にっぽんの旅 北陸 福井 福井

[旅の日記]

福井 

 北陸の福井へは、敦賀から北陸本線で揺られること1時間です。
敦賀駅を出ると、まずは長い北陸トンネルに入ります。
14km近いトンネルは、普通電車で抜けるのに10分近くかかります。
1962年に完成した北陸トンネルですが、それまでは4箇所のスイッチバックで25‰の急勾配を走る厳しい条件であったうえ、単線区のため通行にも時間がかかり、北陸の大動脈としては輸送力のボトルネックとなっていました。
そのうえ、地盤の脆弱さによるがけ崩れや、冬期の雪害にも悩まされていました。
そんななか1957年に着工した北陸トンネルは、当時の最高峰のトンネル掘削技術を導入して1961年貫通、翌年開通にこぎつけたのでした。
1972年に山陽新幹線の六甲トンネルが完成するまでは、北陸トンネルが日本最長のトンネルを誇っていました。
そんな反面、1972年に大阪発青森行き急行「きたぐに」がトンネル内で火災炎上した痛ましい事故を、思い起こさずにはいられません。

 福井駅に着いたのは、その1時間後。
実に近代的な建物の駅舎です。
まず向かったのは、「柴田神社」です。
福井駅の南西に位置し、足羽川の北側に「北ノ庄城跡」はあります。
朝倉氏の滅亡後、越前国北ノ庄を統治していた柴田勝家が造った城で、天守は7層の立派な城です。
一説には、9重の天守を持った城とも言われています。
1583年の賤ヶ岳の戦いで勝家が敗れ、妻の市と共に自害し城に火が放たれたために、城は焼失してしまうことになります。
今では「柴田神社」があり、境内には柴田勝家の像とは別に、浅井長政の正室で後の勝家の妻となる市、そして市の連れてきた浅井三姉妹の像もあります。
豊臣秀吉の側室である茶々(淀殿)、京極高次の正室として京極家に入った初(常高院)、徳川秀忠の妻(御台所)であり3代将軍徳川家光の母である江(崇源院)の三姉妹です。

 さて大名町の交差点では、福井鉄道の車両が通り過ぎていきます。
と、先ほど見た通常の路面電車ではなく、通常の電車の床の高い車両が来たのです。
しかし心配無用。
扉の下から乗降用ステップが出てきて、路面電車の低い駅に対応できるようになっています。

 「福井城址」は、その先にあります。
石垣とそれを取り囲む堀は昔の姿のままですが、城内に建物は残っておらず、その場所に今は県庁があります。
「福井城」前身は先ほど訪れた「柴田神社」が物語る柴田の「北ノ庄城」です。
焼失後は、松平秀康(もと結城秀康)が4重5階で5重の堀が囲む巨大な結城の「北ノ庄城」を築きます。
そして1624年には松平忠昌が「北」の文字が「敗北」を連想させ不吉だということから、名称を「福居」その後に「福井」と改名されていきます。
しかし1669年には、焼失してしまいます。

 その後は、「福井市立郷土歴史博物館」に向かいます。
博物館では、古代から近代にいたるまでの福井の歩みが紹介されています。
古墳時代にはじまり、壮大な福井の城下町の様子、そして幕末に活躍した松平春獄など福井が誇る史料が展示されています。
博物館の隣の「御泉水公園」にも、この地が誇る松平春獄の銅像が展示されています。

 その隣の「養浩館」は旧御泉水屋敷で、福井藩主松平家の別邸であったところです。
大きな池を中心とした回遊式林泉庭園を構えています。
そして、数奇屋造建築の御茶屋と呼ばれた屋敷を中心に、廊下でつながれた御湯殿、横には御台所が配置されています。
松平家の栄華が、今でも見て取ることができます。
なお福井空襲で焼失した「養浩館」ですが、1993年に当時の様子を忠実に復元したものです。

 さて福井といえば、「越前おろしそば」が有名です。
福井県はそばの生産量が国内5位で、有数のそばどころでもあるのです。
「越前おろしそば」は、そばに大根おろしを乗せて出汁をぶっかけたものです。
そばも醤油もない時代に、そば切りを大根汁につけて食べたことが起源とされています。
鰹節とネギをかけたシンプルなものに、辛味大根のピリッとした食べやすい味です。

 そのほか、福井には「羽二重餅」があります。
甘味のある柔らかい餅です。
こちらはお土産として、家に帰ってゆっくりと楽しんだのでした。

   
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