にっぽんの旅 関東 群馬 高崎

[旅の日記]

高崎・達磨寺 

 本日は、高崎の街をぶらーりと散歩です。
JR高崎駅西口から、鳥川を目指します。
その途中にあるのが、愛宕神社です。
中山道から入ったところにあり、小さいながらも白い石の鳥居が、その存在を示しています。
ここには、勝道上人の弟子の神体が安置されていると伝えられています。
この地方の領主である和田六郎兵衛義信が建立した神社で、詳しいことは判っていません。

 そして、その先の聖石橋に進みます。
ここから、川向うに遠く観音山の白衣大観音が眺められるのです。
高さ42mの観音像は、平和を願って1936年に建立された割と新しい高崎のシンボルです。
6000トンのコンクリートを使って造られた観音像は、肩まで登ることができます。
ところが今日はこの後に行きたいところがたくさんあって、観音像はここから眺めるだけに留めておきます。

 さて、聖石橋から川沿いに5分も歩かないうちに、神社へ登る階段があります。
小さな神社で見落としそうですが、ここが頼政神社なのです。
1695年に松平輝貞が高崎藩主に封ぜらたると、その祖先である源頼政を祀って城東石上寺境内に頼政神社が建てられました。
1710年には輝貞が越後村上に転封させられますが、その際一旦は神社もその地に移されることになります。
しかしその後1717年には再び高崎に再転封させられ、それに伴い頼政神社も現在地に移されたのでした。

 ここまで来れば、その隣に高崎公園が見えます。
大染寺の跡地に造られた公園は、中央に池がありのんびりと遊ぶ人、散歩する人の姿が見受けられます。
訪れた時は冬場ということもあって、池には氷が張り噴水も止まり寒々としていました。
池の鯉が優雅に泳いでいたのが、印象的です。

 そしてその先には、高崎市役所があります。
都心の高級ホテルを思わせるような、近代的な建物です。
路線バスも市役所の入り口まで乗り入れることができ、細かい配慮がされています。
この一帯には市の施設が集まっており、シティギャラリー、裁判所、音楽センターが並んでいます。
その端には、ここが高崎城跡であることを示す櫓が残されています。

 古くは平安時代末期にこの地の豪族である和田義信が和田城を築きました。
その子の和田業繁はそれまで帰属していた上杉謙信に反旗を翻し武田信玄につき、上杉勢の度々の侵攻に耐えたのですが和田兼業の時代に前田利家・上杉景勝等の連合軍に包囲され落城しました。
その後、井伊直政が1597年に徳川家康の命により、中山道と三国街道の分岐点である交通の要衝となるこの地に、その監視を行う目的で高崎城を築きました。
1600年の関ヶ原の戦いで直政は近江国佐和山城に移封となり、それからは城主がめまぐるしく交代する時代が続きました。
1619年に安藤重信は城の大改修を3代77年間をかけて行い、今その片鱗の一部が見て取れる近代城郭が整備されたのです。
現在残っているのは、当時あった天守閣と4基の隅櫓のうちの1つ乾櫓だけとなっています。

 さて高崎の歴史に触れた後は、路線バスに乗り込みます。
小型のバスは、民家の間の狭い路地を器用に走り回ります。
小さな空き地でUターンしたかと思えば、またくねくねと走り出すのです。
せせこましい民家も過ぎ、今度は一転して広々とした碓氷川沿いの道をひた走ります。
そんな時に、川沿いの小さなバス停で降ります。
観音山丘陵の端に位置するここが、だるまで有名な高崎の原点、高崎だるま発祥の寺である少林山達磨寺です。
以前に来たことがあるのですが、何故か再び足が向いてしまいました。

 ある年の大洪水のあと、村人たちが川の中から古木を引きこれを上げて霊木として碓氷川のほとりの観音堂に納めました。
1680年のこと一了居士という行者が霊夢によって訪れ、信心を凝らして達磨大師の座像を彫り上げ観音堂にお祀りしました。
ここから「達磨出現の霊地・少林山」が世間に広まりました。
酒井雅楽頭忠挙公は、前橋城の裏鬼門を護る寺として、天湫和尚を水戸から請じて1697年少林山達磨寺を開創したのが、この寺の起こりです。
その達磨大師ですが、インドの香至国の王子として生まれ、お釈迦様から28代目の教えを継がれて、その後中国に渡りました。
七転八起、面壁九年の不屈の精神は宗派を越え、誰からも親しまれ、慕われています。

 バス停からは山門の先に、長い長い階段が見えます。
先ずはこの階段を1段ずつ踏みしめて、登って行きます。
階段を登りきると、左に大講堂、右に瑞雲閣の建物があり、さらにその先の石段を上がっていきます。
右手に観音堂を見下ろす場所に建っているのは本殿霊符堂です。
達磨大師が祀られており、黷フ権現造りのお堂の左右の縁側には、無数の達磨が納められています。
お決まりの赤いだるまの山の中に白い姿のだるまも混ざり、家内安全、商売繁盛、合格祈願のたるま達がうず高く積まれています。
こんなめでたい風景は来年の年賀状にぴったりと、数々の写真を撮ってしまいました。

 霊符堂に向かって左側には達磨堂があります。
おもしろいことに、大阪府吹田市に住む大山立修氏のだるま収集が発端となり、このだるま記念館が出来上がりました。
達磨大師坐像を中心に、古今東西さまざまのだるまが所狭しと展示されています。

 帰りはJR信越本線の群馬八幡駅まで、のんびり市内を歩いて行きます。
碓氷川を越えてのどかな田舎町を進み、駅に出ます。
駅だけはこの地に似合わない建物で、中に鉄道が走っているとは思わせないかわいい造りです。
高崎駅までは2駅、だるまがまだ頭の中から抜けないうちに電車は高崎の中心地に着いたのでした。

 
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