝子は手延べの板ガラスで、よく見ると波打っています。
縁側と部屋を仕切る雪見障子は、小障子が左右に動くものです。
ひとつひとつが手の込んだもので、当時の岡田家の繁栄ぶりが判ります。

 「翁島別邸」を後にしてさらに北に進むと、「油伝味噌」があります。
天明年間創業の味噌屋です。
明治時代の土蔵など登録有形文化財の指定を受けている5棟のうちの1棟で、味噌田楽を出してくれる店を営業しています。
しかし今回は、これから行く栃木の食べ物のために素通りします。

 「日光例幣使街道」も蔵が並ぶ北の端まで来ましたので、栃木駅に引き返します。
今度は大通りを歩いて行きます。
「とちぎ歌麿館」では、浮世絵師 喜多川歌麿の作品が並べて展示されています。
ここにも「深川の雪」「品川の月」「吉原の花」が、ありました。
昔の蔵を利用した展示場になっています。

 「とちぎ山車会館」には、 「とちぎ秋まつり」で使う山車が保存されています。
見事な彫刻と金糸銀糸の刺繍を施した江戸型人形山車を、見ることができます。
大型のスクリーンには迫力あるまつりが再現され、その場にいるような感覚にさせてくれます。

 そして「あだち好古館」では、浮世絵や書画、彫刻などが展示されています。
江戸時代末期より呉服類の卸問屋を商っていた初代安達幸七が集めた品々です。
それまで蔵に眠っていたものを、公開したものです。
1863年に建てられた土蔵のなかの展示室で、外界の賑わいが聞こえてこない静かななかで鑑賞することができます。

 ここでお目当ての店を探します。
栃木の名物となった「じゃがいも入り焼きそば」の店です。
焼きそばの間にごろごろと入っているじゃがいもは、異様な風景です。
戦後の食不足をまかなうために、かさ増しのためにじゃがいもを入れたものが、今に続いているということです。
店の開店直後に入ってきたものですから、少し怪しまれたのです。
店は仕込みをするためにとりあえず開けているだけで、まさか客が来るとは思っていなかったようです。
「じゃがいも入り焼きそば」がどんなものか食べてみたかったので、このために食事を取らずにやって来たのです。
そのことを言ったせいで、「盛りを多くしたよ」と、山盛りの焼きそばを出されたのでした。
嬉しいような辛いような、実はこの後も食べたい栃木名物があったのです。
しかしじゃがいもと焼きそばは、意外と相性が良いものです。
ベロリと美味しく食べてしまったのでした。

 その他にも、通りには古い建物が残され現役で利用されています。
濃いソースがたっぷりの焼きそばで口が脂っぽくなった時に、お薦めの飲み物があります。
栃木が誇る「栃木レモン」です。
かつでは「レモン牛乳」とも言っていましたが、2000年に発生した雪印集団食中毒事件で2003年からは生乳100%のものしか「牛乳」と表記することができなくなりました。
「レモン牛乳」もその影響で牛乳の文字を外さざる得なくなり、現在の「栃木レモン」の名称になりました。
興味のあったのは味ですが、レモンの酸味が効いてすこぶる飲みやすいものです。
逆に牛乳のくどさが消えて、ジュースのような味に仕上がっているのでした。

 冬の冷える栃木で、栃木駅周辺の散策でした。
趣のある蔵の街並みは各所にありますが、町全体に蔵が残りそしてそれが今も立派に利用されているのには、正直驚きました。
昔栄えた商都栃木、そして今も残る栃木の文化に満足したのでした。

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