にっぽんの旅 関東 栃木 大谷

[旅の日記]

大谷 

 本日は、大谷石で有名な宇都宮市大谷町を訪れます。
JR宇都宮駅から関東自動車バスに揺られて約30分、資料館入口でバスを降ります。
大谷石採掘のために、削り取られほぼ直角に切り立った岩肌が、周りのそこかしこにあります。
バスを降りて、しばらくは近くを散策してみます。

 大谷石は2000万年前に火山活動により生まれた緑色凝灰岩で、加工がしやすいことから建物の壁、塀などに使われています。
ここ宇都宮北西部の大谷一帯では、大谷石の砕石、加工が盛んに行われています。
バス通りを歩いてみると、獣が横たわるような岩が見えます。
反対側には、掘削後にできた切り立った岩の中の道に、天井に岩が挟まって落ち砕けるのをかろうじて支えている風景も目にします。
まるで石の王国に続く道の入り口の門のようです。

 そんな中、「大谷資料館」はあります。
地下には約2000m2もの地下採石場跡が広がり、最深部では60mにもなる地底の開かれた王国です。いやそのはずです。
というのも、2011年3月の東日本大震災以来、資料館への出入りは禁止されているのです。
ここ栃木県では1年経った今でも余震は続き、落石などの被害はないものの余震による停電を警戒して、資料館は閉鎖されています。
ここまで来たのに、非常に残念です。

 代わりに、資料館入口のバス停前に広がる「景観公園」に立ち寄ります。
姿川の川沿いには、大谷石の岩壁が連なる奇観を見ることができます。
公園のベンチに腰を掛けて、垂直に切り立った岸壁とその前に流れる姿川のせせらぎを聞きながら、しばし足を休めます。

 さて、バス通りを元来た方向に戻ります。
そこに朱色のお堂を見付けることができます。
ここが「大谷元観音」です。
お堂の横には銭洗観音もあり、池は枯れていましたが池の中央には石で掘られた古銭が腰をおろしています。

 さらに、「大谷公園」の入り口まで先を進みます。
「大谷公園」でまず最初に出迎えてくれるのが、「天狗の投げ石」です。
戸室山に住んでいた天狗が投げた巨石が、崖の上でバランスをとって乗っているという伝説の岩です。
その先には、磨臼(すりうす)の形をした「スルス岩」というのもあります。

 大谷公園は、大谷石の巨岩で囲まれており、切り出した状態が保存されています。
その中央には「親子カエル」がいます。
その昔この辺りでは蜂の大群に住民が苦しんでおり、それを見かねた聖僧が観音様を作ったところ、親子のカエルが現れ蜂と戦って住民を守ったといわれています。
住民はカエルを地守神様として言い伝えてきました。

 そしてその先には、大谷のシンボルである「平和観音」が建っています。
総手彫りで1948年から6年をかけて掘りぬいた、高さ27m、胴回り20メートルの石造観音菩薩立像です。
第二次世界大戦の日米両軍の戦没者の冥福を祈って造られたもので、1956年に開眼しています。

 さて、いよいよ本日の最大の目的地である「大谷観音」です。
「大谷元観音」同様に、朱塗りの門が陽を受けてまぶしく輝いています。
巨岩の隙間にひっそりと建っているお堂は、810年に建立しました。
溶けるような岩肌に、お堂がすっぽり飲み込まれているようです。
中に入ると、左右42本の手を持ち高さ4mの千手観音が岩肌に彫られています。
その先には、釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊像が、自然の岩壁に浮き上がっていのです。

 境内には「大谷資料館」も併設されており、大谷寺の洞窟に見られるここ大谷岩陰遺跡で見つかった古代人の痕跡が展示されています。
またその先の池には、弁天堂が中央に建っており、その両横を2匹の白蛇が守っています。
弁財天とは七福神の紅一点で、開運・財運の神様です。
昔この辺りに出没して悪事を働いていた毒蛇を、弘法大使が退治します。
それ以降、毒蛇は心を入れ替え白蛇となって弁財天にお仕えしたと言われています。
白蛇の頭をさするとご利益あるとのことです。

 ここから先は、大谷の町を歩いてみます。
切り出した大谷石を並べる石屋さん、周りを見渡しても大谷石をふんだんに使った建物が多く存在します。
くりぬいた岩のトンネルを、門にしている家さえあります。
ポカポカした春の昼下がりに、ゆったりと過ごした大谷町の散策でした。

 
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