にっぽんの旅 北海道 北海道全域 五稜郭

[旅の日記]

五稜郭からトラピスチヌ修道院 

 本日は函館に来ています。
函館駅前で有名な朝市を覗いてみましょう。

 両側に商店が並ぶ通路、食堂が並んだ建物、魚を中心とした市場など、どこに行っても魚の乗った丼があります。
観光客相手のせいでしょうか、どこも高めで値段設定です。
そんな中選んだのは、イカそうめんの定食を頂きます。
豪勢なウニ、カニ、イクラの丼も魅力的ですが、函館と言えばやはりイカでしょう。
正直寿司でも最後にしか手を付けないイカですが、新鮮なものはこりこりしていてこんなに旨いのかと知らされたものです。

 港には青函連絡船の「摩周丸」が、停泊しています。
青函連絡船は、青森駅と函館駅を結んでいた国鉄の鉄道連絡航路です。
1908年から始まった青函航路ですが、1988年の青函トンネルの開通に伴い、惜しくも終了してしまいます。
その時の船体が保存されています。
青森駅に「八甲田丸」があるのに対し、ここ函館には「摩周丸」が公開されています。

 さてここからは、函館市電に乗り込みます。
道路の真ん中を電車は悠然と走り、「五稜郭公園前」電停で降ります。
ここから「五稜郭」を目指すのですが、考えていたほども近くありません。
地図を見ながら進むのでした。
まずは「五稜郭タワー」に登ります。
高さ100m強のタワーは、「五稜郭」はもちろん津軽海峡や横津連峰までも臨むことができます。
星形をした「五稜郭」全体を見ることができるのです。

 1854年、日米和親条約の締結により箱館開港が決定すると、江戸幕府は松前藩領であった箱館周辺に北方警部のための箱館奉行を再置します。
箱館湾内から至近かつ遮るものがない当時の奉公に対し、大砲の射程外で防御の強化が可能な今の地に奉行を移すことを決定します。
箱館奉行所で器械製造と弾薬製造の御用取扱を務めていた武田斐三郎は、箱館に入港したフランスの軍艦コンスタンティーヌ号の副艦長から指導を受け、ヨーロッパの城塞都市の大砲設計図や稜堡の絵図面を写し取ります。
これを基に、日本独自の石積の技術を加えた「五稜郭」が1866年に完成します。
ところが大政奉還の後の1868年に、榎本武揚率いる旧幕府軍が鷲ノ木に上陸し、箱館府は迎撃したものの敗北し青森に逃げてしまいます。
無人となった「五稜郭」を、松岡四郎次郎隊は易々と占領したのでした。
しかしその後の新政府軍から五稜郭へ総攻撃で、翌年には榎本らが降伏し「五稜郭」は新政府軍に引き渡されたのです。

 それでは、タワーから眺めていた「五稜郭」に足を踏み入れましょう。
「五稜郭」の周りは堀で囲まれており、一の橋と二の橋を順に渡って行き内部に進みます。
堀と石垣で囲まれた「五稜郭」ですが、内部は平らな広場が広がっています。
その真ん中に箱館奉行所があります。
東西97m、南北59mの瓦ぶきの日本家屋で、中央にひときわ高い櫓を構えています。
中には畳の大広間が並び、今見ることのできる奉行所は2010年に復元されたものです。
敷地内には、当時の大砲も展示されています。

 ここからはバスに乗って「トラピスチヌ修道院」に出かけます。
湯の川温泉を越えて、バスは「トラピスチヌ修道院」に到着します。
「トラピスチヌ修道院」は1898年にフランスから派遣された8名の修道女によって創立された日本最初の女子修道院です。
ここ函館にあるのは、男子禁制の修道院です。
修道院で作られているマダレナと呼ばれるマドレーヌが、販売されています。
1時間に1本のバスが来るには時間があるので、これを買って待つことにします。

 さて函館駅に戻ってきて、夕食をするために店を探します。
せっかく北海道に来たのですから、やはりジンギスカンが食べたくなります。
駅から5分ぐらいのところに、ジンギスカンやラーメン屋が軒を並べる「大門横丁」があります。
その1軒に入ります。
カウンターだけの店で、炭で焼く肉が焼きあがるのを見ながらビール片手に待ちます。
8名が入ればいっぱいの店で、地元、東京、大阪、韓国、台湾と何故か話が通じます。
そこに店長とバイト君が参加して、初めて会ったものとは思えないくらい話が弾んだのでした。

   
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