にっぽんの旅 中国 島根 津和野

[旅の日記]

山陰の小京都 津和野

 本日は山陰の津和野の散策です。
早速、「鷺舞まつり」の看板を見つけます。
顔を出して写真を撮る、観光地で見かけるアレです。

 津和野は、家の前を水路が流れており、家に入るための橋が架けられています。
そして水路では、鮮やかな色をした鯉が泳いでいます。
どこかのお宅の石橋を分捕り、鯉を眺めてみます。
これが山陰の小京都と言われる所以でしょうか。

 ここで、和風の町に似合わない建物に出会います。
「津和野カトリック教会」で、1931年に岡崎祐次郎(パウロ・ネーベルの帰化後の日本語名)が、乙女峠のキリシタン迫害の悲劇を繰り返さないよう願って建てた教会です。
ゴシック調の外観とは違い、内部には畳が敷き詰められています。
乙女峠の展示もあり、殉教者の資料が展示されています。

 「古橋酒造」は昔ながらの造り酒屋です。
軒先には杉玉が吊るされており、お酒屋さんであることが判ります。
津和野は、寒い冬、良質の水、良い米といった、酒造りの3つの条件を満たしている場所です。
それだけに、おいしいお酒もこの地から生まれるのです。

 「華泉酒店」も昔ながらの造りをした酒屋さんです。
店内には造りたてのお酒が、ずらりと並んでいます。
どれにしようか迷うほどの種類です。
利き酒もできますので、納得のいく酒を買うことができます。

 町を歩いていると、川にも鯉があふれています。
水路から流れてきたものでしょうが、川にどす黒い鮒が泳いでいるのは普段でも目にするのですが、朱色鮮やかな鯉の姿を目にすると、やはりここは津和野なのかと再認識してしまいます。
「吉永米穀店」でも、店舗裏の自宅の池で多くの錦鯉を飼われています。
店先に上がっている「鯉のおる米屋」の木彫りの看板が、語っている通りです。
なんとその数200匹というものですから、数の多さにも驚かされます。

 次に訪れたのは、「養老館」です。
現在は民俗資料館になっている「養老館」ですが、1786年に亀井八代藩主矩賢が創設した人材養成のための施設です。
儒学、医学、礼学、数学、兵学を学ぶための場として活用されますが、大火により一度は焼失してしまいます。
ところが1855年に再建され、1971年には再び修復されて今の姿を保っています。
西周、森鴎外などもここで学んだとされています。

 そのそばにあるのが、「多胡家老表門」です。
このあたりは殿町と呼ばれ、かつては家老屋敷が隣接していたところです。
なまこ塀が並び、津和野のシンボル的な場所です。
多胡家は亀井氏に11代にわたって家老職を務め、藩財政に大きく貢献した家柄です。
立派な武家屋敷門を構えた瓦葺きの建物です。

 さて、ここでいい時間になりましたので、山口本線の線路伝いに足を延ばします。
何の時間かというと、「SLやまぐち号」が通る時間なのです。
国鉄合理化政策の中、姿を消してしまったSLですが、ここ山口では熱烈なSL復活への願いに応えて、SLの営業運転が復活したのです。
線路わきの盛り土の上で、うららかな日差しを受けて待つこと30分、もくもくと煙を吐いてこちらに向かってくる蒸気機関車があります。
久しぶりのSLに心が穏やかでないことが自分でも判っていました。
なにせ、こうしてSLを待っているのも15年ぶりぐらいのことなんですから。
1290馬力を誇るC57が、力強い動きで客車を引っ張り、目の前を通り過ぎて行ったのでした。

 最後に訪れたのは、「太皷谷稲成神社」です。
ひときわ鮮やかに浮かび上がっているのが、「太皷谷稲成神社」なのです。
日本五大稲荷のひとつに数えられています。
全国の稲荷神社の中でも「稲が成る」と表記するところは珍しく、大願成就の祈りが込められています。

 山陰の小京都に相応しい街並みの中の小さな民宿が、今夜の宿です。
おばあちゃんが真心こめて作ってくれた手作りの夕食は、まさにおふくろの味です。
カリッと揚げたから揚げの味が忘れられない、旅に思い出になりました。

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