にっぽんの旅 北陸 福井 永平寺

[旅の日記]

永平寺 

 福井の永平寺、福井駅から直通バスで30分余りで行くことができるのですが、今回はあえて電車と路線バスを乗り継いで出かけてみましょう。
えちぜん鉄道の福井駅では、ホームのベンチに座っている怪しげな人影を見かけます。
近寄ってみると、恐竜の形をした人形です。
そう、永平寺方面の終着駅の勝山の恐竜博物館のコマーシャルです。

 1両編成の単線のえちぜん鉄道は、九頭竜川に沿って走ります。
そして着いた永平寺口駅の駅舎は、電車が走るホームの向こうにあります。
これはかつての京福電気鉄道永平寺線の永平寺行の列車が使用していたものです。
1914年の開業時に建てられた白塗りの木造の建物です。
映画「男はつらいよ」シリーズの「男はつらいよ 柴又慕情」のロケ現場としても利用されました。

 永平寺行の路線バスは電車の到着に合わせて発車します。
慌てて乗り込ます。
バスは九頭竜川に注ぎ込む永平寺川を、山に向かってひた走ります。
少々荒っぽい運転ですが、これが幸いして永平寺には遅れることなく着くことができました。

 永平寺のバス停から永平寺までの観光バスも通れるような広い門前の道路には、道の両側に土産物屋、蕎麦屋、ごま豆腐などが並んでいます。
炭を囲んで焼かれている、団子の香ばしい匂いが漂っています。
我慢できずについつい手が伸びてしまいます。

 その先に、曹洞宗の寺院である「永平寺」があります。
曹洞宗には大本山が2つあり、ひとつ横浜市鶴見区の「總持寺」、そしてもうひとつがここ「永平寺」です。
1244年、波多野義重公の願いにより 道元禅師が越前国に大仏寺を建立します。
そして、その2年後に「永平寺」と改められたことに始まります。
深山幽谷の地にたたずむ山門、仏殿、法堂、僧堂、庫院、浴室、東司 の七堂伽藍から成っています。

 まずは「龍門」を越え、苔むした石垣に囲まれた参道を進みます。
石段を登り「通用門」をくぐり、その先の「永平寺」に向かいます。
ホテルのような建物の「吉祥閣」の入り口を通り、玄関で靴を脱ぎます。
そしてその先の大広間で、参拝の心構えを聞きます。
あとは参拝順路に沿って、矢印の方向に流れていくだけです。

まず最初に訪れた「傘松閣」は160畳敷きの大広で、天井には144人の日本画家が描いた230枚の花鳥彩色画が彩られています。
そのうち花鳥画以外のものはわずか5枚3種しかなく、この3種類の鯉、唐獅子、栗鼠の絵を探せば、念願がかなうと言われているそうです。

 次に「山門」内部を覗きます。
「三解脱門」とも呼ばれ、ここから先が仏の世界に入るための境界です。
「山門」といわれなければ、内部から見る限りでは立派な渡り廊下にしか見えません。

 ここから「中雀門・そしてその先の「仏殿」を見ることができます。
「仏殿」は、中国宋時代様式のもので、床は石畳、屋根は二重屋根の伽藍です。
そしてここに、本尊の釈迦牟尼仏が祀られています。

 伽藍の間は、廊下と階段が張り巡らされています。
建物間を結ぶ階段と言っても、壁も屋根もある立派な通路です。
斜面に造られた寺ですから、平行に並ぶ法堂、仏殿、山門の左右を結ぶものが備えられています。

 七堂伽藍の1番高いところに位置する「法堂」は、説法のための道場で、朝のお勤めをはじめとする各種法要が行われます。
聖観世音菩薩が祀られており、その左右には阿吽の白獅子が置かれています。

 「承陽殿」は道元禅師の墓に当たるところで、曹洞宗の聖地とでも言えるところです。
参拝客が入れるのはここまでです。

 その他にも、台所や賓客の接待の間である「大庫院」など、多くの伽藍が点在しています。
窓の外には、緑の苔の中に立つ写経を納めるための六角柱の形をした「報恩塔」も見えます。

 とはいえ、実に近代化した観光業としての拝観システムで、決まられた場所だけを順序通りに進むお参りは、どうしたものかと考えさせられてしまうところです。
これは最初に入る巨大温泉旅館のような「傘松閣」の印象が、強烈に頭に残っていたせいかも知れませんが。
一方外に出て、苔むした中を流れる永平寺川のせせらぎを眺めていると、これこそが心を和やかにしてくれるひとときでした。

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