にっぽんの旅 関東 埼玉 長瀞

[旅の日記]

歴史深い和同開珎と絶景の長瀞 

 熊谷から秩父鉄道で40分ほどのところに、自然豊かな長瀞駅があります。
古風な雰囲気の赤い三角屋根の駅舎で、1911年に造られたものです。
駅をでると、そこは観光客でごった返しています。

 ここから荒川の方向へは「長瀞岩畳通り商店街」と呼ばれる歩道が続いており、その道中に食べ物屋や懐かしい射的屋が並んでいます。
人をかき分け進んでいくと、1ヶ所だけ人の動きが止まっている場所があります。
ここが口コミで有名になった巨大なかき氷を出してくれる店です。
氷は、水の豊かな秩父の天然氷を使用していることが特徴です。

 その先を5分も歩けば、荒川に出ます。
この辺りは「岩畳」と呼ばれ、結晶片岩が隆起し岩畳となって広がる長瀞の中心地です。
川では隣の上長瀞駅を出発したカヌーが、ワイワイ言いながら川を渡っていきます。
長瀞の名前にあるように川の流れが静かになっているここは、絶好の川遊びの場所なのです。
そして両側は奇岩の数々が続きます。
今立っている「岩畳」もそうなのですが、対岸は「赤壁」と呼ばれる絶壁です。
そしてその合間に細い滝の水が垂れていて、起伏に富んだ岩々を眺めることができます。
あいにくの雨で水は濁り水嵩も増していますが、普段は澄んだ川なのです。

 そんな「岩畳」には、ゴルフのホールのような穴が開いていることが判ります。
「甌穴(おうけつ)」と呼ばれるもので、岩がまだ川底にあったときに小石が水によって回転し穴が開いたものです。
それが隆起したので、地上から掘られた穴のように見えるのです。
長瀞にある最大の甌穴は、深さが4.7m、直径が1.8mという巨大なものもあるということですから、驚きです。

 駅からあっけなく着いてしまったその道を戻ります。
いい匂いがするので、思わず1軒の店に入ってしまいます。
店頭で売っている売っている「みそポテト」を持ち込んで、店内で食べることができます。
店内では水もついていて、嬉しいサービスです。
天婦羅にしたじゃがいもに、甘いみそだれがかかっています。
それが串に刺されており、小腹がすいたときに食べるお菓子です。
カリッとした衣の中には甘いじゃがいもが入っており、それに合うたれがかかったものでいくらでも入りそうな「みそポテト」なのです。

 さて長瀞駅まで出てきましたが、さらに進んで駅の反対側を歩きます。
駅から10分ぐらい離れたところに、「長瀞町郷土資料館」があります。
ここでは長瀞町で使われていた日用品や織り機、石臼などが展示されています。
そしてその先には、竹の奥から顔を覗かせる「旧新井家住宅」があります。
養蚕農家の民家で、屋根に石を乗せる秩父地方の特徴ある造りをしています。

 ここから再び秩父鉄道に乗り、和銅黒谷駅に向かいます。
ホームで電車を待っていると、石を満載した貨物列車が走ります。
この地方で採れた鉱石を運んでいるのでしょうか。
次にやってきた電車で、4駅先の和銅黒谷駅に到着します。

 和銅黒谷は、日本最初の通貨である「和銅開珎」に使われた銅が産出された場所です。
駅のホームには「和銅開珎」のモニュメントが飾られています。
それではその和銅露天掘り跡地に鎮座する「聖神社」に向かいます。

 のどかな田舎の家々が、駅の周りに広がります。
道路に出ると車は通過するもののコンビニが1軒あるだけの、静かなところです。
10分ほど歩くと、「聖神社」にたどり着きます。

 708年にこの武蔵国秩父郡から、自然銅が発見されます。
これを喜んだ朝廷は、年号自体を「和銅」と改元してしまいます。
そして、日本最初の流通貨幣である「和同開珎」を発行するのです。
「聖神社」には、この「和同開珎」が祀られています。
地元では「銭神様」と呼ばれて親しまれています。
お金にまつわるとだけあって、宝くじの当選を願う人がここを訪れるようです。

 それではその先にある「和銅採掘遺跡」に行きましょう。
近くと聞いてきたのですが、車1台がやっと通れるような急な坂道になります。
もちろん歩いて進むのですが、なかなか足が前に出ません。
周りもうっそうとしてき、遺跡があるとは思えないような場所に進みます。
不安になりながら先に進むと、そこに駐車場らしき小さな空き地があります。
その脇道を下ったところが、「和銅採掘遺跡」です。
巨大な「和同開珎」モニュメントが建っていますが、これがなければだれも気付かないような場所です。
まずは目的地にたどり着くことができて、一安心したのでした。

 賑やかな「長瀞」とは正反対に静かな「和銅黒谷」。
両極端な両者ですが、ともに自然が生んだものばかりです。
そんな自然の恵みを受けた秩父の一角に触れることができたのでした。

旅の写真館