にっぽんの旅 中国 広島 竹原

[旅の日記]

安芸の小京都 竹原 

 広島の竹原、安芸の小京都を訪れてみます。
竹原へは、JR呉線に乗って行きます。
三原と広のちょうど中間点、どちらからも1時間弱のところです。
瀬戸内海に面した竹原は古くは塩田で栄え、塩の町としても有名なところです。

 駅から東北の方向に商店街を通って進んだところに町並み保存地区があると知って、そちらに向かって歩いて行きます。
本川に架かる橋の手前には出雲社、向こうにはこの地が生み出した儒学者 頼山陽の像があります。
この先が江戸から明治にかけての町並みが残る一帯です。

 「本町通り」の道の左右に、商家が軒を構えます。
その通りの南端にあるのが「笠井邸」です。
1872年に浜主の家として建てられたもので、2階からは三味線で騒ぐ声が聞こえてきます。
家の奥に庭があり、縁側から庭を眺めることができます。
「笠井邸」の通路に面した入り口には、今が旬のたけのこが置いてあります。
重さのありそうな大きなたけのこで、ここ竹原の名産です。

 ここから「本町通り」を巡ってみます。
大きな杉玉が吊るされた酒屋があります。
「小笹屋 酒の資料館」で、竹鶴酒造が営んでいます。
もとは「小笹屋」の屋号で塩造りをしていましたが、酒株を得た後は酒造りも手掛けるようになりました。
ニッカウヰスキーの創設者である竹鶴政孝の生家が、ここなのです。

 「松坂邸」は曲線を描く屋根の形が美しい家です。
菱格子の出窓、うぐいす色の漆喰が特徴的です。
松坂氏は1674年に広島から移住してき、塩田の必需品である薪や石炭の問屋を営みました。
塩田経営、廻船業、醸造業などにも広く手を出し、竹原町長なども務めた家柄です。
写真に写っているのは、手前が「岩本邸」、奥が「松坂邸」です。

 「初代郵便局跡」は「上吉井邸」の建物です。
家の前には黒いポスト「書状集箱」が置いてあります。
昔の展示をしているだけのようですが、実はここに投函した郵便は通常の赤いポストと同様に収集され郵便として届けられます。
その向かいは「吉井邸」で、本陣だったところです。

 それでは郵便局の脇道から延びる石階段を登っていきましょう。
階段の先には「西方寺」があります。
禅寺でもとは田中町にありましたが、この地にあった「妙法寺」が1602年に火災で焼失した時に、「妙法寺」跡地へ移ってきました。

 そして「西方寺」の奥には、1758年の建築である「普明閣」があります。
京都の清水寺を思わせるような高い位置にある舞台を支える柱があり、朱色で美しい姿をしています。
もともと「妙法寺」があった時の本尊がここで、木造十一面観音立像を祀っています。
またこの舞台から見る竹原の街並みは綺麗で、家々の瓦屋根が連なっている風景は日本らしくてうっとりするものです。

 郵便局の先には「町並み保存センター」があり、腰を掛けて休むことができます。
その先に突然洋風の建物が、顔を覗かせます。
「歴史民俗資料館」で、1930年に開館した「町立竹原書院図書館」です。
江戸中期にここに頼塩谷道碩という医者がいて、儒学者でもあり医業のかたわら学問を教えていました。
彼の死後、門人である頼春水、春風らがその志を継いで1793年に「竹原書院」を開いて、学問所として読書会や竹原文化の伝達の場としました。
町立竹原書院図書館もその志を受けて、1929年に建設され翌年に開館したものです。

 「歴史民俗資料館」の脇の道に「おかかえ地蔵」なる案内がありましたので、興味半分で行ってみます。
坂を上がったところに「おかかえ地蔵」はあり、石の地蔵さんが祀られています。
この地蔵を抱えて願い事を唱えると願いがかなうとあって、ここは挑戦してみます。
地蔵さんは意外と重く、早口で願いを唱えたのでした。

 元来た「本町通り」まで戻ったところに、「まちなみ竹工房」があります。
竹原の地名の通り竹が有名なこの地での伝統細工で、竹かごなどが展示販売されています。
そしてその隣は「修景広場」になっています。
竹が茂ったこの広場では、ちょうど訪れた時には「竹祭り」が催されていました。

 その隣は「頼惟清旧宅」です。
頼山陽の祖父である惟清が頼紺屋を営んでいたところが残されています。
紺屋の先祖は小早川氏の家臣で三原に住んでいましたが、惟清の曽祖父 総兵衛の時に竹原に移り海運業と農業を営んできました。
2代目弥七郎の時には紺屋を始め、4代目惟清の時にこの家に移り住んで、父弥右衛門の意志を継いで子供達に学問をさせます。
頼山陽の父に当たる長男の春水は広島藩儒となり、幕府の昌平黌で講義をする学者になります。
春風も医者や儒者として「春風館」を建て、学問の向上に寄与します。
杏坪は広島藩儒となり、三次代官を務めて芸藩通志の編纂を行いました。
竹原の代表的な町家で、頼一門の発祥の地として県史跡に指定されています。

 「本町通り」の突き当りには、道の真ん中に小さな「胡堂」があります。
大林宣彦作の映画「時をかける少女」で撮影が行われたところです。
ここから左に折れて「中ノ小路」を通って折り返します。
通りの右手には「酒蔵交流館」、左手にある「光本邸」は「陶芸の館」となっています。

 その先で交差する通りを入り「本町通り」に戻ります。
通りには「復古館」「春風館」と続きます。
「復古館」は頼春風の孫の三郎が分家独立して構えた屋敷で、1859年の建物です。
その隣の「春風館」は、1855年に建てられた頼山陽の叔父 頼春風の屋敷で、「竹原書院」の設立にも寄与した人物です。

 そして最後に寄った道の駅では、竹で作った鯉のぼりが泳いでいました。
今日の土産も、この道の駅で購入します。
広島はレモンの生産量が日本一ということで、美味しそうなレモンタルトに決めました。
さて、竹原の町はいかがでしたか。
小さな町なので、2時間あれば回れてしまう風情ある場所です。

   
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