にっぽんの旅 北陸 富山 高岡

[旅の日記]

滑川宿場回廊 

 富山県の滑川、その中滑川駅に富山地方鉄道でやってきました。
滑川といえば、ホタルイカの産地で有名なところ。
ですが今回は昼の滑川で、趣のある街並みを見て回ります。

 中滑川駅から西へ海側に歩いていきます。
途中の角には、花がいっぱいに植えられています。
そしてその土地の真ん中には、海岸に消波ブロックとして置かれるテトラポットが飾られています。
こうなると、テトラポットも立派なオブジェです。
さらに歩き進みます。

 その先の通りには、さきほどまでとは違った趣のある家が並んでいます。
ちょうど海岸からは1筋入った場所になります。
まず目にしたのが、「城戸家住宅」です。
19世紀前期ににこの地に住み着いた商家で、味噌や醤油の醸造業や金物類の小売を生業にしていました。
「神田屋」の屋号をもち、ここで手広く商売を行っていました。
1866年の滑川大火で建物は焼失しますが、1875年に再建された建物が今も残っています。
木造2階建の切妻造り、外壁は白漆喰で仕上げられています。
屋根の庇は前に張出した腕木に支えられ、その太く大きな材木は立派なものです。
1階の屋根の屋庇に取り付けられているのは「さがり」と呼ばれる幕板で、普段見ることのない貴重なものです。

 その先には「旧宮崎酒造」があります。
もとは小泉屋という屋号の売薬があり、商売で財を成し酒造業を営むになりました。
江戸時代後期からは養照寺と交代で本陣も務めていました。
それを、明治前期に宮崎家が小泉屋からこの土地と建物を購入して、それ以降宮崎家が酒造業を営んできました。
今の建物は当時の姿を復原したものです。

 その他にも、この通りには趣のある建物が軒を並べています。
それもそのはず、「北国街道」の滑川宿場であったところで、この辺りは「滑川宿場回廊」と呼ばれています。
江戸時代には、加賀藩の参勤交代で大いに栄えたところなのです。
通りの左右に並ぶ家々を眺めながら、当時の雰囲気を味わってみます。

 少し歩いたところで、中川を渡ります。
川上に向かって右岸に積まれた石垣ですが、ところどころが1段低くなっています。
これは「橋場」と呼ばれ、江戸時代は船が着き年貢や物資を積み下ろしていた場所だからです。
今でもその名残が見て取れます。

 中川に沿って建っているのが、「廣野家住宅」です。
母屋は深井省吾という株屋が、1914年の滑川の大工 岩城庄之丈に依頼して建てたものです。
その後の昭和初年に廣野家がこの建物を取得しました。
奥のクリーム色の建物は昭和になってから建てられた「廣野医院」ですが、訪れた時にはちょうど修復の最中で足場が組まれていました。

 再び北の通りに戻ると、小さな空き地があります。
そこには本陣跡の看板が立っています。
桐沢家の2代九郎兵衛が1625年に建てた格式のある屋敷が、ここに建っていたのです。
今はひっそりしている北陸の田舎町ですが、当時はたいそう賑やかだったことでしょう。

 さらに進むと、「小沢家住宅」があります。
小沢家は、ここ荒町で呉服商を営んでいました。
1階こそはアルミサッシが入り様子が変わってしまいましたが、2回に目を移すと当時の姿が残されています。
明治時代後期の建物で、切妻造りの総2階縦です。
黒漆喰で塗られた壁に観音開扉を持つ重厚な土蔵造りが特徴です。

 さてすぐ北側に、堤防が見えます。
そこまで進み堤防を登ってみると、目の前には富山湾が広がっています。
夜になるとホタルイカが盛んで、多くのイカ釣り船の灯りがが地平線に並ぶことでしょう。
滑川には「ホタルイカミージアム」もあるのですが、本日は街並みを味わうことに集中し寄ることはありませんでした。

 次に訪れたのは、神明町の「櫟原(いちはら)神社」です。
神社の起源は大宝元年の701年とも、成務天皇の131〜190年とも言われています。
いずれにしても由緒ある神社に間違いありません。
「式内社」でも格式が高い神社として、広く民衆に信仰されてきました。
1582年に織田信長が本能寺の変で撃たれたことにより、これまで魚津城を治めていた信長の家臣の佐々成政は、魚津城を放棄して居城である富山城まで戦線を縮小してしまいます。
これにより滑川は再び上杉領となり、櫟原神社も上杉景勝より発給した制札が残っています。
櫟原神社社殿は、滑川出身の名工岩城庄之丈により再建されたものです。

 神社の前の通りには、都会人には珍しい雪国ならではものがあります。
通りが茶色くくすんでいると思っていたのですが、そこにあったのは消雪パイプです。
道の真ん中にノズルがあり、そこから汲み出す地下水を散水します。
冬は地表より暖かい地下水が、道路に積もった雪を融かしてくれる優れモノなのです。
とうやらお隣新潟県の長岡が発祥と言われています。
柿の種の元となる浪花屋製菓の創業者 今井與三郎が思いついたという偉大な発明なのです。

 ここからは、JRと富山地方鉄道の駅がある滑川駅に向かいます。
それそれは本数が少なくとも、どちらかの電車がやってくることを期待します。
その道中、面白そうな建物を見つけました。
木造の建物で、壁には今となっては懐かしいキンチョールの看板が掛かっています。
また「本日の東映」と書かれその下には映画のタイトルが入るような空きスペースのある掲示板も壁についています。
いまだに判っていませんが、ここは何だったのかが知りたくて興味を持ったのです。

 その先には滑川で唯一と言ってもいいような近代的な建物があります。
「市民交流プラザ」で、土台より一段広い建物と最上階の丸い展望室が特徴です。

 そうして「滑川駅」に辿り着きました。
今晩は富山湾寿司を食べようと、ここから「富山駅」に電車で移動ます。
もちろんホタルイカも。

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