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[旅の日記]

懐かしの厚木 

 神奈川県の中央に位置する厚木、新宿からは急行で1時間の距離にある厚木の町を、本日は散策します。
厚木といえば30年ほど前に住んだことがある場所で、懐かしいところです。
昔の面影が残っているのかも、非常に興味のあるところです。

 小田急の本厚木駅に着いたのは、23時過ぎ。
今日はおとなしく床に入り、明日朝から町の探索をすることにします。

 翌朝は昨日までの雨が嘘のように晴れ渡った天気です。
澄んだ青空が、広がっています。
駅前の建物は、昔のままだったのです。
実は昨晩、インターネットを使ってかつて住んでいたところをGoogleマップで見ていたところ、様変わりしているのに驚いてしまったのです。
窓枠は木製でポットン便所にプロパンガスの古い平屋で、家の前には広く空いており車の駐車スペースには不自由しないところでした。
いまだに残っていることはないとは思っていたのですが、いざ全く違う光景になっていることを知ったときには、少し寂しい思いがあったのは事実です。

 駅前ロータリーから「厚木神社」の方に、歩いて行きます。
その途中に「渡辺崋山滞留の地」の石碑が建っています。
三河国田原藩の藩士で、のちは家老となった人物です。
藩士であっても病気がちの父の薬に金がかかり、家族は貧しい生活を送っていたようです。
弟や妹は奉公に出ていき、崋山は得意の絵を売って生計を支えるようになります。
崋山は金子金陵に弟子入りをして、このころから才能を表してきます。
金陵の師である谷文晁にも教えを受け、画技のみならず文人画家としての技量を身に付けます。
当時の風俗を写生した「一掃百態図」、それに文人としては随筆紀行文である「日光紀行」などがあります。

 そして「厚木神社」は、崋山の石碑の近くにある小さな神社です。
境内には、朝の掃除をする人の姿があります。
厚木村の鎮守で、古くから村民に支えられてきました。
江戸時代には神社の脇に厚木陣屋が設けられ、この辺りは賑わっていたということです。
相模川を用いた舟運も盛んで、その中継地として栄えてきました。

 そんな痕跡が、神社の裏側にあります。
裏には相模川が流れており、そのそばにはかつての「厚木の渡し」を示す碑が建っています。
ここから海老名市河原口との間を結んでいた舟の渡船場です。
5隻もの舟が行き来していたこの場所は、たいそう賑やかだったのです。
この上流には、相模川が中津川、小鮎川と合流しています。
そして川の向こうには、高架道路が走っています。
首都圏中央連絡自動車道で、30年前にはなかったものです。

 ここから再び厚木方向に歩いて行きます。
厚木市役所を見つけたので、向かいます。
市役所近くのハンバーガー屋で朝食を食べて、出かけていたことを思い出したからです。
しかし何かが違います。
向かいある「厚木中央公園」は、30年前にはなかったものです。
調べてみると、元々工場があったところが公園に整備されたということです。

 さてここからは伊勢原に移り大山に向かうことにし、厚木を後にしたのでした。

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