にっぽんの旅 中国 島根 松江

[旅の日記]

宍道湖が広がる松江 

 いま、松江へ向かっています。
本日は、島根県東部を巡る車での旅です。

 一畑電鉄に沿って、「宍道湖」の北側を東に走っています。
本当は一畑電車に乗りのんびりと揺られて行きたいところですが、今回は車の旅。
隣の線路を、昔見たことがある先頭が流線型の形をしたかつて南海電鉄にあった電車が走って行きます。
以前のモスグリーンの車体から黄色い車体に塗り直されて、すっかり立派になっています。
電車に出くわす度に、なぜかワクワクしながら車の車窓から一畑電車を眺めていたのです。

 「宍道湖」そして東隣りに位置する「中湖」と、日本海との海岸線に2つの湖は仲良く並んでいます。
「宍道湖」は島根県では「中湖」に続き2番目に大きな湖で、日本でも7位の大きさを誇ります。
淡水湖ではなく、塩分をわずかに含んだ汽水湖です。
そしてシジミ漁で有名で、「宍道湖」を含む島根県がシジミの漁獲高日本一を誇っています。
しかし近年の塩分濃度の低下やアオコの発生などでシジミの大量死も発生しており、稚貝の放流や禁漁日の増加などの懸命の努力で、一時は返上した日本一を再び奪い返しています。

 さて、1時間近く走ったでしょうか。
今までの田舎の景色から、ビルが立ち並ぶ街並みに一転します。
いよいよ島根県の県庁所在地、松江です。
「宍道湖」の東の端で湖が切れたところで北側を眺めると、「松江城」が姿を現わします。
松江藩の城下町として栄えた松江ですが、亀田山の上の「松江城」は遠くからでも見ることができます。

 1600年の関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏が、それまで山陰の要衝であった月山富田城に入城します。
同時に松江藩を成立します。
月山富田城は中世山城であったことから、近世城下町を形成するための近世城郭を亀田山の末次城跡に築城します。
そうして1611年に落成したのが、「松江城」なのです。
しかし3代目堀尾吉晴は、落成の直前、城を見ることなく急死してしまいます。
堀尾忠晴には嗣子がおらず、1634年にはなく若狭国小浜藩から京極忠高が入封します。
この時、三の丸を造営し今の「松江城」の全容が完成したのです。
その後は京極忠高にも嗣子に恵まれず、1638年に信濃国松本藩より入封した松平直政の時代が明治維新まで続くことになるのです。

 さて大手前駐車場に車を置き、「松江城」に入っていきます。
太鼓櫓、三ノ門、そして「松江神社」を過ぎ、最後の一ノ門をくぐります。
高台の上の本丸では、黒光した「松江城」がでんと構えています。
周りの整備された芝生の緑とは対照的な天守閣の奇抜な黒が、威厳あるこの城の姿を示しています。
実戦に備えた城を思わせるような、入口の大きな鉄の扉が印象的です。
やがて日が傾いてきますが、晴れていれば「宍道湖」の夕日がきれいであろうここからの眺めでした。

 大急ぎの松江でしたが、次回はお隣り鳥取県まで足をのばし、米子や境港を訪れてをみたいものです。

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