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[旅の日記]

横浜山手 

 横浜の魅力は、海に面した港町、中華街と色々ありますが、異国情緒いっぱいの山手方面ももうひとつの横浜です。
幕末から明治にかけて造られた、洋館を訪れることにします。

 出発は、中華街の端である元町中華街駅です。
港の見える丘公園に行ってみることにします。
高低差のある公園を登り詰めると、その名の通り横浜港が一望できる展望所に出ます。
この辺りは山手イタリア山庭園と呼ばれ、かつてのイタリア領事館があったところで、たくさんの花で飾られた庭園になっています。
左にコスモワールドや赤レンガ倉庫、中央に山下公園、そして右手にはベイブリッジを見渡せます。
夜に来れば、もっと美しいのでしょう。

 公園に中には、コロニアル様式のイギリス館があります。
1937年に横浜英国総領事公邸として使われていたもので、今では横浜市の指定文化財になっています。
2階ではピアノの演奏が行われており、誰でも入ることができます。

 その先には、ブラフ18番館という建物があります。
黒船来航以来、横浜は外国との交流地として列国の領事館や邸宅が並ぶことになります。
ここもその一つの住居で、戦後には山手カトリック教会司祭館として使用されました。
現在は喫茶店に姿を変えていますが、当時の家具がそのまま使われています。

 さて、西の石川町駅まで、この小高い山手の通りを歩いてみることにします。
まず目に入るのが、見慣れない墓地です。
ペリー艦隊の水兵を埋葬したのが始まりといわれる横浜外人墓地ですが、現在では日本の近代発展に貢献した在日居留外国人4800人が祀られています。

 外人墓地の向かいの山手資料館を過ぎると、山手聖公堂が見えます。
1862年にコンドルによって建てられたものです。
石造りのこの建物ですが、実は火事にあったものを再建したものなのです。

 そして山手234番館では、古い家具とともにキルトの展示が行われています。
1927年に外国人のための共同住宅として、建てられたものです。
さらにその隣には、えの木ていなるものがあります。
山手234番館と同じ1927年に建てられた洋館で、現在は喫茶店として営業をしています。

 これらの先には、エリスマン邸があります。
スイス人貿易商エリスマンによって建てられたこの洋館は、入口は木々に囲まれ、いったん中に入ると陽をいっぱいに受けるサンルームが印象的な建物です。
昔の調度品もきれいに残されています。

 エリスマン邸に西側には、イギリスの貿易商ベリックが過ごしたベーリック・ホールがあります。
バートラム・ロバート・ベリックの私邸として1930年に建てられたものですが、戦後にはカトリック・マリア会に寄贈され、セントジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使われてきました。
ベーリック・ホールの呼び名は、その時に付けられたものです。
今回訪れた時には結婚式の最中、建物の中を見ることはできませんでしたが、今なおこの広い庭と大きな建物は健在です。

 さらに歩く続けると、山手カトリック教会が見えてきます。
1862年にフランス人の神父が開いた教会で、日本最初のカトリック教会です。
チェコ出身のスワガーにより設計されたゴシック様式の建物で、尖塔アーチはこの地区のどこからでも眺めることができます。

 さて先を急ぐことにします。
ほどなく歩くと、外交官の家が見えます。
1910年に内田定槌の私邸として使われていたものです。
向って右半分が洋風の建物、そして左側は純和風建築だったのですが、今残っているのはそれらをつなぐ廊下の一部分だけで、かつての和風建築の部分はガラス張りの展示場になっています。
この建物の裏手は山手イタリア山庭園です。
中央の水路を挟んだ両側は、数々の花が植えられた花壇になっています。
ヨーロッパの城の裏手に広大な庭園があるように、この外交官の家も規模は城ほどもありませんが、絶景の庭を有する建物になっています。

 外交官の家の横には、ブラフ18番館があります。
山手イタリア山庭園から1段降りたところに、この洋館はあります。
外国人住宅として建てられましたが、その後はカトリック山手教会の司祭館として使用されてきました。
元々は山手町45番地にあったのですが、移築復元後の現在の場所が旧山手居留地18番地であったことから、今日の名前になっています。

 さて、駆け足ですが山手の洋館を眺めてきました。
横浜港・中華街の絶倒とは異なり、この丘の上の品のある生活は、ちょっとうらやましいものがあります。
今日1日、その上流気分にどっぷりと浸からせてもらったのでした。


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