にっぽんの旅 中国 岡山 岡山

[旅の日記]

岡山 

 今、岡山に来ています。
JR山陽本線で岡山駅には、駅前のロータリーに岡山が誇る桃太郎伝説にちなんだ像が建っています。
なんとなく岡山に来た実感が湧いてきました。

 岡山に着き、まず向かったのが駅ビルの中の寿司屋です。
何故って、「岡山バラ寿司」なるものを食べたかったからです。
いわゆるちらし寿司には違いがないのですが、瀬戸内海で採れた海の幸いっぱいの料理だからです。
あいにくこの時はシャコは季節違いで入っていなかったのですが、それでもママカリ、サワラ、海老、穴子、タコなど盛りだくさんです。
それに加えて、ご当地ビールが「独歩」です。
岡山に着いていきなり、こんな状態でよいのでしょうか。

 食後は気を取り直して、真剣に岡山の街を散策します。
駅前から延びる岡山電鉄は、いまも残る(いや、いまになって見直されてきた)路面電車です。
古い車両が走るということで、しばしカメラ小僧になり切ります。
KUROという愛称の黒いペイントがされた古めかしい車体は、いやに懐かしさを覚えます。
夏場は走らないとだけあって、本日見ることができたことに余計に愛着が湧くのです。
歩いても行ける距離ですが、その路面電車に乗って「岡山城」の近くまで進みます。
路面の凹凸に伴って、上下左右に必要以上に揺れるのが愛嬌です。
城下電停で降りると、反対側の車線にはTAMAの愛称で呼ばれる猫型電車が走っています。
ご丁寧に、車体天井にはミミまで付いています。
幸運にもKUROとTAMAの両者を一度に楽しむことができたのです。

 「岡山城」には、ここから5分強歩いて行きます。
後ほど訪れる「後楽園」を対岸に見ながら旭川に沿って歩きます。
「岡山城」は、戦国時代に上神高直がここ石山台に城を築いたことが始まりと言われています。
1570年には、宇喜多直家が金光宗高を謀殺しこの地を支配することになります。
豊臣秀吉にことのほか可愛がられた直家は、城の大改修に着手します。
本丸を二之丸内郭に配置し、二之丸と三之丸を整備します。
防備の弱かった東側は、旭川を付け替えて天然の外濠として戦いに備えました。
そうして1597年にできあがった三層六階の堂々たる姿が、いまに残る黒塗りの城の原型です。
五角形をした天守台は、全国的にも貴重な構造です。
その後の関ヶ原合戦で敗戦となった秀家は八丈島に流され、代わりに城主となった小早川秀秋は城の拡張を行います。
また新たに西側に外堀を造り、その外には寺町を配置します。
外堀の構築は、わずか20日の突貫工事だったようです。
そして池田家を藩主とした明治維新に時代は突入していったのでした。

 さて岡山城を出て、「林原博物館」に向かいます。
実業家 林原一郎は、祖父以来続く水飴製造業を継ぎ、日本最大の水飴工場に発展させます。
「林原博物館」では一郎が集めたコレクションを公開しており、岡山藩主 池田家の伝来品も数多く収蔵されています。

 それでは「後楽園通り」を旭川に架かる鶴見橋を渡って、「岡山城」の背後に広がり日本の三大名園である「後楽園」を訪れてみます。
岡山藩2代藩主である池田綱政が、やすらぎの場として作らせた庭園ですが、一説には後楽園も郭の代りとして築かれたともされています。
14年の歳月をかけ1700年に完成した133,000平方メートルの広さをもちます。
なんと、東京ドームの3倍の大きさになります。

 園内には、「沢の池」を中心にいくつかの建物が点在しています。
正面の門を入った左側には、「延養亭」があります。
ここは藩主の居間で、園内の景勝が一望できる場所です。

 岡山城方向に芝生の中を貫く道を歩いて行くと、石橋越しに「廉池軒」があります。
戦災をまぬがれた数少ない建物の一つで、ここから沢の池越しに見える松林、そして波を模して作られた茶畑との起伏に富んだ景観を眺めることができます。
 「流店」では、中央に水路が通っています。
1階は壁もなく、足湯ならぬ、足漬け場ってところです。
2階に部屋が配置されており、藩主の庭廻りや賓客の接待など、休憩所として使われていました。

 「慈眼堂」は、1697年に池田綱政が領民の繁栄を願って建立し、観音像を祀りました。
花崗岩を積み上げて造った烏帽子岩、門などが今も残っています。

 「後楽園」の外には、古い街並みが残る一帯があります。
「出石町」です。
鶴見橋近くで観光案内所にもなっている「出石しろまち工房」から、後楽園口の交差点に出ます。
ここは後楽園通りと旧津山街道が交わるところ。

 そこにあるのは、「ランドマークビル」なる薄いピンク色をした洋館です。
自らがランドマークと名乗るなど、かなり強気のネーミングです。
交差点に合わせて、角が澪がれた5角形の形をした建物です。
中は喫茶店やレストランが入っている、現役のビルなのです。

 ふとその向かいを見ると、昔ながらの日本家屋です。
「福岡屋酒店」で、今でも酒店を営んでいるところです。
空襲を逃れて、昔の佇まいをそのままの残しています。
そんな旧津山街道を進んで行きましょう。

 左手に「榎本神社」が見えたその先にも、地蔵堂らしき小屋があります。
ここは「油掛大黒天」です。
建物の中には大黒さんがあり、願い事をしながら大黒さんの頭から柄杓で真っ黒な油を注ぎます。
清水ではなく油をぶっかけるなんて、普通だったら罰が当たりそうなところです。
こんなこと、初めての体験です。

 その先の交差点の角には、赤壁の家があります。
「天女のコテ絵」と呼ばれ、2階の壁をベンガラ色に塗り、そこに天女が描かれています。
この家(今は会社をしているようです)のご主人の自作と言うことですから、驚きです。

 もう少し先に進みましょう。
いまとなっては珍しい「火の見櫓」があります。
この辺りを一望できる高さです。
最近見ることのなくなった「火の見櫓」に出会えて、思わずシャッターを押してしまいました。
まだまだ紹介できない建物ばかりですが、「出石町」の紹介はここまでにして是非実際の町を見に行ってもらいましょう。

 あとはのんびりと岡山駅を目指して、歩いて帰ったのでした。

   
     
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