にっぽんの旅 関東 栃木 足利

[旅の日記]

足利学校 

 本日は栃木県の足利です。
東北本線小山から延びる両毛線に乗り換えます。
栃木、佐野に続く大きな駅が足利です。
1933年に建てられた洋風木造建築の駅舎です。

 駅から西へ2kmばかり離れた「織姫神社」に暖かい日差しに誘われて散策します。
足利は古くから織物で栄えてきました。
文献によると713年に、その記録が残っています。
そして「織姫神社」は、足利織物の守り神として祀られてきました。
1705年に土地住民により創建されますが、後には八雲神社の境内社に、そして1879年に今の織姫山に遷座されますが、1880年の火災により焼失してしまいます。
今の社殿は、1937年に再建されたもので、平等院鳳凰堂をモデルにしたと言われています。
それでは、織姫山の中腹に建つ本殿に向かって、長い階段を登ることにします。
下からは社殿が見えていましたので、大したことはないだろうとたかをくぐっていたものの、一気に登るには息が続きません。
下を眺めるふりをして休みを取りながら、何とか登りきることができました。
目の前には、朱塗りの実に美しい神殿が佇んでいます。
そして後ろ側は、足利の街並みが一望できるのです。
ハイキングコースにもなっているということで、納得したのでした。

 さて、「織姫神社」から駅の方へ戻りながら街を散策します。
「鑁阿(ばんな)寺」は、そのほぼ中央に位置します。
足利の土地は、その名の通り足利氏が治めた場所で、そのなかでも「鑁阿寺」は足利氏が住んでいた館跡なのです。
四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっいる造りは、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されています。
堀を渡る「太鼓橋」を進んでいくと、1299年建立の本殿が構えています。
境内には、朱塗りの柱と白壁が美しい経堂、四角の屋根と円形の塔の形が面白い多宝塔、木造り感が趣のある鐘楼があります。

 「鑁阿寺」を出たところにはある公園の一角には、「北条尊氏像」が建っています。
征夷大将軍となった尊氏は、今でもこの地方の守り神として、尊まれています。

 「鑁阿寺」のほど近いところに、本日のお目当てでもある「足利学校」があります。
「足利学校」の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説など諸説ありますが、真相は明らかになっていません。
室町時代に上杉憲実が書籍を寄贈し、今の学長である庠主制度を設け学校を興したことが判っています。
「入徳門」「学校門」「杏壇門」と順に門をくぐっていきます。
「足利学校」では孔子の易学と武術を教えており、戦いのための日時の見極めと戦いの戦術を学ぶ生徒が全国から集まっていました。
「入徳門」を入ったところに、孔子像を見ることができます。
「坂東の大学」とも言われ、海外でも「足利学校」は有名となっていました。
寺小屋制度が流行り、「足利学校」は終わるわけですが、日本の学校のはじまりとしての役割を立派に果たしました。
3つの門の3つ目「杏壇門」の先には、「孔子廊」があります。
「孔子廊」は1686年に徳川家綱の時に造られたもので、中国明の時代の聖廟を模したものです。
その隣の土地には茅葺の「方丈」があり、講義や学習のために使われました。
畳敷きの広い部屋です。
「方丈」とつづきになっている建物には、庠主の書斎である「書院」と台所の役割である「庫裡」で構成されています。
またその離れには「衆寮」があり、学生はここで勉強し生活をしていました。
「方丈」の前は、池を湛える庭園があり、「方丈」の縁側からの眺めを楽しませてくれます。

 その他、足利の歴史・文化を学ぶ「遊学館」、観光案内と足利の土産物を揃えている観光施設「太平記館」などがあります。
今回の散策の帰りにもなかを買って帰るつもりが、電車の時刻に気を取られ忘れてしまったのでした。
少し歩くだけでも、足利の街を満喫できた1日でした。


   
旅の写真館