にっぽんの旅 中国 岡山 倉敷

[旅の日記]

美観地区 倉敷 

 本日は、岡山県倉敷の散策です。
美観地区として美しい街並みを残す倉敷を訪れてみます。

 時は大阪冬の陣、備中松山藩の代官で倉敷の統治もしていた小堀遠州が、徳川側に大量の兵糧米を送ったことの功績が認められ、倉敷はいわゆる天領となり幕府の保護や周辺の豊かな農地や産物を背景に、物資の集積地として成長していきます。
大八車を通すために敷く石畳、常夜灯などが積出し品でした。
江戸中期になると、商品経済の発展で財をなした新興商人が台頭してきます。
彼らの代表格が「大原家」と「大橋家」で、両家の邸宅も美観地区の代表的な建物として保存されています。
明治維新により不況がもたらされますが、倉敷を救うために紡績会社の設立を決定します。
1889年、旧代官跡地に赤レンガもあざやかな最新の紡績工場が操業し、倉敷は新たな繁栄へのスタートを切ることになります。
そうした当時の街並みがいまも残されている一角が、、「倉敷川畔美観地区」なのです。

 美観地区の中でもひときわ有名なのが、「大原美術館」です。
倉敷紡績の社長であり、社会事業・芸術文化へ惜しみない貢献を行った大原孫三郎が、死去した画家児島虎次郎を記念して1930年に設立した、日本最初の西洋美術中心の私立美術館です。
紡績業を営む親をもち、倉敷の名家に生まれました。
事業で得た富を社会へ還元することの重要性に目覚め、大原社会問題研究所、労働科学研究所、倉敷中央病院などを次々と設立します。
美術館の創設も社会貢献の一環で行われました。
西洋美術、近代美術を展示する美術館としては、日本最初のものです。
日本美術のコレクターでもあった孫三郎は、虎次郎の才能と美術に対する真摯な姿勢を高く評価し、制作に励むかたわらヨーロッパの美術作品を選び取るという作業に熱中します。
エル・グレコ、ゴーギャン、モネ、マティスなど、「大原美術館」の中核をなす数多くの作品が収集、展示されています。

 美観地区内は、倉敷川を挟む川沿いに「大原美術館」を含む、美術館、博物館、そして当時の建物が残されています。
「旧倉敷町役場」は観光案内書として残され、現役で活躍しています。
白壁が眩しい「倉敷考古館」では、土蔵を利用し吉備地方で出土した石器や銅鐸などを展示しています。
そんな中「倉敷民藝館」で見つけた倉敷ガラスは、澄んだ青色が鮮やかで頭の中から離れません。
土産物屋で買って帰らなかったことが、今になって悔やまれてなりません。
近いうちに、また訪れなければなりませんね。

 倉敷の古い街並みを離れても、その先には「オルゴール博物館」、「クラボウ記念館」など見所は満載です。
そして「倉敷アイビーアウクエア」は、赤レンガの建物にツタが絡まって独特の雰囲気を出しています。
アイビーとは、IBではなくツタのことです。
倉敷紡績の工場建物をそのまま利用し、ホテルやレストランとして生まれ変わっています。
そのひとつ「アイビー学館」では、衣類の展示と販売が行われていました。
「倉敷アイビーアウクエア」で地ビールである「倉敷ビール」を飲み、レトロなひと時は過ぎていったのでした。

 倉敷の町並みに心落ち着かされた後は、鷲羽山まで車で移動します。
眼下に児島の街並みを、そして前方には瀬戸内海の小島と四国を見ることができる高台です。
瀬戸大橋を眺めらながら早めの温泉に入り、瀬戸内の魚介類を舌鼓してその日は終わったのでした。

   
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