にっぽんの旅 北陸 石川 金沢

[旅の日記]

金沢駅からひがし茶屋まで 

 金沢に来ています。
前回来たときから数えて、20年ぶりの訪問です。
北陸新幹線も開通し、北陸圏は様変わりしてしまいました。
今回の旅行だって良い季節であることは間違いないのですが、宿を取るのにかなり苦労したのです。

 さて時間もいいので、まずはお昼にします。
金沢のB級グルメである「ハントンライス」を食べてみることにします。
ところが、目指していた店には臨時定休の張り紙が。
思いもよらない展開に、慌てて次の店を探すのでした。
そして見つけたのが、武蔵町にあるステークハウス。
お昼は値段の手頃な「ハントンライス」を提供していたのです。
その「ハントンライス」ですが、ケチャップで味付けしたバターライスをたまごでくるんだものです。
これだけなら普通のオムライスのようですが、この上に白身魚やエビのフライを乗せ、タルタルソースをかけたものです。
元々は「ジャーマンベーカリー」という店の賄飯を、若者向けにアレンジしたもので、金沢の郷土料理となるまでに普及したのです。

 せっかく武蔵町まできたのですから、近くの「近江町市場」に寄って行きます。
市場の通りは人でごったがえしており、新鮮な日本海の魚やそれを調理した食堂が並んでいます。
買物客と観光客が混ざり合って、品定めをしています。
後で出直してくるときの店定めをして、先に進むのでした。

 武蔵町から香林坊方向に歩いて行くと、見慣れない形の門をもつ「尾山神社」があります。
ここは加賀藩の藩祖前田利家を主祭神とする、1873年創建の神社です。
1599年の前田利家の没後、前田利長は越中国射水郡の物部神社に祀られていた八幡神を勧請して、金沢城の東側に「卯辰八幡社」を建てて、利家の霊を祀ります。
しかし幕末になると加賀藩の財政難から「卯辰八幡社」の荒廃が目立つようになり、明治には入った1873年に新たな神社を建立することになります。
これまでの「卯辰八幡社」は「宇多須神社」となり、新たな神社を「尾山神社」として祀ったのです。
擬洋風建築の神門は、津田吉之助の設計施工により1875年に完成したものです。

 香林坊まで来ると東に方向を変え、「石川四高記念文化交流館」に寄ります。
ここは旧制四高(今の金沢大学)の煉瓦造りの建物が保存され、中には四高魂を語り継ぐための歴史と道具を展示・説明しています。
そうなんです、旧制四高の受験に受かっていたものの東京の大学に行ってしまったことを思い出し、どちらが良かったのかと自問自答する自分がいたのでした。

 その先には「しいのき迎賓館」が続きます。
石川旧県庁だった建物で、1924年の風格のある建築です。
石川県の県政を78年間守ってきたところです。
正面左右には樹齢300年とも言われる大きなシイノキがあり、建物がより立派なものに見えます。

 さてその先の広坂の交差点で左折し、「金沢城」の「石川門」を目指します。
通りには一般の車に混じってボンネットバスが走っています。
金沢市内を観光用に循環しているバスで、昔懐かしい姿をしています。

 「石川門」には「兼六園」に通じる近代的な橋が架かっており、一旦「兼六園」側の坂を登って「石川門」に入ります。
加賀百万石を治める金沢城は、1583年に前田利家により建城が行われます。
そして1869年まで間、加賀藩前田家14代の居城とされてきました。
度重なる火災により石川門と三十間長屋以外の建物は消失してしまいましたが、その後に古絵図や古文書などをもとに「菱櫓」「五十間長屋」「橋爪門続櫓」を復元し、当時の姿をいまに蘇らせています。
その「菱櫓」「橋爪門続櫓」を両側に配した「五十間長屋」は、武器を保管する倉庫としての役目をもったところですが、「二の丸広場」から見ると勇壮な日本建築の姿を映し出しています。

 「金沢城跡」から北にしばらく歩いて行きましょう。
「浅野川」に架かる「浅野川大橋」を越えると、道路沿いに古いたたずまいの家々が並んでします。
通りから右に折れ、「ひがし茶屋街」に入って行きます。
金沢には、「ひがし茶屋街」「主計町茶屋街」「にし茶屋街」の3つの茶屋街があり、それぞれに多くの芸妓さんを抱えています。
木虫籠と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みで、これが石川の小京都と呼ばれる所以です。
街全体に古い町屋が並び、明治初期にタイムスリップしたような感覚にさせられます。
中には金箔を使った器を並べている店の中庭に、壁に金箔で覆った蔵があります。
金沢の伝統工芸である金箔をふんだんに使った例です。

 「ひがし茶屋街」でゆっくりした後は、武蔵町まで歩いて戻ります。
その途中にあるのが、尾張町にある「町民文化館」です。
1907年に「金沢貯蓄銀行」として造られた建物で、後の北陸銀行尾張町支店として営業していたところです。
外観は黒漆喰仕上げの土蔵造ですが、中は白漆喰仕上げで和洋折衷の造りになっています。
銀行の窓口が残っており、当時の姿を想像することができます。
また地下室の金庫も見学できるます。

 武蔵町まで少し歩き、ここからは最後の力を振り絞って野町まで進みます。
本当はバスに乗って行きたかったところですが、適当な時刻のバスがなく、結局歩く羽目になったのです。
「にし茶屋街」野町を越え、バス通りからも離れたところに北陸鉄道石川線の「野町駅」はあります。
1時間に1〜2本しかないローカル線で、改札前の椅子で改札の時間が来るのを待ちます。
やってきたのは2両編成の鶴来行きの電車で、ステンレスのボディーにオレンジ色のラインが目印の元東急の車両です。

 さて、夕食は豪華な加賀御膳といいたいところですが、そこまで払う勇気もなく寿司屋で海鮮丼です。
それも金沢らしく、金粉がちりばめてあります。
丼からはみ出して並べられた取れたての刺身を頂きながら、金沢の1日が過ぎていったのでした。

   
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