にっぽんの旅 北陸 石川 七尾

[旅の日記]

花嫁のれんが残る七尾 

 本日は「JR七尾駅」周辺の散策です。
金沢からは、「津幡駅」までをIRいしかわ鉄道で、それから先「和倉温泉駅」までのJR七尾線に乗り込みます。
両線は相互乗り入れをしており1本の電車で移動できるのですが、交流のIRいしかわ鉄道に対して直流の七尾線に移るときに一時的に冷房が切れるアナウンスが車中に流れます。
目的の「七尾駅」は「和倉温泉駅」のひとつ手前の駅です。
この駅は金沢から来るJR七尾線の普通電車の終着駅、そして穴水からののと鉄道の終着駅でもあるのです。
ところがJR七尾線の特急電車はひとつ先の「和倉温泉駅」まで行っての終点なのです。
つまり「七尾駅」と「和倉温泉駅」の間は、両線が共同運用しているめずらしい区間なのです。

 そんな状況はさておき、「七尾駅」から御祓(みそぎ)川沿いに北に1kmほど進んだところにある「七尾港」に向います。
江戸時代には加賀藩の軍港として、七尾軍艦所を設けたところです。
いまではここから港巡りの観光船が、発着しています。
港にある「能登食祭市場」では、海産物の販売と食事をすることができます。

 「七尾港」のロータリーの端には、「印鑰神社」があります。
町のあちらこちらで円形の朱色の形を見かけます。
山車の車輪で、その現物が境内に飾られています。
山車は500年の歴史がある青栢祭でか山のもので、日本一の規模を誇ります。

 駅から港への道を戻り、右手に見える赤い欄干の橋が架かる「一本杉通り」に入ります。
奥能登に向かう街道沿いに一本杉が生えており、街道の目印となっていました。
出会いの一本杉と呼ばれ親しまれてきたのです。
いつしかここに町ができ港が栄えて、今の七尾の一本杉通りとなったのです。
通りには古い建物が今も残っています。

 「高澤勇吉商店」は酒屋で、酒や醤油が描かれた木製の看板が掛かっています。

 「高澤ろうそく店」は、1910年に高澤浅次郎が蝋燭店として創業したものです。
店内には、赤や白色の和蝋燭が並んでします。
蝋燭に手書きで絵付けがしてあり、1つとして同じものはありません。
2階には「ろうそくミニ博物館」が解放されています。

 昆布海産物處「しら井」は、大きなどっしりした建物です。
店内に入ると、全校各地の名産の昆布や海藻、そして真空パックされた干物が並んでいます。

 この辺りは、「花嫁のれん」が有名です。
「花嫁のれん」とは幕末から明治にかけて加賀の風習で、嫁入りの際に花嫁は持参した紋入りののれんを嫁ぎ先の仏間の入り口に掛け、先祖に嫁ぐことの挨拶をしたことから来ています。
のれんといっても着物と間違えるくらいの綺麗で華やかなものです。
そんな「花嫁のれん」は店先に飾られており、それを見ながら店を訪ね歩くのが珍しさと面白さを誘うのです。

 その先に「鳥居醤油店」があります。
大森屋の屋号で和菓子屋を営んできましたが、1905年の七尾大火で焼失してしまいます。
1908年に創建し、1911年に鳥居長助が引き継いで「鳥居花鳥堂」となります。
1925年には定吉がは油製造業に転職し、いまの「鳥居醤油店」が営まれています。

 「北島屋茶店」は、1904年ごろに海鮮問屋の津田嘉一郎が建築した建物です。
その後、弁護士北林弥三次郎が買い取り弁護士事務所を開設します。
いまでは子孫となる敏雄が「北島屋茶店」を創業して、歴史ある建物が受け継がれているのです。

 「一本杉通り」はバスも通る広い通りです。
祭りの時には、ここを山車が練り歩きます。
そして「花嫁のれん」という、北陸の小さな町の古いよき風習がこうしていまも生き残っているのです。

 おりしも昨日から運用を開始したJR特急の「花嫁のれん号」を、「JR七尾駅」で見ることができました。
華やかな花嫁のれんと、趣のある輪島塗を兼ね備えた装飾を施した車両です。
一方の私は来たときとは色の違った七尾線の普通車両に乗り、ローカル線ののんびりした旅を楽しみながら金沢まで戻ったのでした。

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