にっぽんの旅 関東 茨城 水戸

[旅の日記]

水戸の黄門様 

 水戸黄門、圧倒的な人気を誇るテレビの時代劇番組です。
実は私は時代劇を全くと言ってもいいほど見ないのですが、黄門様だけは知っています。
その水戸とはどんなところか、今回の散策の場所として選んでみました。

 上野から特急で1時間30分、といきたいところですが常磐線の普通電車に乗り2時間かけて向かいます。
実はこれには訳がありました。
30年前に千葉県流山市に住んでいたことがあるのです。
そして都内に出るために、柏から異様に揺れる常磐線に乗って上野まで出たものでした。
今日は柏でこそ降りることはしませんが、覚えている駅を順に巡り、少しでもその時の記憶をよみがえらせたいと思います。
夜の9時過ぎに上野を出た常磐線は、御徒町、南先住、そして北先住と進んでいきます。
この時間というのにやはりここは大都市東京、帰りを急ぐ多くの人で夜の通勤ラッシュです。
そして揺られること30分、案の定、松戸、柏を過ぎたところで、それまでぎゅうぎゅう詰めだった車内に余裕が出てきます。
と言ってもまだまだ満員状態ですが。
ところが取手に着いたとたん、この都会の通勤電車が急に田舎の電車に一変します。
誰もが座れるガラガラ状態になった電車は、駅と駅との距離も遠くなり、それに加えて車外の街の明かりもめっきり少なくなった夜の闇の中を突っ走ります。
時たま見える街灯が車窓に流れて行く様子を、夜行列車の気分に浸りながら、淡々と時間だけが過ぎていきます。
上野を出てから2時間余り経過したときに、やっと「水戸」の社内放送が入ったのでした。
いつの間にかドアは自動で開かないモードに入っており、ボタンを押してドアを開け水戸のホームに立った時には、すでに日付が変わろうとしていました。

 翌朝、訪れたのは偕楽園です。
偕楽園は、岡山の後楽園、金沢の兼六園とともに日本が誇る三大庭園のうちの1つです。
水戸駅前からバスに乗り10分ほどで、歴史館偕楽園入口の停留所に着きます。
歴史博物館の敷地内には、かつての旧水海道小学校が残されており、中央の円形の塔が印象的です。
本日はお目当てである偕楽園に急ぎます。
バス停から5分ほど歩いたところに、偕楽園はありました。
正確に言えば「本来は5分歩いたところ」でしょうが、バスを降りた途端見えた旧水海道小学校の建物に引き込まれるように、本来の偕楽園とは逆の方向に歩いてしまい、20分以上かかってしまいました。
道を聞くために大急ぎで自転車をこいでいた高校生の足を止めさせてしまい、ごめんなさい。

 さて偕楽園は、水戸藩9代藩主徳川斉昭が創設した13haもの大庭園です。
そしてその大部分が梅の木で、100種3000本が植えられています。
この時期花も終わり、木々は新緑の葉をつけていました。
次は絶対に3月に来るべきだと、感じたものです。
後成門この日には閉ざさせており、東門から中に入ります。
入って園内をまっすぐ突き進めば、見晴らしのいい仙奕台に出ます。
眼下に千波湖を一望できる所なのです。
梅の花を見ることができない今、この景色だけでも堪能しておくことにします。

 そして園内に目を移せば、好文亭という和風の建物があります。
藁ぶき屋根のような色遣いで瓦屋根のような形をしたこの建物の屋根は、実は薄い木の板を貼り合わせて作られています。
3階建ての好文亭本体と平屋建ての奥御殿からなり、中に入ると多くの部屋があり意外と広く感じます。
部屋は紅葉の間、菊の間、桃の間など、それぞれの部屋のふすまには、木々が鮮やかに描かれています。
特に好文亭の3階の楽寿塔からの眺めは、素晴らしいものがあります。

 偕楽園の目玉好文亭を見終えると、もうひとつ名物である泉が湧き出しているこころがあるというので行ってみます。
同じ偕楽園の敷地内ですが好文亭から少し下った所に吐玉泉はあり、大きな石の中央のくり抜かれたくぼみには、湧き出た水が蓄えられています。
そしてその中央からは、こんこんと水が噴き出しています。
茶の湯に使われたというこの水ですが、大庭園に素晴らしい眺めと清水まで湧き出ており、しかも別荘気分でこの場所に気晴らしに来ていた徳川家とはなんと贅沢な暮しをしていたのでしょう。
少し腹立たしくなりそうな豪華さなのです。
さて、南門を出て千波湖沿いに偕楽園の周囲を歩き、再び東門近くの常磐神社を訪れた後に、再びバスで水戸駅に戻ります。

 今度は水戸城跡を訪れます。
駅から10分ほどの場所に、かつて水戸城はありました。
そして県三の丸庁舎の裏手に、弘道館があります。
ここは旧水戸藩の藩校だったところです。
水戸藩2代藩主徳川光圀は、藩士の教育のために藩校の建設を計画したのですが、それを果たしたのが9代藩主徳川斉昭で、1841年8月に開館を果たしました。
ここ弘道館は国内最大の藩校で、2位の金沢明倫堂の約3倍、3位には萩明倫館、そして幕府の昌平校が4位ということですから、いかに規模の大きなものかが判ります。
建物の中は、試験や儀式の行われた「正庁正席の間」、そして正庁二の間・三の間、藩主の御在所「至善堂御座の間」、藩主の公子の勉強場所である至善堂二の間から四の間などが並んでいます。
またその建物の横は、武術を競う対試場となっています。

 黄門様で知られる徳川光圀ですが、街の至る所に銅像が立っています。
駅前には黄門様と助さん格さんの3人が並んだ像も建てられており、街全体が黄門様一色の水戸の町だったのでした。
さて今日のお土産は? もちろん水戸納豆ということで、持って帰るにはちょっと匂いが気になったのですが、わらに包まれた昔ながらの納豆を手に帰ったのでした。

   
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