にっぽんの旅 北陸 福井 三国

[旅の日記]

三国・東尋坊 

 本日は、福井県の三国を探訪します。
福井駅から乗ったえちぜん鉄道は、1両編成のローカル線です。
街中では大きくカーブを切って走っていた電車ですが、福大前 西福井駅を過ぎたあたりから、真っ直ぐな線路が続きます。
なかのつ駅を過ぎれば周りは田園風景で、田植えを身近に控え水を張った田んぼが広がり、その真ん中を単線の線路が走っています。
線路端にはレンゲがピンクの花を付け、美しい風景を見ることができます。

 終点の三国港駅は、目の前に停泊している漁船が見えるだけの静かな町です。
500mほど先の三国町宿にあるサンセットビーチでは、春が来るのを待っていたかのように波を待つサーフボードが海面に漂っています。
ここはバスに乗って、「東尋坊」まで進みます。

 2km程の道のりをバスに揺られて、あっという間に「東尋坊」に着きます。
さすが景勝地で名高い「東尋坊」だけあって、その道のりは左右に土産物やカニを売っていたり、サザエやイカを焼いていたり、様々の店が軒を連ねています。
そしてお目当ての「東尋坊」が見えてきます。

 その昔、平泉寺に怪力を頼りに悪事の限りをつくした東尋坊という僧侶がいました。
当然のように、平泉寺の僧侶達は困り果てていました。
東尋坊はとある美しい姫君に心を奪われ、恋敵である真柄覚念(まがらかくねん)という僧と激しくいがみ合っていました。
1182年の4月5日、平泉寺の僧たちは皆で相談し東尋坊を海辺見物に誘い出し、岩の上に腰掛けての酒盛りが始まりました。
次第に酒がすすみ、東尋坊も酒に酔ってうとうとと眠り始めました。
東尋坊のその様子をうかがうと、一同は真柄覚念に合図を送ります。
真柄覚念は、ここぞとばかりに東尋坊を絶壁の上から海へ突き落としたのでした。
東尋坊が波間に沈むやいなや、それまで光輝いていた空は、たちまち黒い雲がたちこめ、にわかに豪雨と雷が大地を打ち続け、東尋坊の怨念で真柄覚念をも絶壁の底へと吸い込んでいったのでした。

 景勝地「東尋坊」の奇怪な岩肌は、今から約1200万円〜1300万年前に起こった火山活動で、マグマが堆積岩層中に貫入して冷え固まってできた火山岩が、日本海の波による侵食を受け地上に現れたものとされています。
海食によって海岸の岩肌が削られ、高さ約25mもの六角形の柱状の岩壁が続きます。
波が打ち寄せては、白い粒のしぶきが舞い上がり、その途端水がすっと引いていく様が、繰り返し繰り返し行われています。
一方で自殺の名所でもあるこの地ですが、間違って落ちないように岩肌をへっぴり腰で伝って進み、波の打ち寄せる様子を覗き込みます。
「大池」「屏風岩」など、奇岩の数々を見ることができます。

     
 遠くには雄島に架かる朱色の橋が見えます。
また三国港方面へ続く荒磯遊歩道からは、海岸線を見ながら歩くことができます。

 三国港駅を通り越し、隣の三国駅までバスで向かいます。
三国駅もえちぜん鉄道の途中駅ですが、あわら湯のまち駅を除くと一番開けた駅です。
といっても、駅にロータリーはあるものの人影はなくがらんとしています。
ここから浜に向かって歩いてみます。

 駅前の中央通りを越えると、左手に神社が見えます。
「氷川神社」で、古くは「枚岡神社」と称していたところです。

 駅前通りをさらに進んでいきましょう。
上八町のバス停を右に折れると、「高見順」の生家があります。
本名は高間芳雄である高見順はこの地で生まれ、その後上京し東京麻布に移り住みます。
雑誌「廻転時代」を創刊し、このころから文筆活動に傾いていきます。
東大卒業後はコロムビア・レコードに入社するものの、「故旧忘れ得べき」で芥川賞候補に選ばれます。
その後、レコード会社を退社し、本格的に文筆生活に専念することになります。
代表作は「如何なる星の下に」「胸より胸に」をはじめとして、長編作でも「都に夜のある如く」、「生命の樹」、「今ひとたびの」などが有名です。

 さてもと来た駅前通りに戻りましょう。
その先の三国湊きたまえ通りを左に入ります。
今も残る町屋が続きます。
「旧岸名家」は、材木商を営んだ新保屋岸名惣助が住んでいたところです。
妻入りの正面に平入りの前半分をつけた「かぐら建て」で、そこから家の奥までは笏谷石を敷き詰めた「通り庭」といわれる土間で結ぶ当時の家です。
その先には、大野土井藩が全国40ケ所に開いた産物会所のひとつ「元三国大野屋」があります。
「大木道具店」は骨董商を営むお店ですが、古風で立派な店の造りに目が留まります。
その先にも「宮太旅館」や「森田本家」などの、昔の建物が続きます。

 通りの左側(海側)ばかりを眺めてきましたが、向きを変えて駅前通り方向に進みながら反対側の建物を見て回ります。
この辺りの和風の建物とは明らかに違う洋館が、「旧森田銀行本店」です。
九頭竜川の河口に位置する三国は、古来より越前の玄関口として栄えてきました。
北前船の廻船業で富を得たのが、森田三郎右衛門です。
明治時代に入り廻船業の衰退を察した三郎右衛門は、1894年に森田銀行を創設します。
そしてこの建物は、1920年に本店として新たに建てられたものです。
西欧の古典主義的な外観と、漆喰で塗られた内部は必見です。
特に2階まで切通した真っ白な壁は、天井に施された凹凸模様は実際に50mmの厚みをつけており、細部までこだわった装飾の数々が残っています。
その後、福井銀行に合併されますが、当時の三国の繁栄を物語るひとつです。

 再び駅前通りを海側に降り、1筋先を右手(三国港駅)方向に進みます。
小さな石橋がありますが、ここが「思案橋」です。
何を思案したかということですが、実はこの先にはかつて出村遊郭があり、行こうか行くまいかをここで思案したことで名前が付きました。
この辺りも古い街並みが、いまなお手つかずのまま残っています。

 そして、その手前のまんじゅう屋の建物も昔のままで、ちょっと立ち寄ってことにします。
この辺りの酒まんじゅうには屋号が焼きで入れてあるのが特徴で、本日食べたのは「紅」の文字の入ったものです。
酒まんじゅうといえば、普段目にするのは指でつまめる1口大の小さなまんじゅうですが、三国のまんじゅうはそれとは違いどら焼きほどの大きなものです。
作りたてのまんじゅうは、ふわっと香る酒粕のにおいと、あんこの味が口の中に広がります。

 春の陽気に誘われてのんびりと街を散策でき、どこが見所かと聞かれても返事に困るほど派手さのないところですが、何故かひかれる三国です。
時間があればこんなところで泊まってみたいと思うような、そんな場所でした。

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