にっぽんの旅 関東 栃木 日光

[旅の日記]

日光 

 本日は、徳川家康が眠る日光を廻ります。
東京の浅草を出たのが21:00。東武特急に乗れば、2時間弱で日光に着きます。
東京でもこの冬一番に冷え込んだ日、23時近くの日光は底冷えのする人気の全くない街でした。
とりあえずその日は移動しただけで、翌日に向けて鋭気を蓄えることにします。
宿の電気毛布が、身にしみたのでした。

 ところが翌日目を覚ましてびっくり、宿の窓から外を眺めると辺りは一面の銀世界。
朝食を取りながら宿の人に聞いてみると、2〜3日前から降り始めたとのこと。
暗く静まり返った町並みと、昨晩は寒さのあまり急いでいたのこと、そして出発前の宴会も手伝って、雪のことには気付きもしませんでした。
となると、いつものように歩き回るのは難しい。
この事態を見越していたのではないのですが、今回は電車とバスのフリーチケットを事前に入手していたのでした。

 さてバスに乗ってまず向かったのは、日光二社一寺の入り口に当たる神橋です。
日光を拓いた勝道上人が大谷川を渡れずに困っていたところ、深沙王が現れて2匹の大蛇を川に投入れると橋になったと伝えられる別名「山菅の蛇橋」です。
現在ある鮮やかな朱塗りは、寛永の大造替のときに塗られたものです。
ここから長坂の石段を上って、勝道上人像の出迎える輪王寺に向かいます。

 正面の三仏堂が、輪王寺の本堂に当たります。
中に入って、内陣を観て回ります。
そこには釈迦、薬師如来、阿弥陀如来の金色の光を放つ仏像がそそり立っています。
高さが8mのそれらは、まばゆいばかりです。
三仏堂の裏手には護摩堂があり、先の3つの仏が一般庶民の身近な神に姿を変えたとされる千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音が祀られています。
近くには宝物殿と庭園である逍遙園もあります。

 雪は前にも増して強く降出したのですが、次に訪れるのは日光という名前を世界にひろめた東照宮です。
雪なんかに参っているわけにはいきません。
江戸幕府を拓いた徳川家康は、彼の遺言通り江戸の北に位置する日光で、朝廷から贈られた「東照大権現」の神号を受け東照宮に静かに祀られていました。
ところが家康を慕う三代将軍家光が寛永の大造営を起こし、幕府の威信をかけて東照宮を今の華やかなものに造り替えたのです。
その裏には、各藩の財力を抑え幕府に仕えさせるために出費をさせることが目的だったとも言われています。

 石鳥居をくぐり、左手に五重の塔を見ながら表門をくぐると、そこからは金箔がまぶしい東照宮の始まりです。
まずは左手の神厩舎に進みます。
ここは三猿の彫刻で有名な8枚の猿の彫刻が描かれている建物です。
「見ざる言わざる聞かざる」は、3匹の猿がそれぞれ目、口、耳を押さえています。
8枚の彫刻は、生まれてから友を得、恋をして、親になるといった猿の一生を表しているのです。

 その向かい側の三神庫の上神庫には、象の彫刻が施されています。
「想像の象」を言われ、伝え聞いた象の姿を描いたもので、本物の象の姿とは程遠いものです。
いわば失敗作なのかもしれませんが、今となっては貴重な彫刻となっています。

 右手に鐘桜、左手に鼓桜、そして正面には金色に光り輝く陽明門が目に入ります。
高さ11m、幅7mの華やかな門は、色が美しいだけでなく、508もの彫刻が施されています。
そして陽明門を取り囲む朱塗りの壁でも、数多くの彫刻が目に着きます。
そのうちのいくつかをご紹介しましょう。
陽明門を内側から眺めると、門の上側に「唐子遊び」と呼ばれる子供たちが遊んでいる彫刻があります。
仲良く遊んでいる子もいれば、いじめあっていたり、こどもが屈託なく遊べる平和な世を願って掘られたものだといわれています。
また陽明門には12本の柱があるのですが、そのうちの1本だけが上下逆に取付けられています。
柱の模様を注意深く見なければ見落としてしまうようなものです。
「魔除けの逆柱」と呼ばれるもので、形あるものは完成したその時点から崩壊が始まるという考えに基づき、わざと未完成の状態にしておき長持ちするようにとの願いから、このようにされているということです。

 本社へは拝殿の脇から入ることができます。
拝殿、石の間、本殿が一続きになっており、拝殿に至ってはかつては一万石以上の大名しか入ることが許されなかったところです。
もちろん今でも撮影禁止の場所なので、実際に訪れて御覧になることをお勧めします。
その他、奥社の入り口には、家康の霊を守るべき猫が寝ていてもよいほど平和な世界でありますようにと願ったとされる有名な「眠り猫」の彫刻もあります。

 さて陽明門の入り口左手の本地堂も忘れないように訪れます。
別名「鳴竜」と呼ばれ、天井には竜の絵が描かれています。
竜の真下で手をたたくと、天井と床との反射で、音がいつまでも鳴り響くというものです。
実際に案内の僧が拍子木たたくのですが、その音はしばらく消えることなく鳴り続けたのでした。
また正面には十二子の仏が、左右に6体ずつ祀られていたのでした。

 この東照宮を見て回るだけでもお腹いっぱいになったのですが、日光の二社一寺はまだまだ続きます。
次に訪れたには、東照宮の西にある二荒山神社です。
東照宮脇の上新道を進み、桜門に向かいます。
桜門をくぐった先には、石鳥居の先に二荒山神社の社務所、拝殿、本殿が開けます。

 本殿と渡殿は、拝殿の脇にある日枝神社から覗き見ることができます。
そしてこの日枝神社には、さまざまの珍しいものがそろっています。
大黒殿では、全国ではここだけとされる手招きをしている大黒天が祀られています。
「神苑」は、本殿裏の洞窟から湧き出ている薬師冷泉で、眼病に効き目があると言われています。
また「化灯篭」は、火をともすと怪しげな姿に変わると言われており、無数の刀痕が残っています。

 日枝神社から西参道に出た所にある大鳥居をくぐったところに、朱塗りの法華堂と常行堂があります。
次は、その先の仁王門に進みます。
ここが輪王寺大猷院の入り口なのです。
輪王寺大猷院とは、徳川家康を祖父としてこよなく慕う三代将軍家光の墓所です。
家光は家康を敬愛し、家康の墓所の傍らに埋葬させたのです。
仁王門では、両側を蜜迹金剛と那羅延金剛といった朱塗りの二体の仁王像が、にらみをきかせています。
ここから本殿までは、石段をのぼっていきます。

 その先には、日光最大の大きさを誇る仁天文があります。
左右に朱と藍の仁王像が迎えてくれます。
またこの先の石段を上ったところから、人界庭園の石灯籠を臨むことができます。
当日は雪が積もり、白くまぶしい美しさを放っていました。
左右にきらびやかな鼓楼と鐘楼を臨みながら夜叉門を抜けると、ここが輪王寺大猷院の拝殿の前です。
最後の唐門の先には、拝殿そして本殿がそびえています。
東照宮、輪王寺、そして二荒山神社が、日光の二社一寺として世界遺産にも登録されています。
 その後は広い西参道をバス通りまで下り、冷え切った身体を温めるために、バスで「酒まんじゅう」の待つ市街地に戻ったのでした。

   
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