にっぽんの旅 関東 千葉 養老渓谷

[旅の日記]

養老渓谷と上総国分寺 

 今回は千葉県のローカル線の旅です。
千葉のローカル線といえば銚子電鉄が有名ですが、既に別途レポートがありますのでそちらを見ていただくことにして、今回は小湊鐵道への乗車です。

 R内房線の五井駅の片隅に、小湊鐵道のホームがあります。
JRの改札では、入場券を手渡されて改札をすり抜け、小湊鐵道のホームに向かいます。
といっても券売機があるわけでもなく、駅の隅っこ(階段の裏側)の駅員室で1日券を購入します。

 電車の出発時間には、まだ30分ほどあります。
実はこの時間待ちも予定通りなのです。乗り降り自由の1日券で一旦ホームから出て、機関区に向かいます。
ここには、歴代の旧車両が展示されているのです。
まずは蒸気機関車が3両。それぞれアメリカあるいはイギリスから輸入したもので、1956年まで活躍していました。
そして、車体の色も褪せてしまったキハ5800形の姿も。
これも小湊鐵道の歴史を物語っている車両達です。
そして車庫には、赤と肌色の小柄な車両の数々です。

 にわか鉄っちゃんになり気を良くして、ホームに戻ります。
やがて若い女性の車掌さんを乗せた列車が、ホームから滑り出します。
電車ではなくディーゼルカーで、起動時のうなり音が車内に響きます。
かわいい車体を大きく左右に揺らしながら、列車は田んぼの中をエッチラオッチラ走ります。
今回は2両編成であったため、車掌さんは大忙し。何故かと言えば・・・
無人駅がほとんどのローカル線ですから、列車が走り出すと切符の車内販売が始まります。
純情でない揺れをこらえながらの、切符の販売です。軽やかな切符切りの音が耳に残ります。
それが終わると、大慌てで車掌室に戻ります。
車掌室は駅の改札口の場所に合わせて、1両目に行ったり、最後尾に戻ってきたり。
そして駅に着くと、ホームに降りて切符の回収。
列車が走り出すと、素晴らしい記憶力で今乗車した客のところに向かい、切符の確認。
これの繰り返しがずっと続くのです。
しかし上総牛久駅を過ぎると客の数もぐっと減り、のどかな田舎の列車に戻ります。

 1時間ぐらい乗ったでしょうか。養老渓谷駅に着きました。
車内からリックサックを背負った客が数組降りたのですが、皆バスに乗り込んでしまいました。
どうやら栗又の滝を見に行くようです。
私の進むハイキングコースには誰一人向かわず、観光地?に来たのにこの寂しさには驚きです。
一人で歩きだし、真っ赤な鉄橋の宝衛橋越え、白鳥橋に向かいます。
観光マップでは「すぐそこ」のように描いてあります、これがなかなか手ごわいものです。
車も通ることのできる決して険しい道ではないのですが、曲がりくねって登ったり降りたり。
やっと見えた吊橋の白鳥橋では、「ここから先が人里」というような所でした。

 さてしばらく歩いていると、視界が開け養老温泉街に出ます。
そして養老川に架かる2連の太鼓橋が、観音橋です。
橋を渡って出世観音に向かいます。
長い上りの階段、そしてトンネルを抜けたところに、その観音様はあります。
出世観音とは、源頼朝が石橋山の合戦で南総に逃れ、その時持参した観音像を祀ったのです。
そしてその後の天下平定から、再起の守護神として出世観音と言われるようになったということです。

 再び観音橋のたもとまで戻り、その先の中瀬遊歩道に入ります。

養老川沿いをのんびり進む散策用の道です。
川沿いの道ばかりではなく、所々には川に並べられたコンクリートのブロックの上を踏みしめて、川を横切らなければならないところがあります。
つまり足元に川の流れを見ながら渡る橋で、床に隙間はあるし柵もない状態です。
しかし養老川はなめらかに削られた岩の上をなめるように水が注ぐ、優しい流れの川です。
青藻が目立ち水の汚れがあるのが残念ですが、川の流れは実に穏やかなのです。

 やがて2つの川が合流する地点があります。
ここは弘文洞跡と呼ばれ、耕地開拓のために蕪夾川に人工的に蛇行させ三日月湖を作ったところです。
ところが1979年に轟音とともに崩れ去り、それまではつながっていた上部が崩壊してしまいました。
その後は景勝地として人々が訪れるようになったのです。

 さらに進むと遊歩道は終わり、県道に出ます。
人気がなく道案内の看板もなくなっていしまった道を、山手にひたすら歩きます。
トンネルを越えると、奥養老バンガロー村入り口に出ます。
ここが今回の養老渓谷の散策の折り返し点で、バンガロー村を横切って時計回りに大周りに養老渓谷駅に戻る予定です。
ところが入口までは来たのですがバンガロー村への道が判りにくく、やっと見つけていざバンガロー村に入り込んだものの今度は各バンガロー間やと炊事場への通路はあるのですが村の反対に抜ける道が判りません。
おまけに上り下りが激しいので間違いだから引き返すという訳にもいきませせん。

 緻密に作られた迷路をなんとかクリアし、バンガロー村を後にしますが待っていたのはまたしても急な坂です。
登山をするかのごとく、1歩1歩踏みしめながら長い長い坂を登って行きます。
くたくたになりながら養老渓谷駅に辿り着き、そこで待っていたご褒美の冷えたビールはこの上もなく美味いものでした。
そして採ったばかりと言わんばかりの柔らかいたけのことわらびが盛られた山菜そばは、さすが店の人が薦めるだけあって絶品の味でした。
駅のホームには乗車券で入れる足湯があり、そこにに浸かりしびれる足を休めたのでした。

 さてこのまま五井駅まで列車で戻るのも惜しいし、どうせ同じ列車を待つのであれば逆方向の列車に乗り折り返してこよう!
1駅先の上総中野駅までの短い列車の旅が、急遽追加されました。
上総中野駅は小湊鐵道の終着駅、そしていすみ鉄道との接続駅でもあるのです。
つまり一派に言う「ターミナル駅」です。なにかあるのではないかと。
ところがまさかとは思ったのですが、そのターミナル駅は無人駅でした。
このまさかに応えてくれるところが、ローカル線のよいところです。

 さて上総中野駅から五井駅まで帰るだけですが、またしても途中下車です。
五井駅の1つ手前の上総村上駅に、国分寺を復元したものがあるとか聞きつけたのです。
駅から1km程歩いたところに国分寺があります。
国分寺は聖武天皇の詔によって全国80箇所に造られた国分僧寺と国分尼寺が対になったお寺です。
上総の国の場合、広大な国分僧寺の跡地には、今の国分寺と茅葺の薬師堂が残っています。
今回はその先の再現された尼寺にも訪れてみます。
まず資料館で、平城京の文化が東海道を通り、東京湾を渡ってここ上総に真っ先に伝わってきたことの説明を聞きます。
さらに、尼寺としては日本大規模であったということに驚かされます。
そしていよいよ一部が再現された国分尼寺の現物を見学することにします。
現時点では中央回廊部分だけの復元ですが、朱色がまぶしく当時の上総の国の勢力を知らされます。

   すべての行程を終了したときには足もクタクタで、もう1回足湯に入りたい気分でした。
そして今回乗ったいずれの列車、そして朝1日券を買い旧車両の展示情報を聞いたのも同じ車掌さんで、検札の度に「またこいつか」と思われたことでしょう。

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