にっぽんの旅 関東 千葉 大多喜

[旅の日記]

館山と崖観音 

 館山にやって来たのは、午後18時も過ぎたころです。
冬の時期の18時となれば日も暮れ、海からの風の寒さも身に沁みます。
今晩は早くホテルに入り、明日に備えます。
ホテルに荷物を置いて、館山の美味しいものを探しに外に出ます。

 房総の魚が食べたいのですがただ食べるだけでなく、この地方独特のものはないかと店を巡っていました。
その時「なめろう」の文字が目に入り、「そうだ、今宵はなめろうだ!」と決まったのでした。
頃よい居酒屋を見付け、カウンターで飲み物と煮魚を注文します。
魚が美味しかったのか、ビールが次々に喉に吸い込まれていきます。
一通り飲み終えて、締めの「なめろう丼」を頼みます。
「なめろう」とは、アジを包丁を使って粘り気が出るまで細かく叩き、味噌を加えて味付けしたものです。
小骨が残っているのはお愛嬌で、生魚を存分に食べることができます。
呑んだ後の丼はちょっと量がありましたが、美味しく平らげることができたのでした。

 翌日は、館山駅から1駅北にある那古船形駅まで移動します。
昨晩は館山に着いた時にはすでに暗くなっていたので気付かなかったのですが、館山駅は中世の西洋の城を思わせるような造りになっています。
そんな立派な駅を背景に、駅前ロータリーの真ん中には南国のシンボルであるヤシの木が立っています。
そうここは夏が似合う、房総の海が広がる館山です。
しかし季節は冬、確か30年ほど前に訪れたときには季節の良い春先で、夏の房総にはまだ来たことがないです。
なんだかんだ言っているうちに、電車がやってきました。
隣の那古船形駅には、あっという間に到着したのでした。

 那古船形駅は、駅前は静かなJR内房線の駅です。
木造の駅舎が、この町の雰囲気にぴったりです。
ここから崖観音で知られる「大福寺」まで、家々の間を縫うように走る路地を歩いて行きます。
10分ほどの移動ですが、崖をえぐるように建てられた「崖観音」を目指して進んでいきます。
山の中腹の岩肌にへばりつくように建っている「崖観音」は、町のどこにいても見ることができるのです。

 東国行脚を行っていた行基が、717年に地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌に十一観世音菩薩を彫刻したことがこの寺のはじまりです。
その後に慈党大師がこの地を訪れたときに、堂字が建設されます。
1653年に観音堂は火災に会ってしまいますが、1715年には再建されます。
ところが、1910年の大豪雨の際の土砂崩れで、本堂、庭園とも倒壊してしまいます。
さらには1923年の関東大震災で、観音堂と本堂が倒壊してしまいます。
そんな苦難を乗り越えて、現存の「大福寺」があるのです。
船形山の岩の地肌がむき出しの場所に、朱塗りの観音堂があることで有名な「大福寺」の「崖観音」です。

 本堂から観音堂までは、墓を見下ろす石段を登っていきます。
山の中腹にある観音堂からは、眼下に太平洋の海を臨むことができます。
あいにく本日は風が強く、海は白波を立てて荒れています。
「大福寺」の隣には「諏訪神社」もあり、観音堂への途中で神社本殿への道がつながっています。

 それでは、ここから海に降りてみましょう。
どこに行っても観音堂に見守られているかのように、上を見上げると常に観音堂が顔を出しています。
一方の海ですが、海岸に立てられた吹き流しは強風のため休む間もなくバタバタとたなびいています。
今日はいつもの穏やかな海ではなく、荒々しくうねり狂っておりかなりのご機嫌斜めな状態です。
もちろん、浜には人っ子一人出会うことがありません。
しばらくは海を眺めていましたが、ここは早々に次の場所にバスで移動します。

 バスは朝出てきた館山駅を越えて、「みやぎ」バス停まで進みます。
ここには「赤山地下壕跡」があるのです。
受付でヘルメットを借り、念のためにと懐中電灯をもらって指示された通路を進みます。
山の斜面にポツリと空いた穴が、地下壕への入口です。
館山海軍航空隊の地下壕で、1.6kmの長さを誇る巨大なものです。
地下壕の中には左右に直角に壕が掘られ、メインの通りだけが電灯で照らされています。
壕は5〜10mという狭いうえ、計画的に造られたとは思えない構造のために、米軍の空襲が激しくなった終戦直前にあわてて掘られたものではないかと予想されます。
壕内にある発電所跡や壕に潜って海軍航空隊の事務を行ったという証言から、館山海軍航空隊の防空壕であったことが判っています。

 戦争の悪しき遺産の壕ですが、美しい一面もあります。
地下壕の壁には入り組んだ地層が筋状に現れ、その曲線美は素晴らしいものです。

 「赤山地下壕跡」を後にし、次に向かったのは「館山城山公園」です。
ここには「館山城」があったところで、いまでは復元された天守閣が「館山市立博物館別館」として利用されています。
館山城の外観はいまだに不明で、復元に当たっては丸岡城を模して模擬天守が造られました。

 「館山城」は、1580年に里見義頼によって築城されます。
ところが1614年には館山藩は取り潰しとなり、この時「館山城」も廃城となりました。
10代170年にわたってこの地を支配した里見氏については、江戸時代の文豪曲亭馬琴が「南総里見八犬伝」に記しています。
「館山市立博物館別館」は別名を「八犬伝博物館」とも呼び、「南総里見八犬伝」に関する資料が展示されています。
「館山城山公園」には梅林があり、気の早い梅が花をつけています。
まだまだ寒い1月ですが、着実に春が迫ってきている証拠でしょうか。

 ここからは「渚の博物館」に寄って、館山駅に戻ります。
のんびり歩いて、館山の町と海を楽しみます。
館山駅では、限定30食の弁当があるのです。
「くじら弁当」で、頼むとその場でご飯をよそってくれます。
ここで弁当を買って電車に乗り込むはずだったのですが、改札を入った途端「強風で電車が遅れています」のアナウンスが流れてきました。
しかたなく東京行の高速バスに切り替えて、バスの中で弁当を広げることになりました。
「くじら弁当」は、くじらの肉とくじらのそぼろが、白いご飯に掛かった弁当です。
くじらの肉は、昔給食で食べたことのある懐かしい味がします。
そぼろは甘辛い味付けがされており、実に食べやすくなっています。
てバスはアクアラインを経由して、一直線に東京に向かって行ったのでした。

 
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