にっぽんの旅 北海道 北海道全域 網走

[旅の日記]

網走 

 本日は、女満別空港からの旅の始まりです。
女満別空港ヘは、東京から飛行機で2時間弱。ちょっとした空の旅を楽しめます。
そして降り立った空港は、ぽつりと空港ターミナルがあるちっぽけな空港です。
実は25年ほど前にも来たことがあるのですが、空港に着くなりレストランで食事をしていると、やがて周りの照明が消され、もちろん市街地までの交通手段も遮断されてしまったのです。
つまり1日数便の離発着の時だけ、この空港は機能するのです。
幸いその時はレンタカーを予約していたので、その後の足は確保できていたのですが。
しかし、今回は路線バスでの移動ですので、前の時とは事情が違います。
寄り道をせずに、真っ直ぐバスに乗り込んだのでした。

 網走駅方面行のバスは広大な北海道の大地をひた走り、やがて網走湖を望む道に差し掛かります。
左手に見える大きな網走湖は、いつまでもバスについてきます。
目の前に網走川の流れが見えたところが、「天都山入口」のバス停です。
ここから、最初の目的地である「博物館網走監獄」までは、徒歩10分ぐらいのところです。
JR石北本線の敷石にうっすら雪が残り、単線の物寂しさが一層増して見えます。
田舎の10分は、やはり普通の足で20分はかかりました。
やがて、「博物館網走監獄」の門が見えてきます。

 「博物館網走監獄」は、かつては重罪の受刑者だけを収納した刑務所でした。
1890年のことです。囚人1200名と看守173名が極寒の地、網走に連れてこられ、中央道路開削作業の任に就きました。
これが網走監獄の誕生です。
過酷な労務に加えて、刑務所から遠く離れた場所での作業先では仮設の休泊所が設けられ、窮屈な環境で寒さをしのいで過ごした様が判ります。
鏡橋を越えると博物館の入り口、そしてその先には赤レンガで造られた正門があります。
その奥には、1987年まで使われていた白い庁舎があります。
また小高い丘を上がっていくと、五翼放射状平屋舎房があります。
上から見るとヒトデの形をした舎房で、中央の見張りを中心に5連の雑居房、独居房が放射状に広がっています。
1912年から1984年まで使われ、226房で構成されています。
その間脱走もあり、その様子が天井にぶら下がって脱げようとする等身大の人形で、表現されています。
隣接した監獄博物館では、網走監獄の歴史と様子が資料と映像で紹介されています。
見張り台である高見張りや、浴場、更生のための教えを説いた教誨堂などが移築、再現されています。

 さて、ここからバスに乗り次の目的地である「オホーツク流氷館」に向かいます。
ところがバス停の時刻表には、お目当てのバスが載っていないのです。
そう、今日は土曜日で乗ろうとしていたバスは走っておらず、次のバスは2時間後です。
大きな荷物は持っていたものの、歩けない距離ではないと踏み、「オホーツク流氷館」に向けて進み出したのです。
しかし、その判断が間違いだったことに、やがて気付くことになります。
延々と続く上り坂で、荷物が肩に食い込みます。
まだそこまでは体力さえあれば乗り切れるところですが、妙な考えが頭をよぎります。
というのも、今年は人里までヒグマが現れ、被害が出ているということ。
そのことを、すっかり忘れていました。
道の両側は木々が生い茂る山、そして車がたまに通る位の人影のない道です。
不安いっぱいで、クマが出てこないことを祈るように歩き続けます。
もちろんクマに出会ったときに我が身を大きく見せるために、いつでも広げられるように折り畳み傘を持ちながら。

 そして、坂を上り切った「天都山」の山頂に、「オホーツク流氷館」はありました。
入場券を購入しまず最初の展示室は、マイナス20度の流氷の体験です。
滴り落ちる汗をハンカチで顔を拭いているのに、この展示室は大丈夫なの?
「これを振りながら行ってください」と濡れタオルを渡され、防寒具を身にまとわされて、半ば強制的に展示室に入れられます。
なかは、流氷の氷の塊が展示されています。
マイナス20度よりも心を和ませてくれたのは、展示室出口のクリオネとフウセンウオです。
水の中を漂うクリオネと、丸々した体のフウセンウオは、いずれも愛嬌があって、いつまで眺めていても飽きることがありません。
2階に上がると、流氷ができる仕組みをマルチハイビジョンシアターで説明があります。
訪れた時は他の客はおらず、部屋に入るといきなり映像に先立ってのおねえさんの挨拶から始まり、その後映画も一人で独占して観ることができたのでした。
その上の階は土産物、そしてさらに階段を登れば網走一帯を見渡すことができる展望室になっています。

 さて流氷のしくみは十分理解できたのですが、網走市街へ行くバスにはまだ1時間以上あります。
上り下りのバスの時刻表を眺めていると、あることに気が付きます。
網走市街と逆方向の次のバスに乗り、終点の「北方民族博物館」に寄っても、同じバスで帰ってこれる。
しかもそのバスは、次に乗ろうとしている網走市街行のバスであるというカラクリなのです。
そうと判れば、「北方民族博物館」に寄らない手はありません。
バスで1駅とは判っていたのですが、北海道の「すぐそこ」は本州でいうとんでもない距離なのです。
とりあえず1駅分をバスに揺られ、「北方民族博物館」に向かいます。

 「北方民族博物館」は、アイヌ、シベリアやサハリンの諸民族、アメリカ大陸のインディアンやイヌイット(エスキモー)の暮らしの様子を紹介しています。
いずれもオホーツク海にゆかりのある人々です。
魚を捕りに海に出て、釣った魚を冬に備えて貯蔵する様が紹介されています。
また生活道具や動物の毛皮で作った衣装も、展示されています。
特に目を引いたのは、魚の皮で作った服や、アザラシの腸で作った服です。
使えるものすべてを駆使して生活に役立てる北方民族の知恵を知ることができます。
展示を観た後は、折り返しで待っていたバスに乗り網走市街へ向かいます。

 市民美術館で市内観光のマップをいただき、まずは「永専寺」に。
ここの山門が、以前の網走監獄の正門なのです。
木造りの門は1924年に、このお寺に払い下げられました。
両脇のドーム屋根を架けた番所は、監獄で使われていたことを物語っています。

 次に訪れたのは、「市立郷土博物館」です。
独特の洋風のたたずまいを、この眼で見たかったのです。
1936年に造られた木造2階建の建物は、F.L.ロードライトの影響を受けたとされる建築家の田上義也の作品です。

 続いて、網走川向かいの「モヨロ貝塚」を訪れます。
竪穴式の住居跡で、当時のアイヌ人がモヨロ・コタンと呼んでいたことから、名付けられました。
縄文文化ともアイヌ文化とも異なるもので、後の調査で新たなオホーツク文化があることが確認されたのです。
ちょうど新たな博物館を建設中で、重機の行き交う片隅で貴重な遺跡はひっそりとたたずんでいました。

 最後に「網走駅」に戻ります。
南中央通りを歩いていると、網走ビール館があります。
ここに青い色のビールがあるはずなのですが、あいにく訪れた日は休館日でした(その直後に網走駅で出会うことになりますが)
駅前はひっそりとしていて数件のビジネスホテルとコンビニが1件、そして牛丼屋があるだけです。
決して大きな駅ではないのですが、木の看板に墨で書かれた網走の文字は威厳があります。
改札が始まるまで、駅の待合室で電車を待つのでした。
こうして、オホーツクの街網走で、陽は暮れていったのでした。

   
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