にっぽんの旅 関東 埼玉 熊谷

[旅の日記]

熊谷・深谷 

 今回の訪問は、埼玉県の北側 熊谷市です。
上越新幹線の停車駅でもある熊谷駅は、JR高崎線、秩父鉄道のターミナルでもあります。
ラグビーの強豪校がしのぎを削っていた同市だけあって、駅のロータリーにはラグビーボールを模ったオブジェが飾られています。
またそのロータリーの中心には、平安時代の武将である熊谷次郎直実の像が建っています。

 本日は駅の北側を電車と平行に走る星川通りを歩いていきます。
この通りは、星川と呼ばれる用水路が道路の上り/下りの車線を区切っています。
そして星川の両端、つまり川と道路の間に遊歩道が通っています。
遊歩道の「ふれあいの広場」から「いこいの広場」までの約1kmの間には、7つの彫刻像があるのです。
川の流れを眺めながらそれらの像を順に巡って行くことにします。

 さて星川の西の先には、熊谷宿の本陣を務めた竹井澹如の別邸があります。
1623年、荒川の氾濫によりこの地に池ができました。
この池には清らかな水が湧き出てくることから、玉の池と呼ばれるようになりました。
今見てきた星川も、この湧水が源です。
当時の熊谷県の初代県会議長となった竹井澹如は、熊谷県庁の誘致や熊谷堤の改修、養蚕業の育成などの偉業を務めていました。
そして美しい玉の池の周りに木々を植え名石を集めて庭園とし、ここに別邸を構えたのです。
昭和25年に熊谷市がこの地を譲受け、以降「星溪園」と呼ばれるようになったのです。
街の中とは思えないような、静かなたたずまいを感じさせます。

 星溪園の南側には、石上寺、宇佐稲荷神社と並んで、八坂神社があります。
京都の八坂神社の末社に当たります。
それ自体は小さな神社ですが、関東の祇園祭とも言われる熊谷うちわ祭の総本山です。
来週には祭りが始まるというのに、八坂神社は何事もないかのように平常の姿をしています。
山車や屋台が勇壮に並ぶ嵐の前の静けさと言ったところでしょうか。

 その後は、線路の南側を元来た熊谷駅方向に戻ります。
駅を通り過ぎて程なく行った所に、万平公園はあります。
星溪園を造った竹井澹如の幼少の時の名前「万平」から名付けられた公園では、子供たちが大声をあげて遊んでいます。
公園の南側の小高くなった丘に登ると、荒川の旧堤が石碑となって残っています。
そして熊谷桜堤も、約200mに渡って残されています。
春先には桜が咲き乱れ、きれいな公園のはずです。
旧堤を下ったところには、蚕の繭を模った慰霊碑があります。
明治から昭和初期まで養蚕業が盛んだったことに対し、蚕霊塔が建てられたのでした。

 本来ならば熊谷レポートはここまでなのですが、今日は少し時間が余ったのでJR高崎線に乗り2駅向こうの深谷駅を訪れます。
2駅といっても郊外ですから、電車が突っ走っての2駅です。
何故わざわざ行きたかったのかと言うと、その駅の姿を眼に焼き付けたかったからです。
東京駅の赤レンガは皆さんご存じのことかと思いますが、そのレンガはここ深谷の日本煉瓦会社が作ったものなのです。
日本煉瓦会社とは、1887年に渋沢栄一が故郷深谷に興した会社です。
ドイツ人レンガ製造技師ホフマンを招き、彼の名を取ったホフマン輪窯で関東一円にレンガを供給していたのです。

 深谷駅は、そんな地元のレンガをふんだんに使った駅です。
ホームに立つと、ホームごと抱きかかえられたように、階上に構える駅の建物は壮大でいながらレトロな雰囲気をいっぱいに漂わせています。
電車賃を払ってこれだけを見に来ても、十分に満足のいくものです。
街に出ると遊歩道であるつばき橋までも、レンガで飾られているのです。
さて、本来ならば日本煉瓦会社まで足を延ばしたいところですが、惜しくも今日はこれで時間切れ。
残りは次の機会に取っておくことにして、本日の散策はここ深谷でおひらきとします。

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