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[旅の日記]

運河の町 小樽 

 やがて4月の声が聞こえてきそうな時期なのに、冬の小樽はまだまだ雪深く北風の厳しい冬の空が広がっています。
本日はそんな小樽の街を、寒さに震えながら散策してみます。

 JR小樽駅に降り立つと、改札に向かう人の流れとは逆行して、裕次郎ホームへ。
4番ホームには、1978年に石原裕次郎のテレビ番組のロケをした時の等身大のパネルが設置されています。
そしてそこには「小樽」の文字の入った当時の看板も飾られています。

 さて駅を出て小樽運河の方向に歩き出しはしたものの、よこなぐりで降ってくる雪に対し行く手に傘を広げて応戦します。
おまけに手足がかじかみ、思うように進みません。
そうした中、細長く建物が開けた場所があります。
1879年に北海道初の鉄道として開通した手宮線で、南小樽駅から同市内の手宮駅を結び石炭や海産物の積み出しで賑わいました。
幌内から手宮まで結ぶ官営幌内鉄道の一部で、今乗ってきたJRの前身となるものです。
しかし1985年に廃線となり、今も一部の区間が残されています。

 それでは小樽のことを知るために運河プラザ(小樽市観光物産プラザ)に立ち寄ってみます。
明治時代に建てられた石造りの小樽倉庫を改造し、館内は観光案内や物産の販売店として利用されています。
また当時の小樽の生活を再現した街や、この地方の遺跡を紹介した博物館が併設されています。
もちろん、無料で小樽の歴史を知ることができるのです。

 運河プラザで下調べをした後で、有名な小樽運河に向かいます。
といっても、小樽プラザからは道路を挟んだ反対側に運河は位置します。
1923年に9年の歳月をかけて完成した小樽運河は、海上に停泊した船舶の貨物を艀(はしけ)に積み替え、この運河を通って倉庫へ人力で荷揚げをしていました。
全盛期には1300人以上の作業員が、ここで働いていたといわれています。
ところが、戦争後は樺太との交易がなくなったばかりか、港湾の近代化が進んだため物流の拠点としての小樽運河は次第に衰退していったのです。
川辺の倉庫群から、繁栄を極めた当時の様子を垣間見ることができます。
当時は40mもあった運河の川幅ですが、今では半分の20mに埋め立てられ残されています。

 それでは、小樽の街を廻ってみましょう。
その成り立ちを知るために、まず立ち寄りたいのが金融博物館です。
ここは日本銀行旧小樽支店の建物を利用した博物館で、辰野金吾とその弟子である長野宇平治らが設計し1912年に建てられたものです。
外観にはルネッサンス様式で、鉄骨やコンクリートの当時としては画期的な技術を使って造られた建物です。
小樽は、明治後期から昭和初期にかけて日本有数の港湾都市として発展した、歴史と伝統の町です。
1870年には開拓使小樽仮役所(のちの北海道開拓使)が、まずはこの地に移転してきました。
その後には、先ほど見てきた鉄道も開通し、1899年には国際貿易港に指定されました。
港として整備され、また内陸への鉄道が小樽を中心に発達したことから、北海道の表玄関として栄えてきました。
神戸に次ぐ国際貿易港ということですから、想像がつくかと思います。
当然、銀行や商社も小樽に集まり、これが北のウォール街と言われる所以なのです。
金融博物館では、小樽の歴史と発展・衰退の様子が判りやすく説明されているほか、日本銀行の役割やお札の展示なども行われています。

 さて、いよいよそんな栄華を極めた小樽の歴史的建造物を見て回りましょう。
安田銀行は1930年の建築で、現在は日刊北海経済新聞社が入っています。
建築物の建物の正面にギリシャ・ローマ建築で見られるような付柱を建て、その柱間に縦長の窓を設けているのが特徴です。
小樽支店のほか、神戸や横浜の支店も酷似した外観です。

 1933年に建てられた小樽商業会議所は、小樽経済界の拠点でした。
外装は石川県産千歳石で彫刻が施され、正面玄関には土佐産の大理石が用いられています。
ただ悲しいことに、訪れた時には売り物件の看板が掲げられていました。
この建造物を保存してくれる買い手がつくことを、切に祈るばかりです。

 1927年の建築である三井銀行小樽支店は、関東大震災の教訓を踏まえ鉄骨の周りに鉄筋を配してコンクリートで固める当時としては最新の耐震建設でした。
岡山から運んだ花崗岩で造られた外壁には、5つのアーチを連ね軒には彫刻が施されている非常に立派な建物です。
三井銀行、太陽神戸三井銀行、さくら銀行、三井住友銀行と4度も看板を架け替えて営業を続けてきましたが、2002年の支店統廃合で閉鎖されてしまいました。
白く塗られた看板には、うっすらとその文字を読み取ることができます。

 イタリアのルネッサンス様式の外観をもつ石積みの建物は、北海道銀行本店です。
今は北海道中央バス本社として利用されています。
日本銀行を同じ長野宇平治の設計で、ほぼ創建時の姿で残っています。

 北のウォール街の交差点を飾っているのは、1923年に建築された北海道拓殖銀行小樽支店です。
小樽経済絶頂期に建設されたこの建物は、銀行ホールには2階までの吹き抜けがある道内を代表する大ビル建設です。
現在では、美術館として利用されています。

 北海道拓殖銀行小樽支店に向かい合って、同じくコーナーに丸みを帯びた建物は、第一銀行小樽支店です。
1924年の田辺淳吉の作品で、彼は清水建設から独立しヨーロッパで学んだ設計手法をこの建物に込めました。
洋服工場として、今でも活用されています。

 ギリシャ建築を思わせるひときわ近代的な姿をした建物は、百十三銀行小樽支店です。
1908年の池田増治郎の設計で、当初は外壁は石張りとなっていましたが、その後外壁に煉瓦タイルを張り現在の姿となりました。

 岩永時計店は、1896年に建てられた木骨石造二階建の建物です。
商店建築としては、最古の部類にはいるのではないでしょうか。
今見ることができるのは改築後の姿ですが、屋根の上の2匹のしゃちほこが特徴的です。

 こちらは1887年に造られた木骨二階建の商店で、初代小樽区長の金子元三郎の店舗です。
明治商家の典型的な造りで、丸に橘紋の掌紋と二階の窓飾りに特徴があります。

 そして小樽で忘れてはならないのが、ルタオの洋菓子です。
はちみつとレモンで味付けされた、チーズたっぷりのドゥーブルフロマージュは、口の中で溶けて広がる絶品の1品です。
寒く凍えながらも、思いもよらなかった小樽の歴史を知ることができた1日でした。

 
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