にっぽんの旅 関東 千葉 松戸

[旅の日記]

松戸宿 

 やってきました、松戸へ。
いつもは常磐線や千代田線で通り過ぎてしまっていた駅です。
でもよくよく考えてみると「松戸宿」のあったところです。
今日は改めて宿場町「松戸」を散策することにします。

 駅を降りると、西口のロータリーに出ます。
ここから松戸の街を水戸街道沿いに歩いていきます。

 まず最初にあるのが、「西蓮寺」です。
真宗大谷派の寺院です。
1594年に将軍家の関東御入国の際に、下総矢喰村(現在の矢切)の杉浦・近藤家等が釋順誓師を三河国刈谷郡(現在の愛知県刈谷市)より招聘します。
光明山西蓮寺と称しました。
1613年には松戸の永井両家の招聘で、現地に地に移転し今日に至っています。

 そのそばには「善照寺」があります。
真言宗豊山派の寺院で、
中には不動明王像が安置されています。

 その先には「宝光院」があります。
朱塗りの柱をもつ社殿で、そこに続く参道には88体の太子像が並んでいます。
水戸街道の「宝光院」への入口のところにあるのが、「千葉周作住居宅跡・浅利道場跡」の碑です。
千葉周作は宮城県栗原市花山村で生まれ、地元の剣士 千葉吉之丞から北辰夢想流を学びます。
15歳になると、父とともに下総国松戸に移ります。
それで巡り合ったのが、小野派一刀流中西派の浅利義信です。
周作はに浅利のもとに入門し、ここで腕を磨きます。
その後独立した周作は、北辰夢想流と小野派一刀流中西派を合わせた北辰一刀流を創始し、多くの門徒が就くことになります。
維新後は彼に就いた多くの剣士が活躍し、日本剣道の発展に尽くしてきました。

 「善照寺」の近くのマンションの敷地内に、「松戸宿」の碑が残っています。
東京都足立区の千住宿から茨城県水戸市をつなぐ水戸街道の2つ目の宿場町です。
江戸時代は主要な街道として五街道が定められましたが、水戸街道はそれに準ずる脇街道のひとつだったのです。
この辺りが宿場町として栄えた当時の証が、ここにあります。

 「松戸宿」の碑の横で、水戸街道は川を越えます。
「春雨橋」です。
そして川沿いには小さな稲荷神社があります。
「松先稲荷神社」です。
その川側は「坂川ひろば」と呼ばれ、松戸町役場があった場所です。
ここから川に降りることができるように、岸壁が階段状になっています。

 それでは再び水戸街道に戻ります。
通りには、趣のある建物が残されています。
「春雨橋」の隣りにあるのが「旧福岡薪炭店」です。
レンガが積まれた外壁をもつ建物で、道沿いの正面には一面に格子状の木戸が並びます。

 その道路の反対側には「栄泉堂岡松」があります。
2階建ての木造建築で、明治時代末期に建てられた和菓子屋です。
上生菓子に今でも根強い人気があります。
店内には墨で書かれた「岡松」の文字がある木箱が積まれています。

 ここからは水戸街道から脇に折れて、「松戸神社」を目指します。
先ほどあった「春雨橋」から「松戸町役場跡」に流れていた川が再び現れます
川に架かる橋を越えるのですが、ここからの眺めが良いのです。
川沿いに植えられた「松戸河津桜」が、満開の時期を迎えています。
そしてこの先が「松戸神社」です。

 景行天皇が110年に武蔵国へ向かう際に、従将の吉備武彦(きびたけひこ)と大伴武日(おおとものたけひ)と落ち合うために、この地に陣営を設けました。
待ち合わせことから「待土」(まつど)と呼ばれ、いまの「松戸」の地名が生まれたと言われています。
「松戸神社」は1626年に御嶽大権現として創建されました。
面白い話が残っています。
水戸中納言の水戸藩2代藩主 徳川光圀が鷹狩でこの地を訪れたました。
その時に「松戸神社」の大銀杏に白鳥が止まり、白鳥に向かって鷹を放とうとします。
ところが鷹は微動だにせず、代わりに弓で射ようとするも弓手が動かなくなり弓も折れてしまいます。
そこで光圀は折れた弓矢を奉納し、御神前に鎮謝したということです。
その先には「松龍寺」もあります。

 JR常磐線、東京メトロ千代田線の西側を歩いてきましたが、ここからは東側に移ります。
地下道で線路の下を潜り、反対側に進みます。
小高い丘の上にあるのが、「戸定邸」です。
正式名称を「旧徳川家住宅松戸戸定邸」といい、水戸藩最後の藩主であった徳川昭武が造った別邸です。
江戸時代には江戸と水戸を結ぶ水戸街道の宿場町であった松戸に、1884年に建てられた屋敷です。
「戸定」とは「外城」を意味する言葉で、松戸城(松浪城)の外郭の役割がありました。
元将軍徳川慶喜もここに何度も訪れています。
建物の周りには広大な庭園「旧徳川昭武庭園」が広がっています。

 隣りの「戸定歴史館」では、松戸徳川家や徳川慶喜家の資料が数多く展示されています。
徳川昭武が訪れたパリ万国博覧会の資料も、展示されています。

 近くにもうひとつ公園がありますので、訪れることにします。
「松戸中央公園」で公園近くになると、急に坂の傾斜がきつくなります。
坂を上り切ったところに、公園の入り口があります。
公園といっても、ここは相模台城跡です。
そしてその後は旧陸軍工兵学校がありました。
公園の入り口に建っている立派な門は、旧陸軍工兵学校の正門だったのです。
それを証拠に、公園の中には陸軍工兵学校跡の碑が建っています。

 さて松戸の街をぐるりと1周した後は、松戸と津田沼を結ぶ新京成電鉄に乗って帰ります。
実はあと数日で新京成は京成f電鉄に吸収合併されることが決まっているのです。
もともとが京成電鉄の子会社としてスタートした新京成なので、元の鞘に収まったということです。
しかしこの白とピンクの車体も、いつかは見納めになる日が来るとなると、寂しいものもあるのでした。

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