[旅の日記]
醤油の街野田と柏 
千葉には醤油の産地が何ヶ所かあります。
銚子と並び巨大な産地が、本日訪れる野田です。
都内からはJR常磐線と東武野田線を乗り継いで行きます。
まずは中継点である柏で昼食を取ります。
昔行ったことがあるカレー屋が、ここ柏にあります。
懐かしさも加わり、寄ってみることにします。
その前に「柏神社」に久々のお詣りです。
カレー屋があった場所はすっかり変わってしまって、昔の面影はありません。
調べてみると、一旦閉店はしたものの味を惜しむ人が「柏神社」近くで店を継いでいるとのことです。
早速場所を探して、店に入っていきます。
記憶では喫茶店風だったカレー屋も、今では数卓のテーブル席をもつカウンター席中心の店になっていました。
辛いものは苦手なのですが、せっかくここに来たからには激辛のカシミールカレーを注文しない手はありません。
出てきたカレーは赤茶の色をした、いかにも辛そうなカレーです。
無料のピクルスを頼み、涙を流しながら懐かしくいただいたのでした。
さてここからは東武野田線に乗り、野田市駅を目指します。
昔に較べてつくばエクスプレスの乗り継ぎ駅も加わり各駅のホームも綺麗になりましたが、途中の運河駅より先は相変わらずの単線です。
ただし野田市駅は、高架になりびっくりするような立派な駅に生まれ変わっていました。
駅からほどなく進んだところに「巖嶋神社辯財天」があります。
そしてその先のT字路を右折します。
そこには赤い壁と壮大な門で囲まれた中に、「野田市郷土博物館」があります。
しかし観たかったには、同じ敷地内にある「野田市市民会館」です。
茂木佐平治の邸宅だったところです。
茂木佐平治と言えば、梨一族とともに野田醤油株式会社(今のキッコーマン)を創業した茂木一族のひとりです。
母屋や庭園は野田市に寄贈され、市民の福祉施設として使われています。
その隣りの「茂木佐公園」の中に、「金賓殿本社」があります。
茂木佐平治家の稲荷神社と龍神を祀るために作られた社寺です。
手水舎までもが総檜造りの大唐破風の豪華なものです。
また近くには「茂木本家美術館」があります。
ここはキッコーマンの創業家のひとつである茂木本家が2006年に開館した美術館です。
葛飾北斎や歌川広重などの浮世絵のほか、横山大観や梅原龍三郎などの絵画が保管されています。
近世から現代までの作品が展示されています。
それではここから流山街道に出て、柏方向に歩いてみます。
「旧野田商誘銀行」は茂木啓三郎が発起し、1900年に地元の醤油醸造業者達によって設立した銀行です。
高梨一族と茂木一族が74%を出資したことから、キッコーマンの銀行とも言われました。
銀行名にある「商誘」は「醤油」にちなんで名づけられたものです。
しかし第2次世界大戦中の1944年には、国策で千葉銀行と営業権を譲渡し千葉銀行野田支店と改めます。
1926年に竣工した建物が現存しています。
その隣にある近代的で巨大な建物は、野田の町を反映させた「キッコーマン」の野田本社です。
元々あった醤油の商標であった亀甲萬が、後に社名となりました。
醤油だけでなく、デルモンテブランドのケチャップ、利根コカ・コーラボトリング、マンズワインなど、幅広い食品を世に送り出しています。
さらにその隣には、「興風会館」があります。
社会教化教育を目的として、1929年に設立された興風会がもつ会館です。
中には1000席超が収納できる大ホールも備えています。
かつては野田町立図書館もここにありました。
それではキッコーマン野田本社からは野田市駅に近いところにあるキッコーマンの工場に向かいます。
実は工場見学を予約していたのです。
本社の受付で場所を尋ねると、こちらの方が近いと本社内の廊下を通って行くよう案内してくれました。
そして案内されたのが「キッコーマン国際食文化研究センター」です。
ところが工場見学の集合場所はここではないらしく、さらに外で工場入口が見渡せるところまで申請にも連れて行っていただいたのでした。
そして亀甲萬印の押し印を押した貴重な醤油の絞り粕で造られたしおりを、いただいたのでした。

工場には、目の前に巨大な醤油樽が並んでいます。
原料の大豆を蒸し、炒った小麦にキッコーマン菌と呼ばれる麹菌をまぶして醤油麹を造ります。
さらに塩を加えてもろみを作ります。
これには半年をかけて、ゆっくりと発酵・熟成します。
それを布で包んで絞る圧搾・清澄の行程に入ります。
最後に絞った醤油に熱を加える火入れを行って、日頃手にする醤油がやっとできあがります。
これらの説明を受けながら製造工程を眺める興味深い見学コースです。
見学の後は、醤油が入ったソフトクリームがあります。
甘いクリームに混ざるとキャラメルのような味を感じます。
また醤油で焼いたせんべいも売られています。
こちらは手ごろな価格の土産物としてうってつけです。

また工場内には、「御用醤油醸造所」もあります。
朱色の橋を渡り館内に入っていきます。
宮内省(現在の宮内庁)の御用達を受けた専用醸造所「御用蔵」です。
江戸川沿いにあったものを、老朽化の修復のために野田工場へ移築した建物です。
工場見学を終え、ここからは江戸川方向に歩きます。
その途中で見つけたのが、「旧野田町駅」を示す碑です。
1911年に開業した県営軽便鉄道の野田町駅の跡です。
野田と柏を結ぶ鉄道でした。
しかし1923年に北総鉄道に譲渡され、その後に総武鉄道へ社名を変更します。
さらには1944年には東武鉄道が運営することになったのです。
その先にあるのが「須賀神社」です。
出雲国須賀(現在の島根県雲南市)にある大神の分魂が1745年に行われました。
当時から「市神」として親しまれてきました。
社殿の奥には「猿田彦像」もあります。
そしてここから1〜2分の所にあるのが「梨本家 上花輪歴史館」です。
キッコーマンを創業した8家のうちの高梨兵左衛門家の居宅と庭園です。
入口となる冠木門は、宿場の建物かと間違えるような立派なものです。
醸造用具のみならず生活用具や地図、古文書などを公開する郷土歴史館です。
さて野田市駅から隣りの愛宕駅の間に、是非とも寄ってみたかったある餃子店があります。
「ホワイト餃子」と呼ばれる所で、油で揚げた餃子です。
名前を告げて席に着き、注文した餃子が焼きあがる順番を待ちます。
1時間を超えたあたりで、やっと出てきたのは茶色く色付いた丸みを帯びた餃子です。
もちもちの皮の中に、なかなか冷めない熱々の具が入っています。
案の定、口に火傷を作りながらも念願の餃子を久しぶりにたらふく食べたのでした。

ここからは愛宕駅に向かって歩いて帰ります。
途中にあったのは「キノエネ醤油」の醤油樽です。
1830年に山下平兵衛が創業した醤油醸造所です。
多くの醤油業者がキッコーマンに集約したなかで、野田において唯一独立を維持してきた業者です。

そして愛宕のもうひとつの名物が、「愛宕神社」です。
923年の創建とされる古社で、野田開墾の際に山城国愛宕(いまの京都市右京区)の里から火伏の神である加具土命の文例を氏神として祀ったとされています。
大きな石鳥居を潜り、境内に入ってきます。
現在目にすることができる白木造りの本殿は、1824年に再建されたものです。
さてそうこうしているうちに、どっぷりと日が暮れてしまいました。
都会とは違い、通りには数えるほどの灯りしかありません。
すっかり闇夜に包まれた野田の町でした。
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