にっぽんの旅 関東 千葉 大多喜

[旅の日記]

いすみ鉄道で行く大多喜 

 今回の旅のスタートは、千葉県の大原駅です。
JR外房線の特急「わかしお」に乗ってやってきました。
さすが特急電車の車両だけあって、揺れはほとんど感じず快適な旅です。
単線の路線であることに、大原駅で降りて初めて気付いたのでした。

 ここは外房線の駅でもあり、いすみ鉄道の始発駅でもあります。
これから乗ろうとするいすみ鉄道の発車まで時間があるので、町をぶらりと散歩します。
2枚の大きな木の看板が掛かっているのは、地元の酒屋です。
大原駅近くに酒蔵をもつ木戸泉酒造の「木戸泉」、そして大原と勝浦との中間に位置する岩の井酒造の「岩の井」です。
そんな街並みを眺めながらブラブラしていると、そろそろいすみ鉄道の列車が入線して来る時間になりました。
実は先ほど切符を購入したとき、売店の人が発車時間だけでなく入線時間も教えてくれたのです。

 駅に着くと、ちょうど列車が着くところでした。
黄色い車体は、ムーミン列車です。
車体にはムーミンを囲んで、ちびのミイ、スニフ、スネフキン、スノーク、ニョロニョロなどムーミン谷の面々が揃っています。
車内にも壁や窓にさりげなくムーミンのチャラクタのシルエットが描かれています。

 さていよいよ列車の発車時間です。
鉄道好きが集まることで有名ないすみ鉄道だけあって、乗客の多くがカメラ片手に乗る観光客です。
ここから目指す大多喜駅までは、約半時間の旅です。
やがて社内にアナウンスが流れ、列車の速度を落とす場所があります。
池の淵にムーミンがピクニックに来ており、ムーミン谷の様子を再現しています。
もちろん人形のムーミンですけれども。
列車はさらに進んでいきます。

 半時間のローカル線の旅を楽しんで、大多喜駅に着きました。
レトロな雰囲気が漂うホームを出ると、時計台を備えた駅舎の前には小さなロータリーがあります。
その先には、「大多喜町観光本陣」があります。
ここでは、地元で採れたものや土産物が並んでします。
大多喜のご当地キャラクタである「おたっきー」も、ここに居ます。

 大多喜についていきなりですが、まずはお腹を満たすことにします。
駅近くの店に入ると、そこには「十六丼」なるものがあります。
イノシシの肉を焼いて、ご飯の上に敷き詰めたものです。
シシであるから、4×4で16丼となったそうです。
肉にワサビを乗せて食べると、ピリッとしたアクセントがつきます。
温泉卵を混ぜてもやしのナムルやキムチを絡めて食べるのも、良しです。
イノシシ独特の臭みもなく、付いてきた味噌汁の味も良く、美味しくいただける一品です。

 お腹も満たしたので、次は「大多喜城」に向かいます。
大多喜駅からは1kmほど離れた場所にあるのですが、街中からは離れ「夷隅川」沿いに歩いて行きます。
途中の「県立大多喜高校」には、「大多喜城」の「薬医門」があります。
高校の正門の先、校舎の入口までの途中に建っています。
大多喜の水道工事に尽力した小高半左衛門が、旧制大多喜中学校(現大多喜高校)に寄贈したことから、この地に残っているのです。

 そこからさらに進み、「大多喜城」の駐車場にたどり着きます。
ここから先は登坂で、「大喜多城」に向かって進みます。
途中の斜面に、向こうまで光が差している穴を目にすることができます。
「大多喜水道」で、大多喜町伊藤の山麓にある神坊の瀧から5.7kmの距離を、城下へと水を引くために造られた水道です。
通路が山を貫通しているのは、ここが山の合間に水道を通すために造られたトンネルのためで、全部で8つのトンネルが掘られました。
1870年に造られた「大多喜水道」は、1954年に今の近代的な水道が整備されるまでの80年以上に渡って使い続けられてきたものです。

 そしていよいよ、「大多喜城」が見えてきます。
「大多喜城」は、1521年に真里谷信清が「小田喜城」として築いたのがはじまりとされる城です。
その「小田喜城」を基にしたのが「大多喜城」です。
1590年に徳川家康によって里見氏から取り上げたものを与えられた本多忠勝が城主となり、ここを支配します。
忠勝は里見氏の北上に備え、3層4階の天守を持つ近世城郭へと大改築を行います。
そして城下町を整備して、今の大多喜が形作られたのです。
幕末になると城は荒廃し、明治政府では城の取り壊しも行われてました。
今存在する天守は、過去の三層天守絵図などを元に1975年に復元したもので、「千葉県立中央博物館大多喜城分館」として利用されています。

 それではここからは駅の近くまで戻り、街中を散策します。
「大多喜町役場」の先にある「町立大多喜小学校」は、部屋ごとに独立した三角屋根をもつ建物が並びます。
校門からは運動場を挟んでこれらの校舎を見え、その先の山の上にそびえる「大多喜城」をも臨むことができます。

 「宍倉邸」は、1874年の建物です。
醤油の醸造所であり店舗兼住宅として使われたところです。
建物の立派な造りは、不思議なことに古さを感じさせません。

 ここで、町を取り囲むように流れる「夷隅川」に向かいます。
川に架かる橋には、本多忠勝の像が建っています。
期待をしていったのですが、その像は橋の欄干に乗る意外と小さなものでした。
しかし地元の本多忠勝に対する尊敬の念は予想以上で、町を挙げてNHK大河ドラマへの忠勝の登用を狙っているのです。

 再び街中に戻りましょう。
通りにある石鳥居を潜り、「夷隅神社」境内に入っていきます。
大多喜城主となった本多忠勝が城下町を整備するために神宮寺を栗山に移し、その代わり祇園院大円寺から牛頭天王を勧進した牛頭天王社を興したのがはじまりです。
毎月0と5の付く日には、朝市も行われる地元密着の神社です。

 「夷隅神社」の石鳥居の隣には、2階建ての大きな建物があります。
江戸時代から続く「大屋旅館」です。
木の壁で囲まれた風情のある旅館です。
実際に今も営業している旅館で、しかも割と手ごろな料金で泊まれると知って、次回は是非泊まりに来たいと思ったものです。

 次に見えてきたのが、天明年間創業の「豊乃鶴酒造」です。
清酒「大多喜城」で有名な大多喜の造り酒屋です。
店舗の横には、酒蔵が建つ敷地へ続く門があります。
門からは、奥に赤レンガを積んで造られた煙突が見えています。

 「陣座公園 商い資料館」は、商人の町 大多喜で、当時の暮らしを今に伝える資料館です。
扉を潜ると帳場があり、当時のままの姿で残っています。
番頭が座るところの周りには、年季の入った歴代の大福帳が吊るされています。
建物の裏手は日本庭園になっており、「陣座公園」として公開されています。

 町を歩いていると、鎧戸みたいな窓が設けられた土蔵造りの商家に出会います。
質屋と金物屋を営んでいた「釜屋」です。
1階の屋根のうえに乗せられている釜が特徴的です。

 その隣の木の板で敷いた壁をもつこじんまりした建物は、「博美堂」です。
中では段ボールを材料とした手作りの甲冑が展示されています。

 「伊勢幸」は、趣のある建物の酒屋です。
1872年にここに移築してきました。
大手門の材料が使われていると云われ、屋根瓦には城主の紋所があった歴史のある酒屋です。

 その先には「渡辺家住宅」があります。
1849年に建築された商家です。
大多喜を代表する大豪商で、店舗と奥に続く茶の間、中の間、奥座敷、それに勝手を備えています。
建物の中には至る所に工夫が施されており、竿縁天井、透かし彫りの欄間など贅を尽くした造りになっています。
江戸時代末期の上層商家の暮らしを表す建物です。

 そしてその傍には、「房総中央鉄道館」はあります。
なんの変哲もない和風の建物ですが、扉の前に遮断機があることから判断ができます。
いすみ鉄道の前身である「国鉄木原線」などの行き先表示板が展示されています。
また館内にはジオラマが広がっています。
鉄道好きが集まる「いすみ鉄道」とセットで訪れるところなのでしょう。

 さらに歩いて行くと、「四ツ角公園」があります。
櫓が目印の公園で、町の端まで来ましたので、駅に向かって戻ることにします。

 大多喜の町も巡り終え、いよいよ本日のメインイベントです。
大喜多から大原への帰りの列車は、前々から乗ってみたかった急行列車です。
いすみ鉄道の急行列車は旧国鉄の車両を使って運行しており、肌色の車体に窓を赤のラインで描いた懐かしい姿です。
2両編成の車両の後方は、旧国鉄の首都圏色で塗られた車体です。
直角に立ったシートの背もたれや写真のバネは決して乗り心地が良いものではありませんが、ガタゴト揺られてノスタルジーに浸る旅なのです。
急行券は今では見ることのできない紙の切符で、車掌が検察に来て切符切りで鋏を入れてくれます。
そうして30分の列車の旅は、あっという間に終わったのでした。

 大原駅で帰りの外房線の電車を待っていると、後続のいすみ鉄道が駅に入ってきました。
列車の本数が少ないいすみ鉄道にとって奇跡ともいえる事態に、少し困惑してしまいます。
やって来たのは旧のいすみ鉄道色の車体で、重ねてなつかしいものを見ることができたのでした。

     
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