にっぽんの旅 関東 茨城 北条

[旅の日記]

つくば道と北条 

 本日の旅の舞台は、北条です。
筑波山の麓に広がる静かな町です。
筑波山神社から北条の町までを、のんびりと散策してみます。

 筑波を訪れたのは30年ぶりで、当時に比べると鉄道「つくばエクスプレス」が開通したために東京のベットタウンとして様変わりしています。
そのつくばエクスプレスのつくば駅から、「筑波山神社」まではバスで移動します。
近代的な都市のつくば中心地を過ぎると、やがて周りは広々とした土地の中をバスは走ります。
一般的な田畑だけでなく、芝生のための畑が続きます。
この辺りはゴルフ場などに収める芝生を栽培する日本最大の産地なのです。
やがて、バスは上り坂に差しかかります。
これまで全景が見えていた筑波山も、いつの間にか目の前に迫っています。
つくば駅から半時間を過ぎたころに、「筑波山神社」のバス停に着きます。
バス停では、リックを背負った大勢の人が降ります。
筑波山を登山する人に混じって、ここで降りることにします。

 バス通りに建つ朱色の大鳥居を潜って行きます。
通りには筑波山温泉のホテルと土産物屋が並び、その中を進みます。
やがて左手に見えてくる石鳥居が、「筑波山神社」への入口です。
その先に見える屋根を備えた朱塗りの端が、「神橋」です。
さらに奥にある山門を潜り、石段の奥の拝殿へと進みます。
山門の脇では、ガマの油が説明しながら売られています。
いわゆる「ガマの油売り口上」です。
四六のガマから採ったガマの油はあらゆる傷に効く万能薬であることの口上を垂れながらの実演販売が、保存会によって今日まで伝承されています。

 古くから筑波山は、人々の信仰の対象として仰がれてきました。
「筑波山神社」は筑波山を神体山として祀り、目の前にそびえる男体山と女体山のそれぞれの山頂に本殿をもちます。
奈良の大神神社のように、山そのものを御神体としているのです。
拝殿の屋根には、大きな鈴が吊るされています。
昔の人も同じように、筑波山に向かってここで参ったことでしょう。
反対側に眼をやると、筑波の町を見下ろすことができます。

 神社に参った後は、眼下に広がる麓の町に向かって歩いて行きましょう。
「筑波山神社」から北条まで伸びる4kmの道を、「つくば道」と呼びます。
江戸城からは北東の方角にある筑波山は鬼門にあたり、徳川家康は中禅寺(今の「筑波山神社」)を祈願所に定めました。
1626年の3代将軍の家光の時代になると、神社を一新する工事に入ります。
そのための建設資材の運搬路として整備したのが「つくば道」なのです。
神社の再建が終わった後は、「筑波山神社」までの参道として広く利用されたのでした。
かなりの勾配のある道なので、今回は昔の人の筑波山詣での帰路となる「筑波山神社」から北条までの下りを歩いてみます。

 石段を下ってしばらくしたところに、鮮やかな色をした建物があります。
木造平屋建てのその建物は、「旧筑波山郵便局」です。
1939年竣工の建物で、1975年に移転するまでここで郵便業務が行われていました。
入口の扉、上げ下げ窓、そして入口の上の屋根瓦に、郵便のマークが入っているのを見つけることができます。

 「つくば道」沿いには、それ以外にも趣のある建物が並んでいます。
目の前には麓の町が、後ろを振り向くと筑波山の山並みがそびえています。
石段が終わるとその先は坂道が続きます。
やがて、石鳥居が見えてきました。
1759年に造立された「筑波山神社」の一の鳥居で、筑波山神社御座替祭ではこの場所まで神輿が降りてくるのです。

 さらに進み石倉が見えてくると、そこが神郡の集落への入口です。
ここでも「つくば道」の両側に、昔ながらの家々が並びます。
田舎だからとはいえ、敷地の大きさは想定の範囲を超えた巨大なものです。
それにも増して、どの家も門構えが立派なのです。
武家屋敷にあるような大きな木で造られた門や、寺の山門を思わせるような屋根付きのものなど、この地方の人の家に対する愛着を感じます。

 標識によるとこの近くに神社があるというので、寄ってみましょう。
田井小学校の前を通り、畑の中を貫く道を進みます。
回りには何の障害物もないので、筑波山がよく見えます。
筑波山の中腹には鳥居を見ることができ、あんな高いところから下りて来たんだと、自分を褒めてしまいます。
ところがいま目指している神社は、なかなか現れません。

 ちょっと寄るはずだった神郡の神社ですが、結局は道の道の突き当たりで「つくば道」を逸れて1km以上の歩いたところに「蚕影山(こかげさん)神社」はありました。
筑波国造の創祀とされ、養蚕業が盛んなこの地の守り神として信仰を深めてきました。
神社への急な石段の前には、民家を思わせるよな神札御守授与所があります。
札が掛かっていたのでかろうじて分かりましたが、中には人のいる気配もありません。
神社の石段を上った先に、拝殿はあったのでした。

 再び「つくば道」に戻り、北条の町を目指します。
横山地区を抜け、ついに念願の本条の街中に着いたのです。
「つくば道」は、町一番の賑やかな通りである北条商店街と交差します。
その角には、これまで歩いてきた「つくば道」を示す道標が立っています。
ここが「つくば道」の南の端なのです。

 まずは、北条商店街から1筋北側になる神社が並ぶ路地を歩きます。
「宝安寺」は、江戸時代に本条の町が整備されたときには既にこの地にありました。
大火の多い北条で、町を守る火防の神様の秋葉様を祀る寺院です。

 「鹿島神社」は、石段を上った山の中腹に建つ小さな神社です。
2畳ほどの社は改修中で、回りを足場に囲まれていました。
昔は子供の奉納相撲が行われ、賑わっていたということです。

 路地の脇に石碑が建っているところがあります。
「毘沙門天種子板碑」で、鎌倉時代のものだということです。
毘沙門の梵字がかかれており、その上部には宝塔が刻まれています。
何気なく置かれていますが、鎌倉仏教文化を象徴する貴重な歴史資料だようです。

 さらに先にある「熊野神社」は、鳥居の先に急な石段が続きます。
後小松天皇の創建ともいわれますが、定かではありません。
この地にも当時は熊野信仰が盛んで、そのために祀られた神社です。
紀州熊野大社での修験者には、この地の有力武士からも帰依を得ていました。
石段を上ると、その先には小さなかわいらしい祠が建っています。
「鹿島神社」と同じく、2畳ほどの小さな祠です。
社殿の裏手には、1枚の花崗岩で造られた宝塔もあります。

 さらに西に足を進めると、「金宗寺」があります。
山号を「熊野山」といい、元々は「熊野神社」の別当寺だったところです。
痛みの激しくなった御本尊の安置するために不動堂を立て直し、今は安全に保存しています。

 「無量院」には、鎌倉時代の阿弥陀如来像が安置されています。
当時この地の勢力を誇っていたには大掾多気義幹で、義幹の霊を弔うために建立された寺です。

 それではここからバスも通る町の幹線道路に出ます。
北条商店街には、門前町で栄えた北条の姿が今に残っています。
「廣瀬羊羹店」も、そのうちのひとつです。
赤く塗られた壁が目を引く、昔ながらの建物です。

 屋号を「岩崎屋」という土蔵風の建物は、「大塚家店舗」です。
米穀や肥料などを扱い、大いに繁盛しました。
壁には「大」の文字が描かれています。

 黒塗りの重厚な造りの建物は「北条ふれあい館」です。
筑波山麓の西山地区の出身の田村家が明治時代に北条に家を構え、大正末期に開業した「田村呉服店」の建物です。
呉服や太物を扱っていました。
今では無料休憩所として利用されています。

 この「北条ふれあい館」に立ち寄ってみると、3名の町の方が集まっています。
早速お茶をいただき、話の輪に入れてもらいます。
実はここで手に入る食べたかったものがあるのです。
北条は昭和時代初期に皇室にも献上していたといわれる、高級米「北条米」の産地でもあるのです。
その「北条米」を使って作った「北条米スクリーム」があります。
カップに入ったアイスクリームを、軽く電子レンジで解凍して出してくれます。
一旦炊いたご飯をアイスクリームに練り込んで作ったもので、もっちりとした食感と米の甘みが口いっぱいに広がります。

 「北条ふれあい館」で地元の人に混ざってしゃべっていると、そのうちの一人に「うちを見て行かないか」と声を掛けられます。
帰りのバス停の近くにあるからと誘われ、お言葉に甘えて連れて行ったもらうことにします。
ところが行ってみて、びっくりしたのです。
なんと、その方のお宅はガイドマップにも乗っている「宮本家店蔵」だったのです。
代々宮本清兵衛を名乗り、屋号を「宮清」とする宮本家の店舗です。
招待された方の父の代までは、ここで醤油醸造業を営んでいました。
広い敷地にはかつて醤油の蔵があったという跡もあり、いまでは庭になっています。
今も残る米蔵は中を改築し、町おこしのための演奏会がここで開催されています。
一方の建物は、格子窓の備わった店舗に大きな木を使った柱と梁が走っています。
2011年の三陸沖を襲った大地震の際は、屋根は落ちて甚大な被害に見舞われたものの、この柱と梁のおかげで建物は倒壊することなく持ちこたえたということです。
当時撮った写真を見ながら、説明していただきました。
店舗に置かれていた蓄音機でレコードをかけてくれたり、見ず知らずの旅人に至れり尽くせりの対応をしてくれたのでした。

 そしてその先の「八坂神社」は、北条の町の氏神様です。
境内には、1537年に造立された五輪塔もあります。

 ひと通り町を回り終え、宮本家のご主人には帰りのバスが来るまで見送っていただきました。
大満足の北条の町散策だったのでした。
「北条ふれあい館」といい、「宮本家店蔵」といい、ギュッと詰め込んだ北条の歴史を楽しくひも解いてくれたひと時だったのでした。

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