にっぽんの旅 中国 島根 温泉津

[旅の日記]

銀で栄えた温泉津温泉 

 春の山陰の旅です。
ところが春の嵐で、岡山から島根に入ろうとしていたものの山陰本線の特急は運休となってしまいました。
慌てて広島まで出てそこからバスで出雲に、そして夕方にやっと動き始めた山陰本線に飛び乗りました。
海岸線の真横を走る山陰本線から見える海は、列車を停めただけあって白波が立ち荒れ狂っています。
ところが動いているのは各駅停車だけ、1駅動けば対向車を待つためしばらく停まることの繰り返しです。
やっと温泉津に到着した時には、既に18:30を過ぎていました。

 温泉津は駅から歩くこと20分ぐらいで、温泉街に着くことができます。
途中には年季の入った酒屋もあります。
すぐそばに海があり、小さな港を眺めながら歩いて行きます。
温泉津温泉街に辿り着いた時は、日も暮れていました。

 今日の宿は、閑静な旅館です。
明治時代から続く旅館で、3階まである木造建築です。
それなのに一晩で4組しか客をとらず、至れり尽くせりのもてなしです。
床間のある部屋は、その隣にテーブルの部屋食用の部屋があります。
廊下を挟んで寝室と、もう1部屋もあります。
もちろん縁側付きで、実にゆったりした造りです。

 こんなことですから、夕食も満足しないはずがありません。
魚と肉が次々と出てきます。
あなご、のどぐろ、いか、えび、かに、そしてはまぐりの味噌汁。
石見和牛も柔らかくて上品な肉です。
そしてそれに加えて並ぶのが、温泉津ビールです。
食べきれないくらいの量です(でもしっかりいただきましたが)

     

 ゆっくり食事をしたかったところですが、実はこのあといかなければならないところがあるのです。
それは龍御前神社で開かれる石見神楽です。
あえて神楽がある日に宿をとったのでした。
神楽の演目は、恵比寿と大蛇です。
恵比寿は恵比壽さんが鯛を釣るほのぼのとした話です。
恵比壽さんの撒き餌は、客席に向けて投げる飴です。
それに対して大蛇は、スサノオがヤマタノオロチを退治する迫力のあるものです。
舞台で暴れる4頭のオロチを酒で酔わせて退治します。
しゃべりがなくとも動きだけで理解できる判りやすい話で、思わず見入ってしまいます。

 神楽を見終えて少しだけ街を散策してみます。
小さな温泉街ですが、通りには灯りが並び風情があります。
進んでいくと、そこには薬師湯があります。
その横には、洋風の木造建築があります。
薬師湯の旧館である震湯カフェ内蔵丞(くらのじょう)です。

 ここで宿に戻り、宿の温泉に入ることにします。
淵に硫黄がこびりついた風呂は、程よい熱さで湯船に浸かりゆっくり身体を休めることができます。
今晩はふかふかの布団で、ゆっくりと休むことにします。

 翌朝起きると、改めて街を散策します。
昨晩神楽が開催された龍御前神社も、朝の姿を見せています。
創建1532年の神社は、国造りの神である大国主命、温泉の神である少彦名命、海の守護神である豊玉姫命、海上安全の神である健磐龍命が祀られています。
神社の背後の高台からは、龍が口を開けたような龍岩に神社が飲み込まれたかのようです。

 昨日は真っ暗で見ることのできなかった旧家にも行ってみます。
内藤家庄屋屋敷で、内藤家は毛利水軍の御三家の一家のものです。
安芸国に居たところを、毛利元就の命でこの地にやって来たのです。
銀山から掘り出した銀を、積み出すための港も整備されました。
江戸時代に入ると、内藤家は廻船問屋や酒造業を手懸ける豪商としてこの地に繁栄をもたらしたのです。

 そして昨晩も訪れた薬師湯にも行ってみます。
この街では珍しい洋風建築で、白で塗られた壁と丸みを帯びた2階のバルコニーに特徴があります。
1872年の浜田地震で突然源泉が湧き出したということです。
この旧館となる藤乃湯は1919年に建てられたものです。

 その斜め向かいには元湯もあります。
こちらは昨晩は既に閉まっていたのですが、朝は早くから開いています。
温泉津温泉は承平年間には既に開かれており、ここ元湯は室町時代に修行僧である伊藤重佐が洞穴から温泉場を開発したと言われています。
古くからある温泉で、近くの石見銀山からは身体を休めるための湯治場としても利用されたところです。

 また近くには登り窯があるように、焼き物も盛んに作られました。
良質の土と豊富な木材が、石見焼の生産地としてこの地を成長させました。
通りにはその焼き物が並んでいます。
遊び心いっぱいの石見神楽の大蛇の焼き物もあります。

 ゆっくりと時間が流れ、美味しい魚がいっぱいの温泉津温泉でした。
久しぶりの贅沢な旅でした。

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