にっぽんの旅 中国 鳥取 倉吉

[旅の日記]

倉吉 

 今日は、久々に車でのお出かけです。
中国自動車道を岡山県院庄インターで降り、国道179号線を走ります。
今日の行先は鳥取県の倉吉です。

 本当は中国自動車道の佐用インターで降り鳥取まで抜けたかったところですが、記録的な豪雨による被害で佐用ならびに隣の美作の各インターが閉鎖されていましたので、院庄から向かうことにします。
179号線は道幅も広く、かといって車が多いわけでもない実に走りやすい道路です。
院庄インターから10kmも走らないうちに左手に奥津湖が見えてきます。
奥津湖は2007年の苫田ダムの完成により誕生した、生まれたばかりの観光名所です。
「ふるさと味わい館」に立寄ることにします。
ここからは、奥津湖の全景を見渡すことができます。
行った時には、夏休みの子供相手にペットボトルロケットを飛ばしていました。

 車は先を急ぎ、奥津峡、奥津温泉を越えて岡山県と鳥取県との県境である人形峠へと進みます。
本来なら179線で峠の下のトンネルを通り過ぎるところですが、本日はあえて峠の道に挑みます。
峠への道は木々の間を進む田舎の山道なのですが、それは人形峠の原子力開発機構のためにトラックでも通れるような舗装された道が整備されています。
クネクネと上り詰めると、そこには原子力開発機構人形峠環境技術センターがあります。
最初に訪れたのは、岡山県が運営しているアトムサイエンス館です。
ところがアトムサイエンス館の扉は閉ざされ、久しく開いた様子もないのです。
これは大変とふと横の建物を見ると、人形峠展示館が空いています。
折角ここまで来たのだから、そちらの方に入ることにします。
こちらは原子力開発機構の建物。
ところが中に入ると、入口は違っても同じ展示場にたどりつくのです。
これってふたつの組織が重複した、典型的な行政の無駄使いなの?
それはさておき、中はここ人形峠でとれるウランについて、ウラン鉱床のできるまでと利用から再利用までのことについて、わかりやすく説明されています。
地下の展示場には、火力発電との比較の展示や、原子力についてのクイズがあり、結構楽しめます。
でも何と行っても、紫外線を当てると不思議な色合いで光るウラン鉱石が、非常に印象的でした。

 人形峠を境にして、これからは鳥取県です。
道は山間の農村を軽やかに走ります。
途中の楽市楽座で、しばしの休憩と昼食です。
その後、一気に三徳山三佛寺を目指します。
倉吉を越え三朝温泉の先に、三佛寺はあります。
1時間に1本のバス停から、長い石段を上り受付まで進みます。
「奥まで行かれますか」の問いに「はい」と答えると、服装と足元を見られます。
言われてみれば、周りの人は皆登山姿(キャラバンシューズのような格好)をしているな、と思いましたが、特に気にすることもなく奥に進みます。
皆成院、輪光院と見て歩き、階段を登りきったところに三佛寺本堂があります。
ここがこれから先の登山事務所になっています。
靴の上を見せて入山の許可が下りると、登山名簿に名前を書き入れます。
「道はかなり険しく、2時間半経っても帰ってこなければ・・・」の話を聞いて、たすきをもらっていざ出発です。
正直言って入山の注意は聞いていましたが、その真意がこの時点では判っていませんでした。

 赤い門をくぐるといよいよ投入堂までの道のりです。
その直後、これからの厳しさを知る羽目になりました。
登山道らしき道はなく、急斜面であるが故に木々の根が露出しており、それらを持ちながらもしくは足場にしながら、登り進めていかなければなりません。
どうせ最初の数分間だけだろうとたかをくぐっていたのですが、行けども行けども状況は好転することもなく、ひたすら山の斜面との格闘が続きます。
まるでロッククライミングをしているかの如くです。
疲れてきて手の力を緩めるか、あるいは昨晩までの大雨で足を滑らせようものなら、谷底にたたき落とされるという恐怖が隣り合わせです。
25分ほど登ったでしょうか。
突然目の前が岩場になり、上から1本の鎖がぶら下がっているところに出ます。
それを登りきると最初の建物である文殊堂です。
お堂の周囲の廊下に座り込み、眼下の景色を見ながら疲労を癒します。
廊下といっても、前につんのめるとそこは谷底です。
鐘桜堂から聞こえてくる鐘の音を聞きながら、しばし体を休めます。
ここから投入堂までは、馬の背、牛の背をさらに進んだところにあります。
身体ひとつで登るだけでも大変なこの地に、どうやって資材を運び建物を建てられたのでしょうか。
修行のための登山ということが、いやと言うほど判った入山でした。

 下山しても汗が止むことはなく、ひとまず服を着替えて今度は下界から投入堂見学をします。
実はバス停から数百mバス通りを入ったところに、投入堂が見えるポイントがあるのです。
ここから見ると、はるか上にお堂の姿を見ることができます。
道端には望遠鏡が設置されており、うれしいことに無料で利用することができるたのでした。

 さて先に通り過ぎた倉吉の街に逆戻りです。
室町時代に山名氏が築いた打吹山城の周りに、城下町として発展した街です。
白壁と赤瓦が有名な街なのです。
市役所通りから2筋入り、玉川通りをそぞろ歩きます。
玉川といっても川幅3m程の堀で、川の中では錦鯉が優雅に泳いでいます。
川向うの家に入るには、石造りの小橋を渡っていきます。
そしてこの辺りに、白壁の土蔵が立ち並んでいます。
赤瓦1号館から11号館までが整備されており、中は土産物屋、蕎麦屋、醤油工場として公開されています。
店内では、木彫りの福の神の置物を見つけることができます。
3人の仏師により彫られたもので、全部で41体にものぼるというものです。

 科学の人形峠、修行の三佛寺、そして陣屋町の倉吉と、3つの違った様相を一度に味わった1日でした。

 
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