にっぽんの旅 関東 群馬 吹割

[旅の日記]

吹割の滝 

 JR沼田駅にやってきました。
今日はここから橋に乗り、やさしい流れをした滝を見にいきます。

 沼田駅からはバスに揺られ、山の奥地に分け入って行きます。
40分ほど経ったところで、バスは普通の田舎町で停まります。
この辺りが利根町の追貝地区です。
観光地としての店があるわけでもなく(朝早くて閉まっていたことが後で判ったのですが)、滝を示す矢印の書かれた看板を頼りに歩いて行きます。
やがて下りの石段となり、ワクワクしながら下って行きます。
その時、視線の先に川のようなものが見えてきました。

 まず現れたのが「鱒飛の滝」です。
頭の上から落ちてくる滝ではなく、川の水が段差のある窪地に流れていく滝です。
荒々しさはなく、その代わり優美な水の流れを楽しむことができます。
その川に沿って、上流へと向かいます。

 対岸には水の浸食で削り取られた崖が広がっています。
凝灰岩の平たい大きな岩盤が、向こう岸への上陸を拒んでいます。
そして所によっては凹凸のある岩場になっており、その形からこの辺りは「般若岩」と呼ばれています。

 さらに先を進みます。
すると実に綺麗な景色に出会うことができます。
「吹割の滝」で先ほどの「鱒飛の滝」よりはるかに大きな窪地に向かって、水が吸い寄せられています。
これが「東洋のナイガラヤ」と言われる所以です。
本家のナイガラヤと較べると落差は小さく雲泥の差がありますが、曲面に滑らかに削られた崖を水が走る様は本家にない優美な姿です。
目の前に滝があり、跨ぐと乗り越えられるようなロープが張ってあるだけです。
岩肌に座り込み、しばらく水の流れる様を見て楽しみます。

 この地方には滝伝説なるものがあります。
吹割の滝つぼは、昔から竜宮へ通ずると言われてきました。
村で祝儀などの振舞ごとがあるたびに、竜宮から膳椀を借りていました。
お願いの手紙を書いて膳椀を滝に投げ込むと、川の流れに巻き込まれて深い竜宮へと吸い込まれていきます。
そして、翌日には頼んだ数の膳椀が岩の上にきちんと置かれていました。
お礼の手紙をつけて岩の上に置いておけば、いつの間にか竜宮へ返されていたのです。
ところがある時、借りた膳椀を1組数え間違えて返してしまいました。
竜宮では貸した膳椀が不足していることを知り、それ以後膳椀を借りることができなくなってしまったということです。

 「吹割の滝」の上流は、水深も浅く水の流れが穏やかです。
川底の岩々が実にとって見ることができ、「千畳敷」と呼ばれています。
澄んだ水が音も立てずに流れています。

 その先をさらに歩いて行くと、川の中腹に島があります。
島へと続く「浮島橋」を渡って行きます。
そこにあったのは「浮島観音堂」です。
795年に観音不動昆沙門大師によって創設されました。
現在の社殿は度重なる再興の末、1984年に原型を忠実に再現して新築されたものです。
何度かの再建にひとつに関わった人物として、左甚五郎の名が伝えられています。
寛永時代の日光東照宮の大造営に彫刻師の棟梁として加わった人物で、有名な「眠り猫」の作者とも言われています。
山の中の小さな祠ですが、意外な人物に守られていたことが伺えます。

 「浮島観音堂」を通って、対岸にも「吹割橋」で渡ることができます。
それでは対岸の崖伝いを歩いて行くことにしましょう。
ちょうど今来た道を折り返して戻るような形になります。
「詩のこみち」と呼ぶ遊歩道が通っているということで喜んで向かったのですが、上り下りの激しい崖にへばりつくような細い道です。
そして一番恐れていたことに、少し歩くたびに鐘のように音を鳴らす道具が道脇に建っています。
恐らくクマ除けのために音を発するためのものでしょう。
周りの物音に耳を傾けながら、鐘を鳴らしながら恐る恐る歩いて行ったのでした。

 そしてその先に合った人造物を見て、ホッとしたのでした。
ここは十二様神社です。
赤い鳥居が周りの緑とは対照的です。
この先にはバス通りに上がることができ、川を跨ぎ元来たバス停に戻れるのでした。

 ところが帰りのバスには、まだ時間があります。
近くに「六角堂」があるということでしたので、そこに寄ることにします。
「六角堂」はバス通りから少し入ったところにありました。
この「六角堂」のある場所が、滝を臨むことのできる絶景なのです。
木々の隙間からいま訪れてきた「吹割の滝」を真上から見ることができます。
川を横切るようにできた滝壺に向かって、川の水が白く尾を引いて流れて行く様がみて取れます。
そしてその先には、巨大な岩がそそり立つ「屏風岩」もくっきりと見えています。
850万年以前に流れてきた火砕流が固まってできた岩石だそうです。
また周りにはアジサイの遅い開花を見ることもでき、気の休まるひと時でした。

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