にっぽんの旅 関東 千葉 佐原

[旅の日記]

佐原 

 千葉県の茨城県との境、水郷の街を本日は訪れます。
佐原は、北総の小江戸との呼ばれる江戸時代の街並みが残っているところです。

 成田線の佐原駅に降り立ち、まずは水源橋を目指します。
バス通りですが、日が暮れると真っ暗になりそうな田舎の道を踏みしめて歩き出します。
事実、昨晩この地に到着したのですが、通りに灯りはなく駅前も電車が行けば人一人おらず閑散としており、食事ができるところを探したのでした。
利根川からの水はこの橋辺りから地下にもぐり、両総用水と名前を変えます。
川はゆっくりとした流れで、利根川からの水をたたえています。

 少し向きを変え、今度は諏訪神社を目指します。
通りに大きな鳥居が見えると、諏訪神社の参道の入り口です。
そして神社の手前に小さな佐原公園(別名を諏訪公園)があります。
日本で初めて地図を作った伊能忠敬の銅像が、ここに立っています。
朝の散歩をする人とすれ違ったぐらいで、まるで人気がありません。

 諏訪神社では、長い長い階段が出迎えてくれます。 これを登りきらなくては神社には行けず、戦国時代の城の造りを思わせるものです。
階段の先に見える本殿の屋根は行けども行けどもなかなか姿を現わさず、さすがに一気に登るのは大変でした。
諏訪神社の起こりは、天慶の乱の功績に対し下総大須賀荘領主に任ぜられた大神惟季が、信濃国諏訪大社を勧請し領内の守護として祀ったが始まりです。
現在の社殿は、1853年に創建されたものです。

 佐原の歴史にも触れ、今度は本日の目的地である小野川沿いの街並み巡りに向かいます。
諏訪神社から小野川に架かる忠敬橋に向かう途中、酒蔵を目にすることができます。
入口には杉玉が飾られ、新酒ができたことを知らせています。
中を覗かせてもらうと、木造の蔵と煉瓦の煙突が見え、古くからの酒蔵であることが見て取れます。
ここで利き酒と言いたいことろですが、先を急ぐことにします。

 昔の世界にタイムトリップしたような江戸時代のたたずまいを残すお茶屋さん、呉服屋さんが見えてきます。
道は小野川の忠敬橋を渡り、先ずはまっすぐ八坂神社まで進みます。
右手に荒物屋、乾物屋、左手には油屋が並んでいます。
ところがその先に、今までとは違った煉瓦造りの建物が現れます。
ここが三菱館です。
川崎銀行佐原出張所として開業した銀行で、1914年に三菱銀行佐原支店としてイギリスから煉瓦を輸入して造られた洋館です。
街の中で、ひときわ目立つ建物です。

 さて再び忠敬橋に戻り、小野川沿いの街並みを観て回ります。
忠敬橋から数件南の場所に、伊能忠敬の旧宅があります。
中は自由に見学できますが、さすがに名手の出だけ広い敷地に平屋造りと、周囲の家とは違います。
旧宅の庭にも、忠敬の銅像が飾られています。

 その時外が急に騒がしくなりました。
人影もまばらなのにおかしいなと思い表に出ると、忠敬の家の前で小野川に架かる桶橋から水が流れ落ちているではありませんか。
これは昔農業用水を送るために造られた橋の名残で、今は30分おきに水を流すことから地元では「ジャージャー橋」とも呼ばれています。

 水が引くまで橋を眺めた後は、その桶橋を渡って対岸の伊能忠敬記念館を訪れます。
ここでは豪商の当主として商才を発揮した前半生と、隠居しても勉強を重ねやがては日本中を歩いて我が国初の地図を完成させた後半生を、展示と映画で紹介しています。
天文学が地図と深く関係しており、また当時作った今と寸分たがわず正確であったことなど、今更ながら感心させられます。
地図だけをテーマに展示している記念館の割には、うまくまとめられており入場料を十分取り戻すことが可能な内容でした。

 さて、小野川沿いを北に向かって進み、数々の江戸時代の建物を眺めて行きます。
そんな中、旅館までもが昔のたたずまいで残っています。
「木の下旅館」は風情があり、次回来る時には是非泊ってみたい宿です。
小野川にはしだれ柳が風になびき、舟巡りの舟がのんびりと行き来しています。

 それらの街並みも、開運橋までくればおしまいです。
帰るために佐原駅まで歩いていた時に、魚屋さんの前で不思議な光景に出会いました。
アンコウでしょか、赤っぽい魚が口を吊るされ、さばいたような跡が店先に残っています。
今夜はアンコウ鍋かなと、寒さがしみてきた今、勝手な想像をしてしまうのでした。

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