にっぽんの旅 関東 神奈川 鎌倉

[旅の日記]

鎌倉 

 鎌倉時代の歴史を辿る・・・今回の舞台は、東京から1時間の鎌倉です。
JR鎌倉駅に降り立ち、まず目につくのが赤い大鳥居でしょう。
小町通り商店街のアーケード代わりの鳥居ですが、実に立派なものです。
そして本当の鶴岡八幡宮の二の鳥居は、もう一筋隣の若宮大路にそびえています。
こちらには段葛と呼ばれる、車道の真ん中に葛石を敷いて1段高くした歩道が、鶴岡八幡宮まで続いています。
両脇には植え込みがあり、行き来の多い鎌倉のメインストリートの真ん中を大手を振って歩くことができるのです。

 やがて見える三の鳥居は、いよいよ鶴岡八幡宮への入り口です。
太鼓橋を越え、右に源氏池、左に平家池を見ながら歩いて行くと、目の前に舞殿が現れます。
そしてそこから先本宮までは、長い石段が待っています。
石段を登りつめると、そこには朱塗りの本宮がそびえ立っています。
1063年に源頼義が石清水八幡宮を勧請して建立したのが始まりで、その後頼朝が1180年にこの地に移したとされています。
鎌倉幕府の氏神として長く敬われてきました。

 さて当の鎌倉幕府ですが、今日でもなんとかそのあとを見ることができます。
鶴岡八幡宮の南側には若宮大路幕府跡と宇津宮辻子幕府跡が、そして東側には大倉幕府跡がそれぞれあります。
しかし、いずれも道の片隅にその記録が残っているだけです。

 次に鶴岡八幡宮の東方にある白旗神社を目指します。
学校や民家の中を這うように造られた狭い路地を抜けて進みます。
ここは明治時代になって頼朝を祀って創られたものです。
鶴岡八幡宮の賑わいとは打って変わって、ここはひっそりとした場所です。
そして、神社の裏の小高い丘の上には頼朝の墓があり、鎌倉の町を見下ろしているのです。

 さてさら東に進み、鎌倉宮(大塔宮)を訪れます。
1869年に明治天皇が御良親王を祀るために建立した神社です。
庭園を歩き進むと、足利市によって親王が幽閉されたされる土牢が残っています。
鎌倉から南北朝時代へ移り変わる混乱の世相を、見て取ることができます。

 今度は、鶴岡八幡宮の反対側である西側に、足を運んでみます。
JRの線路を越えた所に、寿福寺というお寺があります。
便朝の父の屋敷があったとされるこの場所ですが、かつてはここに幕府を構えようとしたところでもありました。
ここもまた物静かなところで、この寺の裏手には源実朝、北条政子らの墓があります。
落石の恐れがあり中までは入ることができませんが、岩をくりぬいて作られた墓を遠目に眺めることができます。

 鎌倉駅周辺の源氏、足利氏、そして御良親王の足跡をみてまわりましたが、これからはバスに乗り少し離れたお寺に向かいます。
その場所は、誰もが知っている鎌倉の大仏です。
青空のもと大仏が鎮座する姿が、山門を入るとすぐに目に入ってきます。
奈良の大仏とともに有名な高徳寺の鎌倉大仏ですが、当初は木造のものだったのです。
それが大風で倒壊し、代わりに1252年に造られたのが、今も残る青銅製の大仏なのです。
境内には大仏が履くための大きなわらじも展示されています。

 高徳寺から海側に下りてくると、光則寺、そして長谷寺といったお寺が並んでします。
特に長谷寺は大きなお寺で、池をたたえた庭園と、その先の丘の上の本尊は立派なものです。
本尊には金色に輝く十一面観世音菩薩があり、1本の楠で彫られたものとしては日本最大級です。
また本尊の前は鎌倉を見下ろせる高台になっており、由比ヶ浜を目の前に見ることができるのです。

 そして本日最後の目的地でもある極楽寺まで、残った力を振り絞って歩き進みます。
実は、江ノ電から見える茅葺の山門が気になっていて、いつかは訪れたかったところです。
山門の両脇の小さな戸から、背をかがめながら境内に入ります。
鎌倉唯一の真言宗のお寺で、北条重時が建立した寺に1267年に忍性上人を招いて開山しました。
病人の救済を積極的にするなど、地域に慕われたお寺として有名です。

 さてこれで一通りの本日の行程は終了。
帰りは極楽寺駅から鎌倉駅まで、おもちゃのような江ノ電で向かいます。
手を伸ばせば届きそうな民家の中を、くねくねと進みます。
そして何よりもうれしかったのは、江ノ電の1960年製の車体に偶然にも乗れたということでしょう。

   
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